私は褒められたことがある。
いわく「SOSを自分で出せる人は強い」。
そのとおりだ。
私は自分がちょっとでもピンチな時は、
すぐにひとに頼ることができる。
ひとりの自分は弱虫で、力が無くて、
何かを成すにはひとの力が必要で、
でも、それの一体何が悪いんだ、と
解っているから、
すぐにSOSを出すことができる。
私のいちばんの友だちは、
ひとたび会うと、弱音をたっぷり聞かせてくれる。
私も弱音をたっぷり聞かせてあげる。
そんなやり取りに意味は無いかもしれないけど、
お互いに信用してるから、弱音を吐きあえる。
弱音は、世間の前では隠しておくのが美徳らしい。
私は、ちっともそんな風には思わない。
「元気があれば何でもできる」
そんなスーパーマンは世界にごくわずかで、
「元気も無いし何にもできない」
そう言ってくたびれた人の姿こそ、
自然にありふれたものだと思う。
私は、「元気なようで弱音を隠してる人」を
見て察することが、実はできる。
「弱音を隠してる人」の名誉のため
普段は知らないフリをしてトボけているが、
破裂しそうな弱音を隠している人を見ると、
耐え難い、ムズムズした気持ちを共感する。
弱音は、心の代謝だ。
弱音を吐いて、
自らの自然な気持ちのあり方を自覚すれば、
苦労している人は、その苦労の分だけ、
自由になれると思う。