蒼天秘話

「最後の蒼天騎士」


蒼天騎士団総長ヴァンドロー・ド・ルーシュマンドは苦悩していた。
齢65歳、肉体の衰えを実感することが増え、騎士としての生活に限界を感じて久しい。だが、目下の悩みは、そのような些末なことではなかった。教皇を守護する蒼天騎士となり、既に40年以上が経過しているが、初めて守るべき対象に疑念を抱いてしまったのだ。
ひと月ほど前のこと。ヴァンドローは、教皇庁の中庭に通じる門扉の前で警備に立っていた。教皇トールダン7世が独り黙想するために中庭に入っていったためである。さして珍しくもない日常の出来事……しかし、この日だけは違っていた。しばらくして彼の耳が微かな話し声をとらえたのだ。
独り言か、祈りの声か……そう考えてはみたものの、教皇以外の声も交じっているように聞こえる。侵入者であれば即刻、教皇を守るために突入せねばならないが、勘違いであれば耳が衰えた事実を露呈し兼ねない。考えた末に、ヴァンドローは気配を消して中庭に入り、密かに様子を覗うことにしたのだった。
そこで彼は見た。黒法衣の怪しい人物とトールダン7世が密会する現場を……。
一等異端審問官シャリベル・ルジャニックは苛立ちを隠せずにいた。
シャリベルは自身の役回りを天職と考えていたが、近頃、彼の欲求を満たすだけの「獲物」と出会えていなかったのだ。そんな折、役立たずの部下が顔を見せたものだから、苛立ちも募るというものである。束ねた長い金髪を緊張で揺らしている新米の部下は、どうやら一通の封書を届けに来たらしい。
「何なのコレは……」
受け取った封書は無記名で、蜜蝋で封じられてはいるが、そこに印は刻まれていない。これでは、誰が書いたものなのかはわからない。
「さ、さあ……今朝方、黒いローブ姿の男に手渡されまして……」
使いの男に差出人の名を訪ねることすらしなかったのであろう無能な部下に、あとでキツイ仕置きでもしなければと考えながら、シャリベルは指先に魔力を集中させ「火」を灯すと、その熱で蜜蝋を溶かしはじめた。的確に蜜蝋だけを炙り、封書に焦げ目ひとつ付けない様子は、彼の火炎魔道士(パイロマンサー)としての優秀性を示しているのだが、件の部下にとっては恐怖の対象でしかない。
鮮やかな手並みで取り出した手紙に目を走らせたシャリベルは、文字を追うごとに自然と自分の頬が笑みで歪むのを自覚しながら実感した。やはり異端審問官は天職だ。
深夜、教皇庁の最上層で夜風に当たっていたヴァンドローは、蒼天騎士とは何なのかを考え続けてきた。もちろん答えは出ている。皇都イシュガルドを政治と宗教の両面から導く、教皇を守る者たちだ。建国の父、トールダンと共に邪竜ニーズヘッグと戦った十二騎士になぞらえ、選りすぐりの十二名の騎士たちが集まる皇都の最精鋭。戦神の大盾に代わって教皇を守り、戦神の数槍に代わって敵を倒す。それこそが蒼天騎士に違いない。
だが、守るべき教皇が、よりにもよって混沌の使者「アシエン」と通じていた。しかも、蛮神の召喚方法について論じ合っていたのだ。それも戦神ハルオーネを招こうというのではない。まったく異なる「何か」を神として呼び降ろそうとしている。戦神を至高の守護神として戴くイシュガルド正教の教えに、反していることは明らかだ。
苦悩の末にヴァンドローは決意した。教皇自身に真意を問いただすしかないと。そして、その返答次第では異端者と断じられようとも、己の剣で……。
決して引き返せない道を、ヴァンドローは歩き出した。夜の静けさで満たされた教皇庁の最深部、教皇トールダン7世の居住区画に通じる門扉の前で、夜警に立っていた部下のエルムノストに一声かける。
「教皇猊下に急ぎ伝えねばならんことがあってな」
「この夜半にでありますか? いったい何が……」
エルムノストの疑問に手を振って答えられぬ旨を伝えると、ヴァンドローは決して余人が立ち入れぬ教皇の私的空間へと入っていった。蒼天騎士団総長でなければ、こうはいかなかっただろう。静かに扉を閉じたヴァンドローは、思わずほっとため息をつく。
だが、しばらく進んだ廊下の先に、人影が立っていた。
「まさか……!?」
どうにか続く「アシエン」という言葉を呑み込んだヴァンドローは、咄嗟に剣の柄に手をかけ、待ち受けるローブ姿の男と対峙する。
「こんな夜遅く、お急ぎのようですが……どちらに行かれるおつもりデ?」
目深に被ったフードを取り払った男の顔には、いやらしい笑みが満ちていた。髪をきつく縛ったその男が何者なのか、一瞬の思考の後に理解したヴァンドローが聞き返す。
「貴公こそ何用だ……。ここは異端審問官風情がいて良い場所ではないぞ!」
男がアシエンではなかったことに安堵しつつも、ヴァンドローは決して油断しなかった。相手が悪評の絶えぬ異端審問官、シャリベルであることに気付いた彼は、状況によっては、一気に間合いを詰めて一刀両断する覚悟である。
「おんやぁ、アタシごときの存在をご存知とは……光栄の極みですコト……」
シャリベルの人を喰ったような物言いに、ヴァンドローの表情が険しさを増す。
「これでも公務中でしてネェ……。異端審問局に寄せられた情報によると、
 何でも今夜ここに異端者が現れるそうでして、こうして張り込んでいたところなのですヨ」
その返答にヴァンドローの表情は、さらに歪んだ。
「まさか教皇猊下が私を……」
いかにして自分の行動が予見されたのかはわからなかったが、この居住区画にシャリベルがいる事実が、ひとつの結論を示していた。教皇自身が、長年仕えてきた自分を排除するために、刺客としてこの下賤な男を招き入れていたのだ。
驚きと悲しみに襲われたヴァンドローだったが、それでも一角の騎士である。次の瞬間、押し寄せてきた火炎魔法の熱から逃れるため、彼は咄嗟に身を投げ出していた。そして、すかさず受け身を取って立ち上がると、盾を掲げて突進する。
対するシャリベルも一流の魔道士だ。不意打ちの初撃を躱されたことに舌打ちしつつも、老騎士の突進にも動じることなく、杖を掲げて魔法を詠唱し始める。
「そおらッ!」
シャリベルが突きだした杖の先端から、業熱の火球が迸り、老騎士の盾に激突する。
百戦錬磨の騎士であるヴァンドローは、受け止めた熱量のすさまじさを実感すると、瞬時に溶解しつつあった盾を投げ捨て、続けざまに剣を一閃させる。
「チッ……老いぼれとはいえ、流石は蒼天騎士って訳かイ……」
飛び退いたシャリベルの右頬は、斜めに裂け、血が流れ落ちている。
「舐めるなよ、小童! 戦の痕跡を遺さぬつもりかもしれぬが、
 このヴァンドロー、加減して倒せると思わぬことだ!」
確かにシャリベルは加減していた。床や壁に無様な焦げ目を遺さぬよう、綺麗さっぱり老体を焼き上げるために。
その傲慢さが失敗だったのか、一連の攻防でシャリベルはいつの間にか壁際に追い詰められていた。もう距離をとって魔法戦を挑むことはできない。だが、圧倒的に不利な状況に置かれながらも、シャリベルは愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。
「久しぶりに楽しませてくれるじゃナイ……敬意を払うに値するワネ……」
翌朝のこと。いつもより少しだけ早く、教皇トールダン7世は独りで居住区画から顔を出した。寝ずの番をしていたエルムノストと、出迎えに来ていた副長ヴェルギーンに対し、教皇は静かに告げた。
「昨晩な、ヴァンドロー卿がわしの私室を訪ねて来て、引退を申し出てきよったわ」
「なんと!? 真でありますか?」
驚くヴェルギーンに対して、教皇は頷いた。
「あれも騎士としては高齢ゆえ、最近では肉体の衰えに悩んでおったらしい。
 昨日は一晩中、わしと語らってな……。今は控えの間で仮眠をとっているゆえ、
 しばらくそっとしてやってはくれんか。あやつにも休息が必要じゃろうて……」
蒼天騎士としての務めに誰よりも強い想いを抱いていた総長が、引退という苦渋の決断を下したことを思い、ヴェルギーンもエルムノストもこみ上げるものがあった。そして、尊敬する総長が静かに休めるようにと、朝の祈りに向かう教皇に付き従い、その場を後にした。
後日、正式に教皇庁から蒼天騎士団総長ヴァンドロー・ド・ルーシュマンド卿の引退と、ゼフィラン・ド・ヴァルールダン卿の総長への就任が発表された。だが、新総長の就任式にヴァンドローの姿はなかった。教皇トールダン7世は、この件に関してヴァンドロー自身のたっての希望を受け、ひとり旅に出ることを許したのだと説明した。
かくして皇都から、最後の蒼天騎士が去ったのである。教皇の居住区画の冷たい石床に、微かな焦げ跡を残して。

「花言葉」


「蒼の竜騎士が、ジャンプで果実採りとは……。
 ……いったい俺は、こんなところで何をやっているんだ。」
確かそんな独り言だったように思う。その時の場面を思い出してアルフィノ・ルヴェユールは吹き出してしまった。
フォルタン伯爵邸に用意されたアルフィノの私室だった。竜詩戦争が終結し、蒼の竜騎士エスティニアンが皇都イシュガルドを去って数日後、深夜になっても寝つけないアルフィノは、床を諦めて木製の机に向かっていた。自らの虚栄心や傲りによって、すべてを失ったあの日。キャンプ・ドラゴンヘッドを管轄していたオルシュファン卿の言葉に心を揺さぶられて始めた手記を開く。
「アルフィノ殿……
 あなたはこのまま、折れた「剣」になるおつもりか?
 ……自身には、もう何も残っていないと?」
ウルダハを追われ、イシュガルドに落ち延び、竜詩戦争にまつわる旅路で、アルフィノは自身の変化を微かに感じていた。オルシュファン卿が雪の家と呼んだ場所で、彼がかけてくれた言葉を思い出し、表面だけを取り繕ってしまった当時の自分を、今のアルフィノは恥じていた。
オルシュファン卿は光の戦士である英雄を「友」と呼んだ。英雄もきっとそう思っていたに違いない。あの時、オルシュファン卿は英雄を助け、そしてその英雄の連れであるという理由だけで、同じ友愛を自分にも与えてくれた。今になってアルフィノは、ようやく自分がどれほどその友愛に助けられていたかを思い知った。時は既に遅く、それを直接伝えることはできなくなってしまったが、数日前、アルフィノはイシュガルドの街を見下ろすことのできるクルザスの丘で、改めてオルシュファン卿にそれを報告したのだった。
さらに、ぱらぱらと手記のページをめくる。
光の戦士、蒼の竜騎士エスティニアン、氷の巫女イゼル、そして自分という奇妙な四人での旅は、アルフィノにとって価値観を揺さぶられる出来事の連続だった。
「言うは易しだな、アルフィノ……。
 お前がグナース族の蛮神と戦うというのなら別だが、
 蛮神討伐となれば、「光の戦士」に頼るほかあるまい?」
グナースの塚でエスティニアンから言われたこの言葉は、捨て去ったと思い込んでいた自分の中の傲慢を思い知らされた出来事だった。これまでアルフィノに対し、ここまではっきりと物を言ってくれる人物は、祖父ルイゾワを除けば妹のアリゼーくらいのものだった。そのアリゼーに対してさえ、自分は心のどこかで彼女を見下していたのではないかと気づかされた。クリスタルブレイブの一件以来、少しでも自分の手足で役に立とうと決めたにも関わらず、舌の根も乾かないうちにとはこのことだ。何より光の戦士である英雄に愛想を尽かされても仕方がないとさえ思った。
アルフィノにとって頭脳と言葉は武器である。だが、その言葉はルイゾワの孫であるという「血」によって支えられた武器だ。アルフィノ自らが力を与えたものではない。「ルイゾワの孫」が放った言葉なのか、「アルフィノ・ルヴェユール」が語った言葉なのか、それは決定的に意味が違う。自分の手や足を動かし、行動と実行ができるようになること。自分は彼が大切だと思う仲間にとって、信用と信頼に値する人物であるかどうか、それが重要だ。そうでなければ、言葉は空虚な音でしかない。感謝を言うのは容易いが、それが心からのものであると信じて貰えるようにならなければ、以前の自分と何も変わらない。
この時は、蛮神ラーヴァナの討伐に向かった英雄とイゼルの帰還が、とてつもなく長く感じられた。自分は光の戦士を無敵の存在だと思っていたのかもしれない。エスティニアンに言われたことが重く圧し掛かる。しかし、それを恥じ入ってばかりはいられない。帰還を待つと同時に、アルフィノは本格的に魔法の鍛錬を始めた。もちろん、これまでも魔法の訓練はしてきたが、それはあくまで実戦を見据えたものではなく、いわば勉強のようなものだった。イゼルに背中を押されたことも大きい。
「アルフィノは、魔法の才がある。実戦で磨いていけば、いい魔道士になるだろう。」
英雄に告げたイゼルの一言が、アルフィノに力をくれた。今すぐでなくてもいい、本当の仲間にしてもらうために、アルフィノはようやく自分の足で歩き始めた。
更にページをめくり、再び手が止まる。
ドラヴァニア雲海。白亜の宮殿を前にして、最後の野営になった日の手記だ。イゼルの作ってくれたシチューはとても暖かく、それまで口にした何よりも美味しかった。旅の途中で教わった薪拾い。エスティニアンすら散々手を焼かされた雲海に住むモーグリ族との出会い。ドラゴン族との対話……。そして光の戦士は、いつも自分を見守っていてくれている。アルフィノはこの旅で、自分の無力さと無知を知った。それは自分も同じだとイゼルもエスティニアンも言う。しかし、彼らはその無知から自分を知り、自分の手で何かを成し遂げようとする意志と力を持っていた。自分もそうならなければならない。それが、未来を託してくれたイゼルへの答えでもあると、アルフィノはそう思うのだった。
「アルフィノ殿、まだ起きておいでか?」
不意のノックに続いて、小声の問いかけがあった。
思わず手にした手記を閉じて応じると、エドモン前伯爵がランプを手に顔を出す。
「今宵はなかなか寝付けず、自分で茶でも淹れようと思ったところ、
 ドアから明かりが漏れているのを見つけたのだ。
 うたた寝でもして、身体を冷やしてはいかぬと思ってな。」
「お気遣い、ありがとうございます。」
アルフィノも眠れず考え事をしていたと告げると、エドモン卿は自らの部屋から毛布を持ってきてくれ、遠慮するアルフィノを遮って暖かいハーブティーを淹れてくれた。聞けばニメーヤリリーの根を煎じたものだという。扱いが難しい植物だと聞くが、エドモン卿の意外な一面を見た気がする。再度礼を告げると、前伯爵は寂しげな表情で言った。
「間もなく、ここを発つのであろう?」
アルフィノが答えようとするのをエドモン卿は遮り、優しく微笑むとこう続け、ドアを閉めた。
「良い表情をするようになられたな、アルフィノ殿。」
エドモン卿が淹れてくれたハーブティーに口をつける。苦味があるニメーヤリリーの根は、そのまま煎じるにしては苦くて飲めない。だが、糖蜜と混ぜることで苦さは和らげられており、前伯爵の気遣いに心から感謝する。アルフィノはふと思った。ニメーヤリリーの花言葉は何だっただろうか?
再び机に戻る。手記は更に続く。
ファルコンネストで行われた、人と竜の新たな歴史の始まりとなる式典は、邪竜の影に憑かれたエスティニアンの乱入によって中止を余儀なくされた。竜詩戦争の真実を知った皇都の混乱が落ち着き、ようやく人々が過去の歴史にではなく、未来に目を向け始めた矢先のことだ。
赤く染まった竜騎士の鎧。その鎧を侵食するように張り付いた二つの邪竜の眼。たとえ友であろうとも、民のためとエスティニアンに矢を番えたアイメリク卿はきっと正しい。だが、アルフィノの心は、エスティニアンを助けたいという気持ちで一杯だった。雪の家でそう打ち明けた自分に、英雄は静かに微笑んでくれた。友を助けよう、と。
その後、竜の眼と対峙した時に感じたエーテルのことは、英雄と二人だけの秘密にしておくことにした。それでいいのだと思う。
「すべてが終わった今、あるのは、すべての死を悼む心だけ。」
アイメリク卿の貴族院議長就任式典が終わると、そう言い残してエスティニアンは病室のベッドから姿を消していた。赤く染まった竜騎士の鎧を残したまま。まったく、あの人らしい。アルフィノに正面から向き合い、容赦なく言葉を投げつけてきたエスティニアン。あの人は、決してアルフィノのことを立場や血筋で判断しようとはしなかった。むしろ、一人の人間として彼を扱ってくれた、初めての大人だったのかもしれない。アルフィノは、兄のように彼を慕っている自分を自覚したのだった。
新たな旅立ちが迫る中、手記を片手にアルフィノはイシュガルド各地を回った。一人旅の道中で、幾度か生き残った邪竜の眷属に襲われもしたが、魔法の鍛錬が役に立った。
霊峰ソーム・アルの頂からドラヴァニア雲海をのぞんだ時の感動。圧倒的な存在だった聖竜フレースヴェルグとの邂逅……今でも足の震えを覚えている。
聖竜の口から竜詩戦争の真実を知ることになり、事態は急変する。英雄とエスティニアンの邪竜討伐、イシュガルド教皇庁での悲劇、そして魔大陸アジス・ラーの空へ輝いたイゼルの想い……。
アジス・ラーへ立ち寄ったアルフィノは、あの日その島に降り立ったその場所に、ひとふさの花束が置かれているのを見つけた。ニメーヤリリーの花束。エスティニアンが置いていったのだろう。なんとなくだが、そう確信する。
思想を異にする四人で始めた旅だった。でも、共に歩む中で、本当の旅の仲間になれた。イゼルの想いを連れて、あの人はこれから自分のために旅をするのだろう。きっと、いつかまた会える。彼はさよならを言わなかったのだから……。
アルフィノはハーブティーを飲み干すと、手記を閉じてベッドに潜り込む。目を閉じて眠りに落ちる瞬間、彼はそれを思い出し微笑んだ。
鎮魂の花としても知られ、星神ニメーヤの名を持つ花。星は旅人にとって行く先の導(しるべ)となる。「旅の無事を願う」それがニメーヤリリーの花言葉。

「荒野を往く少女」


アリゼー・ルヴェユールにとって、「お祖父様の孫であること」は誇りである。
お祖父様……すなわち、第七霊災からエオルゼアを救った賢人ルイゾワは、シャーレアンでも歴史のある、名門ルヴェユール家が輩出した知恵者だ。アリゼーはその孫として、すすんで己を磨き続けてきたし、学生時代には優れた成績を収めるよう努力を欠かさなかった。一方で、名家の子女らしからぬお転婆なふるまいと、優秀な兄への反抗心から培われた「多少の」毒舌を周囲から咎められることもあったが、手本にしているルイゾワとて、どちらかといえば格式張らないお茶目な人だったのだ。それくらいは許容してほしい。
その日、アリゼーは、エオルゼアを巡る旅の途中にあった。
兄や従者はもちろん、冒険者を連れることもない、正真正銘のひとり旅。祖父が命をかけて守った地を、自分自身の目で見てみたいと思ってはじめた旅だった。
このところはザナラーン地方を転々としているが、日中はとにかく暑い。
喉を潤すために仕方なく街道沿いの酒場に入ったところ、唐突に「ふざけるな!」と男の罵声が飛び込んできた。声の方に目を向ければ、簡素な旅装の少女に、大柄な男が食ってかかっている。少女は毅然とした態度で男に言い返しているが、それが余計に気に食わないらしく、男は今にも拳を振り上げそうな勢いだ。
アリゼーは、ため息をついた。野蛮な奴も、幼稚な喧嘩もうんざりだ。しかし同時に、祖父ならばこれを見過ごさないだろうとも、考えてしまったのである。
「この暑いのに、よくわめくわね。黙るのと黙らせられるの、どっちがいい?」
アリゼーの有無を言わせないほど冷ややかな声に、激怒していた男と、怒られていた少女が、そろって間の抜けた顔で振り返る。
それが、アリゼーと、行商人の少女エメリーとの出会いだった。
エメリーいわく「一方的に酷い取引を持ちかけてきた男」を追い払った度胸と腕を見込まれ、アリゼーは、しばし彼女が所属する隊商の護衛を引き受けることになった。ちょうど前任の冒険者との契約が終わって、新たな護衛役を探していたところだったらしい。
その隊商は、都市部と地方の村を巡回するありきたりな商いをしていたが、さまざまな抜け道を活用することで、他よりも速度を出せるのが強みだった。彼らの流浪の生活、交わされる会話、使う道具、すべてがアリゼーにとっては新鮮だ。察したエメリーが解説をしてくれるので、心得た顔で頷いていたものの……エメリーの楽しそうな笑みからすると、興味津々なのは見透かされていたのかもしれない。どうにも恥ずかしくなって、いつも最後にはアリゼーから会話を打ち切った。
そんな生活を続けて数日。
隊商は、錐峰ヶ原の山麓にある村へとたどり着いた。ウルダハの都市部とは比べ物にならないものの、そこそこ活気がある村だということが、往来の人の数からも窺い知れる。
道中、アリゼーの出番といえば、せいぜい道を塞いだ山羊の群れを追い払う程度だった。それでも、すべてのキャリッジが無事に敷地内に入ったときには、つい安堵の息が漏れてしまった。これから、護衛をしてくれる人にはもっと優しくしようと、ひっそり心に決める。
それからしばし、商い支度に追われる人々を眺めていたアリゼーのもとに、エメリーが駆け寄ってきた。
「ねえ、今日はとびきり忙しくなりそうなの。アリゼーも一緒に手伝って!」
「えっ、そんなの無理よ! 私、店の手伝いなんて……!」
抵抗する間もなく、エメリーはアリゼーの手を掴むと、仲間たちが商品を運び込んだ広場へと連行する。簡易の露店と化したそこには、隊商の到着を心待ちにしていた村の住民たちがすでに集まり、並べられた商品をあれこれ吟味しはじめていた。
アリゼーはぎょっとして、わずかに後ずさる。これが双子の兄の方ならば、人好きのする笑みを浮かべて、たちまち輪の中心に立ったことだろう。しかし、残念ながらこの場にいるのは、兄と対照的に孤高を貫いてきた妹の方なのである。そのまま退こうとしたアリゼーを、すかさずエメリーが捕まえた。
「前に話したから、値段はわかるよね? だったら大丈夫!」
「大丈夫って……無責任な! ちょっと、エメリー!?」
抗議の声もむなしく、エメリーはさっそくお客の相手に取り掛かる。唖然とするアリゼーの眼前に、中年の女性が「これ、いくら?」と商品の布地を突き出した。アリゼーは、布地と女性を、思わずしげしげと眺めてしまう。その傍らから、エメリーが一瞬だけ視線を寄越し、悪戯っぽく笑みを浮かべた。
……どうやら観念するしかないようだ。アリゼーは、ますます楽しげに活気づく客たちを見渡して、ふっと息を吐いた。
アリゼーたちの奮闘もあってか、取引は大盛況のうちに終わり、その晩は村の片隅にある古びた宿屋を使わせてもらえることになった。アリゼーは、狭い個室にふたつ並んだベッドの片方に腰掛け、以前ウルダハで購入した呪術関連の本に目を通していた。一日の終わりに書物を紐解き、学んだことをメモ代わりの日記につけるのは、彼女が学生だったころから続けている日課だ。本の中に試すべき記述があれば、翌朝少し早起きをして、実践をすることに決めている。
しかし今夜は、慣れない仕事をした疲れで、読書をしようにも数行ごとに瞼が落ちてくる始末だった。何度か首が傾いた頃に、相部屋のエメリーが、明日の旅程の相談を終えて帰ってきた。ハッとしたアリゼーが、膝上から滑り落ちそうになった本を慌てて押さえたのを見て、彼女は微笑む。
「今日は、つき合わせちゃってごめんね」
「いいわよ、別に。……それなりに面白かったしね」
エメリーは空いている方のベッドに腰掛けると、アリゼーを見てしみじみとつぶやいた。
「勉強、毎日偉いね。お兄さんに負けてられないから、だっけ」
「最初はね。だけど、お祖父様がつきあってくれるようになって、自然と習慣になったわ」
「ふふ、本当にお祖父様っ子なのね。だけどアリゼー、疲れたときは、きちんと寝るべきよ」
おもむろに立ち上がったエメリーが、アリゼーの膝上から本を取り上げ、栞をはさんでから閉じた。「ちょっと、まだ……」と抗議するアリゼーをよそに、エメリーは本を手荷物の山に置き、自身も眠たそうに伸びをする。
「アリゼー、続きはまた明日。私たちは、今日もいっぱい働いて、一生懸命に生きたわ。
 初めての商売の経験までしたんだもの、ちょっとくらい読書のページが少なくたって、
 ナルザル神も……きっと、あなたのお祖父様も、咎めたりなんかしないはずよ」
アリゼーは、その言葉をゆっくりと咀嚼した。いつもなら言い訳だと一刀両断しそうなそれが、胸を温め、ほぐしていく。その優しさは、どことなく懐かしい気がした。
傍らで、エメリーがランプに手を伸ばす。彼女はいつもの花が咲くような笑みを浮かべて、「おやすみ」といって灯を消した。
それが、エメリーと過ごした最後の夜になった。
微かに光を感じて、アリゼーは目を覚ます。
ベッドの上で半身を起こして周囲を見回せば、そこがグリダニアの宿の一室であることを思い出した。時刻は、ようやく夜が明けたころ……どうやら、夢を見ていたらしい。
エメリーとともに旅をしたのは、随分前のことになる。
彼女は、もういない……この世界のどこを探しても。
件の村で商いをした翌日、次の街を目指して発った隊商は、ザナラーンでは珍しい豪雨に見舞われた。視界が悪いため、いつもよりもキャリッジ間の距離を開けて、切り立った崖に挟まれた抜け道を進んでいたときのこと。轟音とともに土砂が崩れてきて、後方の一団を飲み込んだ。エメリーが乗っていたキャリッジもまた、冷えた土の中に消えた。
幸運にも前方にいて難を逃れたアリゼーは、生き残った人々を次の街まで護衛し、そこで隊商と別れた。実感がわかないままその場を後にして、離れた場所から一度だけ隊商を振り返った。少なくなったキャリッジの影に、急に胸が締め付けられて、涙があふれた。
それからはまた、ひとりになって。
出会いや別れを経るたびに、小さな胸に想いを積もらせ、アリゼーは旅を続けている。
目下の目的は、最近、風の噂に聞いた「『暁』とは別の英雄たち」について調査をすることだ。巷ではイシュガルドの騒乱ばかりが取沙汰されているが、その裏で蛮神絡みの何かが動いているとすれば……いずれ、兄たちが足元を掬われるかもしれない。
アリゼーはベッドから降り、窓を開けて、明けの空を見上げた。
今日を、一生懸命に生きること。
瞳にその覚悟を宿して。

「その旅路の始まり」


私は、フォルタン家の使用人である。
勤続年数はそろそろ5年。新人たちには、それなりに良い先輩として慕われていると思う。
しかし我が主たちにとっては、依然、名前までは覚えていない程度の存在だ。フォルタン家の使用人といえば、優に100名を超えているのだから仕方ない。私は早く名指しで用を承るような使用人になりたいと、忠実に日々の仕事に励んでいた。
それは、あの恐ろしい皇都決戦……邪竜ニーズヘッグとの戦いから、しばらく経ったある日のこと。共和制への移行を受けて、皇都中がまだ落ち着かない日々を過ごしていたときの話だ。
フォルタン家の屋敷にも変革の影響は色濃く出ていて、特に情報交換の場である会食の席については、設けられない日がないほどだった。伯爵の位を継いだアルトアレール様に挨拶をしにいらっしゃる方、一線を退いたエドモン様を労いにいらっしゃる方、果ては緊張しきりの庶民院の議員たちまで、とっかえひっかえに伯爵邸を訪ねてくる。
そんな騒ぎの中で、私は廊下ですれ違った家令のフィルミアン氏に呼び止められた。
「頼みがあります。この忙しさでほかの使用人が動けないため、
 責任重大な仕事ですが、あなたに任せてもよいですか?」
もちろんですと背筋を伸ばして返答すると、フィルミアン氏は簡潔に仕事の内容を指示した。それによると、アルトアレール様が新議会から領地の権利にまつわる書類を提出するよう求められているのだが、キャンプ・ドラゴンヘッドの分が手元にないらしい。恐らく現地に保管されているので、すぐに向かって回収してきてほしいということだった。
私は承諾し、近くの窓の外に目を遣る。まだ日は高く、これから出発しても夕方にはキャンプ・ドラゴンヘッドへ到着できそうだ。
……と、私の視線の先を、見慣れた人物が通り過ぎていった。
竜詩戦争を終結に導いた英雄……冒険者であり、フォルタン家の客人でもある、その人だ。
私も常々ご挨拶したいとは思っているが、一介の使用人の身では畏れ多く、遠巻きに賞賛の眼差しを送るのがせいぜいである。
「フィルミアンさん、あの方は、またどちらかへお出かけに?」
「さて……私どもには窺い知れない事情もありましょう。
 ただ、先ほどうちの執事と、過去を偲ぶような話をしていらっしゃったようです。
 もしかしたら、あの方なりの、追憶行に旅立たれたのかもしれませんね」
なるほど、英雄ともなれば、思い返すべきことも多いに違いない。
私は勝手に納得すると、任務遂行のためにその場を立ち去った。
キャンプ・ドラゴンヘッドへは、予定通りに到着した。
現地の騎兵たちに事情を話し、書類の捜索を開始する……が、そこからが難航した。責任者であったオルシュファン様は、指揮机の引き出しに、様々な書類を実に豪快に放り込んでいたのだが、目的の権利書だけがそこになかったのである。兵舎や敷地内のめぼしい場所を探してみたものの、書類はどこにも見つからない。結局本家に連絡をし、数日キャンプに留まって、徹底的な家捜しをする羽目になった。
捜索開始から数日目の深夜、私はひとり、オルシュファン様の私室で書類を探していた。亡くなった主の部屋に手をつけるのは気が引けたが、何度も捜索しているうちに、焦りの方が勝ってきていた。心もとないランプの明かりをかざしながら、半ばヤケになって、机の引き出しの中身を掻き出すように探っていたところ、ふと、その底が二重になっていることに気が付いた。期待に胸を高鳴らせながら一段目の底を外す。そこには、一束の書類が丁寧に仕舞われていた。
「こ、これだ……!」
すぐに束ごと取り出して、内容に目を走らせる。……探していたものに間違いないようだ。
盛大に安堵の息を漏らした私の手元から、不意に、一枚の封筒がすべりおちた。
どうやら書類の間にはさまっていたらしい。あわてて拾い上げて確認するが、封筒には宛名もなければ封もされていなかった。これも関連する書類であったらいけないと、念のため中身を取り出し、目を通す。
……すぐに、私は息を飲んだ。
それは、手紙だったのだ。
亡きオルシュファン様が、ひとりの友に宛てた手紙……。
淡く揺らめく明かりの中に、手紙の文字が、去りし日の想いが、静かに浮かび上がった。
親愛なる友へ
お前は、変わらず元気にしているだろうか?
ドラゴン族による皇都再襲撃の予測……それを受けて、お前やアルフィノ殿が西へ旅立ってから数日が過ぎた。今どこにいるかもわからないお前に、この手紙が届くとも、届けようとも思っていない。つまりは、書き記しただけの独り言だ。
それでも、遠くの空を見ては旅の無事を願う想いを、一度くらいは吐き出さずにいられない。
万が一、これがお前の目に触れるようなことがあったら、まあ、そういうものだと思ってひとつ頼む。
さて。お前は、イシュガルドに招かれて幸せだっただろうか?
それとも、仕方なく逃げ延びた先で、また誰かの戦いに巻き込まれることになり、うんざりしているのだろうか。たとえそうであったとしても、お前は戦い抜いてしまうのだろうと、容易に想像がついて苦笑している。
私はといえば、お前がイシュガルドに来てくれたことを、心から嬉しく思い、感謝するばかりだ。
それは、お前の実に逞しくイイ冒険者ぶりを、近くで見られる機会が増えたという喜びでもあるのだが……何よりも、頼れる友と同じものを目指し、ともに戦えるのだ。心躍らないわけがない!
お前たちが、ウルダハから逃げ延びて、雪の家に転がり込んできた日。
「暁」が灯火を消さんとしていたように、私もまた、お前という友を燻らせてはならないと思った。そこで、どうにかお前たちをイシュガルドに招き入れることができないか、フォルタン伯爵に……父に直訴に行ったのだ。
……白状すると、私は父のことが苦手だ。
恨んでいるわけではない。母にしたって、正しい人であったが故に、己の立場に耐えきれなくなり、私を置いて失踪しただけのこと。父は母のことも、私のことも、愛してくれていたと思う。ただ、それを互いに上手く伝えあえず……私は、フォルタン家に仕える騎士としてしか、あの人と話ができずにいたのだ。
お前のことを頼みにいったとき、当初、父の返事は渋かった。
それまで開拓団への支援などには積極的だった父でも、指名手配中の人物を受け入れるのには、家を預かる者として懸念があったらしい。
諦められずに懇願する私に、父はそこまで固執する理由は何なのかと問うた。私は、お前との思い出を心のままに語った。それは量としては乏しくとも、ひとつひとつが私にとってかけがえのない、驚きと輝きに満ちたものだ。故に、我が友がどのような人であるか、そして私が友を救いたいと願う気持ちを伝えるには、それが一番だと考えた。
思えば、父とあれほど長く話したことはなかったかもしれない。語り切った私をしばし見つめていた父は、ふと目元を緩め、「明日まで考えさせてほしい」と言った。
そしてその翌日、正式に後見人になると、返事を寄越してくださったのだ。
以降のことは、お前も知るところだろう。
おかげさまで、私は以前よりも、本家に顔を出すのが少しばかり楽しみになった。
とはいえお前は大概不在で、また七面倒な役目を背負ってどこかへ旅立っていると聞くたび、私はお前を祖国のいさかいに巻き込んでしまっただけなのではないかと思ったりもする。それについては、文句があったら、いつか酌でもしながら聞くとしよう。
それでも、友よ。
私は、一片の疑いもなく、信じてしまうのだ。
いかなる困難も、決してお前を挫かせることはできまい。
それは今回の旅だけではなく、この先、お前がどこを目指したとしても変わらない。
ひとりで越えられない壁があったとしても、お前が進もうとする限り、必ず誰かが手を差し伸べるだろう。私が今、そうしたいと願っているようにだ。
そしてその困難の先には、必ず新しい景色が待っている。
それを見つけたときにはきっと、大いに、笑ってほしい。
お前の旅路が、最良のものであるよう……
無事を祈っている。
―― オルシュファン・グレイストーン
翌日、私はオルシュファン様の手紙を手に、雪道を駆けていた。
皇都へ帰る直前になって、英雄殿が……あの方が、キャンプ・ドラゴンヘッドへ立ち寄ったという話を聞いたのだ。あの方は、キャンプを出て北へ向かったらしい。そこに何があるかは、屋敷勤めの私でもよくわかっていた。
深い雪に何度も足をとられながら、走って、走って、走り続ける。
あの方は、きっと本当に、これまでの旅の追憶をしていたに違いない。
だとしたら、その旅がいかにして始まることになったのか、この手紙を渡して伝えなければ……!
遠くにあの方の背中が見えて、私はやっと足をゆるめた。
大声でお名前を呼ぼうとして……咄嗟に口をつぐむ。
あの方は、オルシュファン様の慰霊碑を、ただ静かに見つめていた。
ここからは見えないものの、どうしてだろう、微笑んでいるのではないかと思った。
もしかしたら……この手紙に書かれているようなことは、とっくにご存じなのかもしれない。事実としてはどうあれ、そこに込められたオルシュファン様の想いは、すでにあの方の胸の内に宿っている……不思議と、そんな気がしてならなかった。
手紙を握りしめる手から、微かに力が抜けたそのとき、一陣の風が吹き抜けた。
私が「あっ」と声を上げたときにはもう遅く、手紙はこの手をすり抜けて、雪原から空へと舞いあがる。まるで、見えない誰かが導いているかのように、それは高く高く昇って……
やがて、空に溶けたのだった。