俺でも聞いたことのあるようなタイトルのゲームなら、ほぼ制覇しているような友人から授かった(笑)言葉です。<タイトル
ゲームって、利益にならないじゃないですか。
それならなんでゲームをやるのかっていうと、楽しむためだと思うんです、大抵は。楽しむためって素敵なことだし、楽しいっていいこと尽くしなんだけど、「楽しむためにやる」ってことは、見方を変えれば「欲望を満たすためにやる」ってことだと思う。
欲望を満たすのは気持ちが良くて、その中でも、ビデオゲームっていうのはすごく早い段階から、この、プレイヤーを気持ち良くさせることに長けていて、しかもそれなりに長い歴史の中でカタルシスを満たす技術を磨き、今なお研鑽し続けて、プレイする人達を気持ち良くさせ続けています。
覚えた快感を反復するっていうのがこれがまた、長くなるので割愛しますが。
頭に描いた快楽の道筋を途中で妨げられることに苛立ちを覚える仕組みがあるんですよね、脳って。夢中になればなるほど冷静さを失うことは想像に易いほど、快楽というのは生物にとって強いものです。
あらゆる諍いは理想と現実の比較から起こる、との言葉通り、多分、「こうあるべき」が失望を呼ぶんじゃないかというのも分かる。
では、自分が誰かから、お前は自分の思う「こうあるべき」じゃない!と指を差してなじられた時、どうするか。
色々方法はあると思いますが、自分の場合。
なるほどなあとしかその感情については取り合わず、内容に耳を傾ける、というのが、今のところ最適解かなあと思います。
悪意を過剰に恐れないこと。他者の苛立ちに反応し過ぎないこと。
それから、他人を変えることはできないと知ること。
自分が、他人からああしろこうしろと言われても、できないこともやりたくないこともあるように、自分が望むように相手が振る舞ってくれるという約束は、どこにもありません。
じゃあ、悪くなっていくに任せるしかないのかと、諦めることなかれ。
誰かにああしろこうしろと言われた時、その通りだそうしてみよう!と、思うこともあるんじゃないでしょうか。
人は他人を変えることはできません。ですが、少し影響することはできるんじゃないかな。
期待することなかれ。けれど、諦めることなかれ。
幸福や理想への道はいつも遙か遠いけれど、「方向を間違えず」「歩み続ける」ことができるなら、仮に到達することが難しくても、進む度に近付いていくものだと思います。