「なぜFF16はFF1を強く意識したのか」同じようにFF1を強く意識しているFFオリジンの描き方を見て、ひとつの仮説にたどり着きました
発売が近いFFオリジン[2022/3]とFF16[2023/6]が、どちらもFF1を引用したのは (事実)
FF1の「前」と「後」を、同じテーマを込めて描いたからだ (仮説、検証不可能な)
まぁここだけ読んでも狂人のたわごとですが
他の人にも伝わりやすいよう2部構成で記事を書きます
1.FF16がFF1をどのように引用したのかを読む
2.それを踏まえて「FFらしさ」やFFシリーズ全体に共通するテーマを読む
イメージ図
■概要:「FF1三部作」をつなぐ2つのテーマFF16を「FF1を再解釈した作品」という視点を補助線にして読むと
エンディングで本が出た理由、人間の自立(運命論に対する自由意思)、そして、神話が歴史になり、歴史が物語になって語り継がれていくというテーマが浮かび上がると思いました
この記事ではFF16とFF1、FFオリジンとFF1の関係性を「FF1三部作」と表現します
それに、FF1の40周年を前に「FF1三部作」が密かに作られたと読めるのはロマンがあるよね
まず「FFオリジン→FF1」と「FF16」を2つの大きなテーマでつなげます
今回は細かな共通点やモチーフは探しません、どうしても「こじつけ」っぽくなるので
・表のテーマ別世界から来た異邦人に管理・依存させられた人間の世界を、光の戦士が取り戻す
・裏のテーマ光の戦士が戦った記憶が薄れ、人間は再び依存の歴史を繰り返してしまう
■表のテーマ:光の戦士の活躍光の戦士の活躍はゲーム内ストーリーの通りなので、もう知ってると思います
大きな存在に未来を定められてしまった人間が、自分たちの手で未来を決めるため立ち上がる
このストーリーの骨格は「FFオリジン→FF1」と「FF16」でほぼ同じ構造ですね
いちおう簡単にまとめると
・FFオリジン→FF1天空人が世界を再創造するためクリスタルを与え
人間はそれに依存して自主性を失っていく
ジャック・ガーランドは天空人の支配から人間の世界を解放し、自らが敵となって人間を導き・育て
光の戦士がガーランドを倒し、人間が自らの意思で歩む世界を取り戻す
・FF16アルテマが世界を再創造するためにクリスタルを与え
人間はそれに依存して自主性を失っていく
アルテマは人間を導き・育て
クライヴがアルテマを倒し、人間が自らの意思で歩む世界を取り戻す
■裏のテーマ:歴史は忘れ去られるここで問題になるのが、FF1エンディングで語られた
「4人が過去へ旅立ち、戦ったことは誰も覚えていないはずだった」この一文です
これが裏のテーマにつながります
光の戦士がカオス=ガーランドのループを断ち切り世界を救ったとしても
人々は歴史を、教訓を忘れ、いつかまた光と闇のバランスが崩れてしまう
もうひとつ未解決のループ構造が残り、単純なハッピーエンドでは終わらないのがFF1です
まぁエンディングの中にその先の答えも書いてあるので、そこへ向けて記事を続けます
■真の裏のテーマ:物語は語り継がれる表面的な解釈
・表のテーマ=「光の戦士」が光
・裏のテーマ=「人間たち」が闇この2つのテーマは光と闇の対比と読むこともできますが
単純に人間たち=闇として否定するものではありません
その先にもうひとつのテーマがあると語るための前置きとなっています
たしかに闇を生み出したのは人間たちの負の感情でしたが、そんな闇に覆われた世界で2,000年もの間ずっと、そして何度も希望を抱きながら生きるたくましさも持っています
たしかにベアラーを使役する人もいましたが、同じ世界には"常識"を変えて助け合う人もいました
それに、そもそも光の戦士もまた人間です
人間は闇と光、つまり弱さと同じだけ強さも持っていることが語られています
では、人々の強さはどこから来たのでしょうか
ゲーム本編では、光の戦士が世界を救うと予言が語り継がれて、これを希望としていました
そして、本編の活躍を描いた「ファイナルファンタジー」の本をFFオリジンは大臣が、FF16ではジョシュアの名で書かれ、再び人々の間で光の戦士の物語と教訓が語り継がれていきます
この希望を抱いて前へ進むループ構造が真の裏のテーマじゃないかと思います
光の戦士という英雄の力やクリスタルの加護が大きいのもたしかですが、その戦いに力を貸した人たちが大勢いて、船や飛空艇を作ったり、命がけで戦ったりした人たちも含めて「光の戦士の物語」なんだと思います
■まとめ:FF1三部作の視点から読むFF16・表のテーマ:光の戦士の活躍
・裏のテーマ:歴史は忘れ去られる
・真の裏のテーマ:物語は語り継がれる「人は忘れてしまう、けれど、想いを語り継ぐことで未来へ希望をつないでいける」これがFF16を「FF1三部作」として読むと見えてくるテーマです
FF16で象徴的に描かれていた本は、FF1(またはファイナルファンタジー全体)の想いを継承していることを表現しているんじゃないかと思いました
大いなる存在と人間が戦った神話はいつか歴史となって、そこで生きた人たちの「人間は自分たちの意思で未来を決めることができる」という想いや願いが物語として次の世代へと語り継がれていく、これを1冊の本に託して力強く描いていると思います
だからこそ、FF16のエンディングでは画面上に何も表示されていませんが
この本を知っている私たちなら、あの言葉が流れているのを思い浮かべることができると思います
>忘れないで欲しい、この世界の輝きがいつも正しい方向に向くように
>またいつか人間たちは困難に直面するかもしれない
>でも世界は変えられる
>だって「2000年の時を越え戦っていたのは君なのだから」「光の戦士だったあなたなら、きっとやれる」
FF1が発売した40年前に現実世界のプレイヤーへ送られたポジティブで温かいメッセージが、FF16でもう一度わたし/あなたへ届けられたのだとしたら
この「忘れる」という未解決のループ構造が、ただの悲しい繰り返しで終わらずに、人々の想いを未来へ託す希望のバトンとして読めることを表現してるんだと思います
■さらに広げて:FF16から読む「FFらしさ」ここからもう一歩広げると「FFらしさ」、FFシリーズ全体に共通するテーマが見えてきます
まず1つ目のFFらしさは「英雄譚、語り継ぐ」だと思います原点のFF1に込められた想いですし、シリーズ作品全体から感じられると思います
ここは長いので補足に書きます
この「英雄譚」と「語り継ぐ」はどちらも普遍的なモチーフと反論されそうな気もしますが、これを40年間ずっと描き続けてるシリーズ作品と付け加えれば「FFらしさ」と呼んでいいんじゃないかなと思います
例えばスコールくんのように決戦前でもカードゲームをする姿からもFFらしさは感じますが
FF16のようにミニゲームやサイドクエストを極限まで削ってもFFらしさがあるのは、この根底にあるテーマが共通しているのが理由かもしれないですね
それにFF1はメインクエストだけだったところも原点回帰かも (15パズルは隠されてたけどね)
そして、2つ目のFFらしさに「挑戦」を付け加えたいと思います英雄譚を読んで面白かったと思ったり、「この人みたいになりたい」と道徳的な教訓を感じるのは本や映画だけじゃない、ゲームでもそれが可能だ!と挑戦したのがFFだったと大きく書きます
そして実際に40年経ったいま、ゲームがひとつのジャンルとして確立してるのはすごいですよね
これが「ゲームでどんな体験を伝えられるか」という挑戦として今も続いていると思います
例えばFF16はドラマを見るんじゃなくて体験できるゲーム
前作のFF15はオープンワールドで旅を体験できるゲームだと感じました
ただオープンワールドがあるだけじゃなくて、それによってどんな体験を伝えたいのかまで作り込まれていると感じられるところが「FFらしさ」なのかもしれません
■さらに・さらに広げて:「FFらしさ」はプレイヤーが遊ぶことで完成する最後にもうひとつ視点を広げてみると
この記事のようにFFらしさとは何かと語ったり、クライヴ生存説のように作品の感想を語ること
そして、プレイヤーがFFを遊んで、FFがゲームの最前線を40年間ずっと走り続けること
これ自体が語り継ぐというFFのテーマを体現していると言えるんじゃないかと思います
よくエンディングのスタッフロールで流れる「and you」が実感を伴って感じられますね
以上がFFオリジンを遊びながら感じてた
「FFオリジンが前日譚、FF14漆黒が外伝、FF16が後日譚を描いたFF1三部作」の内容を、他の人が読めるように書き直したメモです
もちろん何一つ根拠はありませんが「なぜFF16であの本が登場したのか」と考えたらこうなりました、こんなメッセージが込められていると思いながらFF16のエンディングを見るとすこし幸せな気持ちになれると思うので、個人的にはけっこう気に入ってます
補足に書いたとおり、FF16はFF15の視点やFF8の視点から読むこともできます
FFといえばクリスタルなので、視点を変えると違った輝きを見せるのがFF16と言えそうですね
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■補足や雑記ここからは読まなくていいです
※裏のテーマ=「人間たち」が闇について補足表面的な解釈として人間=闇と書きましたが、正確には自立した人の世界を失う=闇です
FFオリジンとFF16では人間が自立しなくちゃいけない理由として、クリスタルの便利な力の裏に大きな陰謀が隠されていると描かれていました
でも、ジャックもクライヴも光の戦士も「救世主」だけど「完璧な救世主」じゃないので、クリスタルの力を取り戻すか壊すの2択で荒治療しかできません
そんな彼らの行為を見てデメリットを責め立てたり、「任せれば何とかしてくれる」といった態度の人たちが両方の作品で共通して取り上げられていて、それが「闇」として描いているんだと思います
もちろん、現実世界で例えれば発電所を壊すのと同じだから、その態度になるのは分かるけどね
この辺の話はFF3で描かれていた光と闇のバランスの思想を受け継いでいそうだよね、光=善、闇=悪の単純な図式じゃなくて、どちらかに偏ると世界が崩壊するからバランスが大事ってやつ
※この記事はFF1三部作の話じゃないのでは?「FF1三部作」をまず書いてから「FFらしさ」を持ち出すドア・イン・ザ・フェイスです
というのは嘘で、FFオリジンを遊んだときにループで忘れてしまう仕組みと、そんな状況でも覚えてい続けてくれる人がいることの尊さを見てFF1とFF16のエンディングがつながったことが自分のなかでは大きかったのでFF1三部作を大きく取り上げました
それを組み立てる根拠を説明すると「FF16からFFシリーズのテーマを読み解く」になる感じです
そのせいで回りくどく積み重ねないと結論にたどり着かないのは困りましたがw
もうすこし説明すると、FFオリジンではFF1のオープニングのフレーズを引用しながら本を書いて(探求の旅が始まり)、FF16はFF1から直接の引用はほぼ無いけど感じ取れるものがある(探求の旅が終わる)、そして最後にファイナルファンタジーの本が登場した理由を想像するとFF1を中心とした三部作が見える
というのが記事の前半
そして、後半でこのつながりをFFシリーズ全体に広げて
FF15は旅と写真、FF14はマザークリスタルや「ならば覚えていろ」と言った人がいて黄金はまさに語り継ぐことが主題です、そのFF1外伝ともいえる漆黒で引用されたFF8のテーマは記憶、零式もそうですし、ちょうど遊んでたFF2でも「忘れる、しかし語り継がれる」とエンディングで語られています
そして、FF6まではオーソドックスな英雄譚、FF7からは英雄の孤独や犠牲を描いてる印象があります
英雄譚と語り継ぐこと、これがFFらしさだ!と言い切るのは誇大妄想の狂人かもしれないですね
妄想ついでにもうひとつ「FFシリーズはFF1を再解釈している」の例を挙げてみます
・FF1「光の戦士の予言、タイムトラベル、光の戦士のことを忘れる」
・FF8「過去のママ先生に伝えたことでSeeDが生まれて、G.F.の副作用に立ち向かう」
FF1の物語を換骨奪胎してFF8の物語になったというのはどうでしょうか
FF8とFF16はどちらも「FFっぽくない」と言われるけど、物語から原点のFF1を感じられて面白いよね
他にも、
前の日記で書いたように
>「王子が英雄になることを決意するまでの物語で、すべての召喚獣の力を集めて、対になる技を使う存在と戦って、世界と使命のために自分の命を落とす」を旅の側から描くとFF15になるし、物語の側から描くとFF16になる
FFシリーズが同じテーマで作風を変えてると読めば、FF16は「というおとぎ話」、FF15は「その英雄の素顔」になっている描かれ方の違いを楽しめますし
これも
前の日記で書いたように
>「人の可能性を信じる」ってテーマが共通している気がするんですよね
FF16とFF8は物語の構造が似ていて......ロードストーンの文字数制限ですね
※素晴らしい考察を見つけた!ようやく見つけました
Patrick Rainville Music Analysisの考察は素晴らしいですね
Final Fantasy XVI Music Analysis Part 1 - Character Themes厳密に言えばテーマそのものではないけど、パート3でFF1とFF16のつながりをしっかりと導き出したのには感心したし、Stand By Meとプレリュードのつながりを発見したのは見事です
※クライヴとジャックの話モチーフを見つける面白さも捨てがたいので細かいところを挙げると
「FF16のBGMはFF1を参照している」
「FF16の空の文明と、真の姿がフェニックスと融合して翼がはえるのはFF1の天空人がモチーフ」
といった感じで、FF16からFF1を感じる要素はあったけど、FF1とFFオリジンを遊ぶまではただの過去作のファンサービスくらいにしか受け取ってませんでした
それからFF1とFFオリジンを遊んで、もしかして想像以上に深いつながりがあるのかも?となって
主人公のジャックとクライヴはまったく似てないけど、ふたりとも自分の名前を捨ててるのに「おおっ」となりましたね、人間にとって大罪人のカオスとシド、たとえ人類の敵と呼ばれても折れずに前へ進み続ける力強さを感じたし、人間の弱さを強調しているような気もします
ここは「闇が濃いほど小さな光を見つけられる」って感じでしたね
それに、世界を救ったのは結果論で、途中まで天空人/アルテマの思惑通りに世界の再創造=人間の大崩壊に向かってたけど、だからこそ、その運命に抗って未来を勝ち取ったことが光り輝くと思います
まぁジャックは誉めたところで「俺は戦うのが好きなだけだ」とか言いそうだけどね
もうひとつ、仲間たちに背中を押されて最終決戦に臨む構図が同じなのも面白いよね
どのゲームもだいたいそうでしょ?と言えばそうなんだけど
FFオリジンはエンディングの手前までずっと「変なゲーム」だけど、エンディングでFF1を知っていれば鳥肌が立つような感情の持って行きかたをして上手いし、してやられた!!!となる攻めたゲームです (知らないとエンディングもよく分からないまま終わるはず)
この「変なゲーム」な感じは「FFらしさ」のひとつだと思っていて、FFは変なシーンがたくさん積み重なっていくけど、大事なシーンはすごく真面目に描くみたいなゲームなんだけど、FFオリジンはその「変」が100倍くらい濃い
でも、FF16はまったく逆で、ずっと真面目で変なシーンがひとつも無くて、最終決戦のいちばん大事なところで突然「変な」シーンを持って来る
たぶんFF16が好き嫌いが別れてる理由はここじゃない?って気がするよね、変なシーンって話題にしやすいし印象に残るけど、FF16はそれが最終決戦の結末しかないから話題にするかネタバレ防止かで悩むし、真面目なストーリー部分は一部を切り取って話題にしづらいせいでポジティブな発信はかなり少なくなってる気がする
こう書くと批判一辺倒っぽく見えるから個人的なFF16への評価を書くと、「話題にしづらい」と「ミニゲームとサブクエを徹底的に削るとこんなにメインクエストに引き込む力が強くなるのか」の2つが並立してて、映画とかドラマを「見る」じゃなくて「体験」できるゲームになってて面白かったのはたしかだけど、話題にはしづらいなって感じです
あと、FF16は「変な決め台詞」が無いよね、FF8でサイファーが魔女の騎士に憧れて剣の構え方を真似したように、クライヴとジョシュアの必殺技とか特徴的な構え方を子供たちが真似をするエンディングだったら「語り継ぐ」が形になって良かったなって感想はあったりもします
こんな感じでモチーフ探しを続けても、これ以上は広がらないのでこの記事はこれで完成とします
→ 「
あとがき的なもの」
→ 「
”完成版”のあとがき的なもの」
ほぼ初版の記事を残しておきます
AIと壁打ちをしながら校正するとどうなるか
この記事のもうひとつのテーマだったんですが、記事の変わり方が見れて面白いですね
最終的に言いたかったことは初版と最終版に違いはないけど、記事のスタンスが「自分用のメモ」から「他の人にも分かるよう書いた記事」になったのかなと思います、そのぶん文字数が1,600文字から9,000文字に増えてるけどね
他責的に言えば、人間の読解力を信じてた、自責的に言えば、説明を怠った
・表のテーマ 別世界から来た異邦人に管理・依存させられた人間の世界を、光の戦士が取り戻す
・裏のテーマ 光の戦士が戦った記憶が薄れ、人間は再び依存の歴史を繰り返してしまう
ストーリーの骨格は「FFオリジン→FF1」と「FF16」でほぼ同じ構造でゲーム内の話=表のテーマ「光の戦士」の活躍だからいまさら説明しません、簡単にまとめると
◆FFオリジン→FF1
天空人が世界を再創造するためにクリスタルを与え、人間はそれに依存して自主性を失っていき、ジャック・ガーランドが(天空人から解放する寄り道の後、人間を奮起させるため自らが敵となって)人間たちを導き・育て、(ある意味で)主人を裏切った光の戦士が世界の自由を取り戻す
◆FF16
アルテマが世界を再創造するためにクリスタルを与え、人間はそれに依存して自主性を失っていき、アルテマは人間を導き・育て、主人を裏切ったクライヴが世界の自由を取り戻す
問題は、その後のFF1エンディングで語られた
「4人が過去へ旅立ち、戦ったことは誰も覚えていないはずだった」 という部分です
これが裏のテーマの鍵になっていて、光の戦士たちがループを断ち切って世界を救っても人々は教訓を忘れ再び光と闇の戦いが始まってしまう......もうひとつのループ構造のせいでFFオリジン→FF1からFF16へとつながってしまったわけです
表のテーマ「光の戦士」が光
裏のテーマ「人間たち」が闇
と、捉えることもできますがちゃんと希望も込められています
人間たちは闇を生み出したけれど、それと同時に闇に覆われた世界でも2,000年の間ずっと何度も生き続けてきたたくましさがある、ベアラーを使役してきたけれど、助け合った人たちもいる
それにこのFF1エンディングで語られた「ファイナルファンタジー」の本はFFオリジンの大臣と、FF16のジョシュアによって書かれていて、人間はただ忘れるだけじゃなく教訓を後世に語り継ごうとしています
つまりFF16のエンディングで画面上には何も流れませんが、この本を知っている私たちはこの言葉が流れているのを思い浮かべられるはずです
>忘れないで欲しい、この世界の輝きがいつも正しい方向に向くように
>またいつか人間たちは困難に直面するかもしれない
>でも世界は変えられる
>だって「2000年の時を越え戦っていたのは君なのだから」
「光の戦士だったあなたなら、きっとやれる」と、40年くらい前にプレイヤーへ送られ続けたポジティブなメッセージがFF16でももう一度わたし/あなたへ届けられたとしたら、FF1のループ構造が前向きなものとなった三部作になるんじゃないか、そんな仮説を立てながらFF16のエンディングを見るとすこし幸せな気持ちになれる気がする
と、前回オリジンを遊んで思った「FFオリジンが前日譚、FF14漆黒が外伝、FF16が後日譚を描いたFF1三部作」をもう少しちゃんと書き直したメモです
※補足すると、クリスタルへの依存そのものが悪ではなく光の戦士が取り戻した自立した人間の世界を失うことを悪としてます
たしかに光の戦士は救世主だけど「完璧な救世主」じゃないからクリスタルに力を戻す/壊す荒治療しかできません、そのメリットを見ずにデメリットを責め立てたり、光の戦士に任せればすべて何とかしてくれるはずなのにという場面はFFオリジンとFF16どちらでもあってその部分を悪としてる感じです(そうなるのも分かるけどね)