返礼とは実に困難なものだ。
贈与の影、或いは、贈与以上のものが潜む、極めて繊細な舞台だ。
軽すぎても、重すぎても、いけない。
求められるのは他者への配慮と、自己の誠意の均衡である。
軽すぎれば無関心や軽薄さとなり、
重すぎれば過剰や押し付けになり、
どちらにせよ、受け取る側の心に、無言の傷跡を刻む。
基準は、私の胸中ではなく、贈り主の世界にある。
その手が、どれほどの価値を、どれほどの思いをそのモノに注いだのか。
この基準こそが、返礼を最も難解なものにしている。
贈られたものの真価を、私たちは本当には、知ることができないのだから。
「どうするの……これ……」
私はいつもその断絶を前に立ち尽くす。
かつて、私は様々な奇策を試みた。
概念の手を借り、不確定性を逆手に取り、時には嘘をも重ねた。
しかし、それだって正解だったかどうか、未だに分からないでいる。
この断絶は避けられない。
思考を放棄し、打ちのめされることを避けることも、もちろん出来る。
結果は変わらないのだから。
けれど、変わらない世界の前で、私は考えずにはいられない。
同時にこうも思うのだ。
分からないからこそ、私は想像する。
見えぬ価値を想い、手の届かぬ意志を追う。
それが、私が贈与に触れる唯一の方法ではないだろうか。
「受け取った」という確信さえ、幻であるかもしれない。
それでも、「何かがあったかもしれない」という可能性をゼロにしないためには、想像という手を伸ばすしかないのだ。
そう、私は欲深く卑しい生き物。
返礼の困難さに、眉間に皺を寄せながらも、贈与に想いを馳せ、可能性まで舐め回す強欲なきつね。ペロペロ…
返礼とは、倫理と認識、想像と欲望の境界を、文字通り手探りで渡る行為である。
私は、それを愛してやまない、強欲なきつねである。