まず初めに。
とあるヒカセンのブロガーさんが他界されて、はや1年になります。
個人的にブログを読んでいた閲覧者の1人でしかない私ですが、そのブロガーさんのことは今でも尊敬しています。
そして。
貴方が望み思い描いていた世界が、いまこんなに多くのヒカセンであふれていますよ。
実際の旅立った日がわからない。
けど、だからこそ、ここにメッセージを付させていただきます。
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さて、いよいよアーリーアクセスを明日に迎えました。
数多くのヒカセンが終末に週末で挑む闘い(笑)。
思い起こせば、エメトセルクが教え残した「古代人」という種族のこと。
話した分だけ分かり合える…という、おだやかで他者を疑ったり排する考えを持たない純粋さは、結局のところ何かのきっかけで疑心暗鬼なったりでもしたら、あっという間に燃え広がって焼き尽くすのは分かるような気がします。
現在エオルゼアでは信仰とは別に、苦痛等による創造魔法で疑似蛮神が降りているような近況。
もしも古代人と同じように創造魔法が使えてしまったりしたら、あっというまに終末が降りてきそうですな。
仲間を守りたいという願いですら、他者を退ける暴力になる。
急きょメインストーリーを振り返ってみた…結局、サブキャラでは紅蓮編の終盤まで。
想いに残ったのは、アジムステップの太陽神アジムと月神ナーマの物語。
そして何よりも、蒼天編「ルキア」の言葉。
「幼いころから神に祈ったことはなかった。ところが、大切な人が出来てからは無事を祈らずにはいられなかった。祈りとは本来こうした素朴なものなのだろう」 個人的な考えを模すと、私も個人的なことだったら争いごとを出来るだけ避けると思う。
でも、仲間や家族の為だったらもしかしたら暴力に手を染めるかもしれない。
乱れた理を律したゾディアークって、たぶんそういうものなんじゃないのかな。
だとしたら。
ここから先に続く物語はいったいどんな答えを示すのだろう。
枷であったハイデリンによって何を得たのか。
そんな物語のこたえはもう目前に迫っている。
だから。
こんなにも沢山のヒカセンたちといっしょに。
その願いをつれて、結末を見に行ってみようと想っています。