キャラクター
思うところあって、今回もこのような文章を書いております。
今回もFF14とは無関係な文章です。
見に来てくださる皆様には申し訳なく感じつつも書かせていただきました。
この文章もまた、完全な「自分語り」です。
ご興味無い方はスルーしていただければ幸いです。
かなり昔の漫画からの引用です。
※ここから引用
こんな言い方、遊びみたいだけれど・・・・。
AはBが幸せでなければ幸せではない。
だから ↓ ↑ なぜなら
Aは不幸せ。
なぜなら ↓ ↑ だから
相手を幸せにはできないから(負い目)。
だから ↓ ↑ なぜなら
Bは不幸せ。
なぜなら ↓ ↑ だから
BはAが幸せでなければ幸せではない。
ねぇ・・・・。
AはBが好きでBはAが好きなんだ・・・・。
だけど。
AはBが幸せでなければ自分は幸せではないと思ってしまい、
BはAが「Bが不幸せなために自分は不幸せなのだ」とBに感じさせるので、
Bは負い目を感じてしまい、
BはAが幸せでなければ自分は幸せではないと思ってしまう。
どうどうめぐりはどこかでやめなきゃね・・・・。
しまいには疲れて・・・・。
相手を忘れようとして忘れられるならいいけど・・・・。
無理に嫌おうとしても一層不幸になるよ。
そうしてAもBも不幸のままでいるよりも。
どちらかが先に幸せになってやることはできないんだろうか・・・・?。
ボクはそれが苦手なんだけれど・・・・。
「彼」はいつもそうしてボク達を幸せにしてくれたよ・・・・。
だからボク達は「彼」が大好きだったよ・・・・。
※ここまで引用(ほぼ原文ままです)
この引用の文での「主旨」?はあくまでも、この作品でこの作者が伝えたかったことのほんの一部でしょう。
読者の方たちの「受け止め方」もそれぞれだと思います。
私自身も、「先に自分が幸せになって、相手を幸せにさせる」ということは、どちらかというと苦手な方でした。
しかしながら、「子供がおいしそうに食事をする様を見て幸せに感じる母親の心境」を考えれば、恐らく「そういうこと」なのでしょう。
さて。
この日記に示すことが「何」に当てはまるのかは、ここをご覧になった方たちのご想像にお任せしたいところではありますけれど。
この漫画は、年端も行かない4人の少年たちが、それぞれの事情で家を飛び出し、子供たち4人だけで世間を生きていくというお話です。
本当は「普通に」愛し愛されたかったのだけれど、自分たちが望まぬ理由から、それが叶わず、大人たちの中で「自分の在り方」を探し続けた少年たち。
まだ「自分で決める」ことさえままならぬ年齢で、数少ない「選択肢」から「自分の居場所」を求め続けた少年たち。
そして彼らは物語の最後に、それぞれに「自分の在り方、居場所」を「決めて」いこうとします。
「自分の在り方、居場所」。
当たり前のことですけれど、私たち「大人」には、「方法」も「選択肢」も、自分次第で、いくらでもあります。
逆に、「自分で選べる状況にある」ことはまだ幸せな方だと思えば、肩の力も抜けるのではないでしょうか。
現に、世の中には、大人であっても、「自分の選択肢など全く無い」ままに、厳しい現実(戦争や災害など)に翻弄されている人たちも在るのですから。
そして。
「自分にとって楽な方」を選ぶのも、「楽ではないけれど、本当は目指したい方」を選ぶのも自分次第です。
私は弱くずるい人間なので。
本当は心の奥底で、「これは自分にとっては楽な方、ある意味『逃げ道』であると解っていても、それを「正当化」する理由を必死に並べ立て、理論武装し、無理やり自分を納得させて、「そちら」を選択してきたことも多々あります。
もちろん、「自分で選んだ道」なので、結果についてはどのようなものであっても受け入れて、次にどうすべきかまた必死に考えて「選んで」きました。
その結果に全く後悔しなかった、と言えば嘘になります。むしろ失敗の方が多かったかもしれません。
他人様にご迷惑をおかけしたことも度々です。
でも。それでも。
「現在(いま)」の私自身のことを、自分で評価?した場合。
決して「嫌い」ではありません。
どちらかと言えば「好き」です。
間違っても表彰されるような人物ではありませんし、所謂「成功者」でもありません。ごく普通、人並みの「オバサン」ですw。
リアル人付き合いでも、良好な関係の人もいれば、苦手で敬遠したい人もいます。
仕事だって順調にいく時もあれば、なかなか狙ったようにいかない時もあります。
でも。
「現在(いま)」の「自分」が「結果」として「ここ」にいることが、自分にとっての「財産」であるとは思っております。
私はそう思える自分が「好き」です。
「周りの人を愛する」ということは、決して後ろ向きな選択ではないでしょう。
ただ。
同じように「自分も愛して」ください。
たとえそれが時間の必要なことだとしても。
少なからず。
「自分を嫌いになってしまう」という選択はしないでください。
決して利にはなりませんので。
「その先」に「あなた」の「在り方、居場所」が見つかることでしょう。
ここまでこの拙い文章を読んでいただいた方々に、心からお礼申し上げます。
私も物事を難しく考え続けるほうですけれども、リサさんの過去に何があったとしても、誠実に話してくれる今のリサさんが好きという方々も多いのではないでしょうか
リサさんにとって私が苦手な部類の人になったら反省しますけれどもw
戦争は全人類が相手を許して愛して助け合って争わなくなるまで続いてしまう、一見解決が不可能に思える問題のようにも思えますけれども
人工知能による監視社会を完璧に作り上げて犯罪を全くできないようにしていけば多少は変わっていくと思いますし
そこまでしないと人類は変わらないというのも情けない話ですが、今まで人類が不可能と思ってきたことを可能にする水瓶座生まれの私としてはアイデアが次々と閃いてきますし、口先だけでは終わりたくないから私なりに地球を変える気で行動していきます。
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>Eve Edenさん
コメントといいねをありがとうございます。
「難しく考える」ということも、時には必要とは思いますけれど。
何事にも「表」と「裏」があるということ。片や「表裏一体」という言葉が示す通り、結局は「その時の状況次第」ということだと思います。「良くあれ」と思って実行することが、「自分にとって」なのか、「他人にとって」なのか。なかなかに難しいことですよね。
りささん、ありがとうございます。
胸に手を当てて考えてみました。
正直に言います。
私は周りの人を愛するために、自分の気持ちを「多少」騙し、誤魔化しています。
自分と合わない人や苦手な人に相対したとき。
「この人は悪い人じゃない。きっと良いところがある。この人だって誰かの子供であり、誰かの親であろうから…。」
このように自分自身を説得する作業をすることがありますから。
それに、易きに流れるなんて日常茶飯です。
明日から本気出す。(出さない)
みたいなこと繰り返してます(笑)
でも…だからといってこの様な自分を憎むことはありません。
私は私が好きです。
理想的な人間になれるとは思っていません。
(近づくことはあっても)
私は未だ制作中の未完成品です。
ある意味、自分自身に期待しています。
色んな人、色んな事、色んな気持ち、どれも全てに真面目に向き合って生きていくのはしんどい。時には逃げてもいいし知らんぷりしてもいいと思うんです。自分に嘘をつかないようには生きていきたいですけど、それが難しいのも人間たる所以。
自分が手を伸ばしたい、伸ばせることしかできませんしね。死ぬ時にもうちょっとわかるようになるのかな、と思って生きてます😇
とんちんかんなコメントになることをお許しください。
自分の、関わる全ての人を好きになれるようには、人は出来ていません。
正直に、心が好きと声をあげる人を見つめるべきです。
幸せは、自分の行いによって喜ぶ人の笑顔に、分かり易く見えるものです。
相互に幸せを持ち寄ることで、人の心に喜びが生まれます。
自分に愛を思えなければ、人を愛することはまやかしに終わります。
自身を愛する思いが、人を愛することに重なるのです。
とんちんかんで、的外れなコメントで申し訳ありません。
お気を悪くなされませんように。
>Hana Mooncircleさん
コメントといいねをありがとうございます。
私たちは聖人君子ではありません。時には卑しく賢しい考えをしてしまうことも多々あります。でもそれは年齢に関係なく、誰しも同じですね。多くのことを嚙み砕いて消化して、紆余曲折を経て自分のものにしていく・・・・。
「自分自身に期待している」。とても前向きで素敵な考え方だと思います。そういうHanaさんに私も(陰ながら)期待させていただきますね^^。
>Miu Ringoさん
コメント、いいねをありがとうございます。
そうですね。「嫌いなものは嫌い」「ダメなことはダメ」。どんな場合であっても、必要であれば、それをはっきりと意思表示できることが理想でしょうけれど。そうもいかない場合も時にはありますよね。時には嘘をついてでも、その場をまとめなければならないこともあるでしょう。なかなか全てが理想通りにはいかないのが現実、ですね。
>Chihaya Akasakaさん
コメントといいね、ありがとうございます。
私の場合は、「自暴自棄にならずに自分を大切にしてほしい」という気持ちでしょうか。
片や「汝の隣人を愛せよ。されど、垣根を取り除くことなかれ」と自分を律する気持ちも大事かと思います。
なかなかにヒトの感情というのは複雑で難しいものですね。
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リサさん こんにちは。
私にはとても難しそうな内容かなと思って少しずつ拝読させていただいたのですが、今の私にはちょうど感じる所が多ったです(もっと早く読めばよかったです←)
以前よりずっと忙しくなったり責任も負わなければらない立場になったり…正直なところ参ってしまう(それこそ投げ出したくなる)時がしばしばあります。
リサさんが仰るとおり、私自身のことが嫌いになったり後悔することが既にわかる選択をしたら後々までいいことにはならない気がします。
また悶々とした時にこちらの日記を読み返したいと思います。
※短いながらゲームをしている時間やリサさんの日記を含めロドストでのやり取りは私の癒しになっています。ありがとうございます😊
>Ryoku Chaさん
コメントといいねをありがとうございます。
「自分の心が折れそうになってしまった時に、何が自分の心の拠り所、支えになるか」。
それは「愛する人(たち)」だったり、「大切なもの」だったり、「趣味、業余、ホビー、余暇活動」だったりするでしょう。
「それ」を何に求めるか、は人それぞれですね。
私ごときの日記がそれほどまでの「効能?」があるとは思いませんけれど、読んでいただいた方たちにとって、何らかの「きっかけ」への一助になれたら幸いです。
エオルゼアでは間もなく「星芒祭」です。お互い存分に楽しみましょう^^。
どんな状況でも、自分を一番肯定してやれるのは自分、と思っています。
やらかしもするし、至らないところもあるけども。
それでも、私は私であってよいのだ、と。
何もかも全部まとめて、それが私なのだ、と。
フォローありがとうございます。
>Hana Nagiさん
コメントといいね、そしてフォローをありがとうございます。
とても嬉しいです。
「何もかも全部まとめて、それが私なのだ、と。」
私も今はそう思っております。
以前に何かで読んだ一節にこんなものがありました。
「私は私。それ以上でもそれ以下でもない。」
「自分は心弱い。いつも正しい道を選べるわけじゃない。でも、出来得るかぎり。前向きに進んでいきたいと思う。」
Hana Nagiさんのお言葉、とても励みになります。ありがとうございます^^。