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White Knight

Juliette Blancheneige

Alexander (Gaia)

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『Mon étoile』(2)後

公開
2-2

 テオドールら冒険者たちとの邂逅から、十二日後。
 ヤヤカはついに、ヤフェーム湿地へと辿り着いていた。
 決して簡単に至れたわけではない。
 モードゥナ方面からの侵入が不可能であったため、一行は代替ルートを模索しなければならなかった。
 いくつか出た案の中で最も実現可能と思われたのが、リムサ・ロミンサから海路で侵入する道であった。
 ヤフェーム湿地はメルトール海峡を挟んで、バイルブランド島の対岸にある。だが、湿地と正対するバイルブランド島側の岸は外地ラノシアよりさらに深いオ・ゴロモ――コボルドの勢力圏であり、立ち入るだけでもリスクがある。
 ゆえに、海路で海峡を渡り、湿地へ行くのが危険度の少ない航路だろう。ヤヤカたちはそう決断した。
 肝心の船に関しては、モモディの協力がものを言った。冒険者ギルドを通じ、協力してくれる船主を探してくれたのだ。
 船主は案外早くに見つかった。過去テオドールたちが海賊から積み荷を奪還した仕事の依頼者だった船主である。彼はその時のことを非常に感謝しており、彼らに恩を返せるなら……と、二つ返事で引き受けてくれたのだった。
 そして、熟練の船乗りである船主とその船の航海士(巴術士でもある)によって、ヤフェーム側の状況も明らかになった。
 おそらくは第七霊災の影響による地形の変動により、湿原側の岸は入り組んだ岩壁が連なっていること。また、点在する岩礁の影響で複雑な海流が続き、停泊して一行の帰還を待つことが困難であること。
 検証の結果、船はドラヴァニア寄り、海流の安定した湿地の北側へ向かうことになった。ヤヤカの期待する遺跡があると思われる湿地中央地帯へは距離があるが、最初の一歩はより安全に考慮する必要がある。やむを得ない決定だった。

 停泊した船から小舟で浅瀬に向かった一行は、海岸の岩場と湿地の水草が混在する場所で小舟を止めた。砂浜のある海岸線などはなく、ひたすら岩場と水草が絡み合い、海と湿地の境界をあいまいにしていた。
 テオドールら冒険者が先に岩場に降り立ち、周囲を警戒する。周辺には虫や水鳥、魚など以外には生命の気配――つまり、モンスターの気配はなかった。
「この辺りは安全そうですね……」
「ああ。だが足場が狭ぇし不安定だ。ここはキャンプにゃ向かねえな」
 リリとメイナードの会話の最中に、テオドールはヤヤカへ手を差し伸べる。ぎこちなくその手を握り、ヤヤカはどうにか岩場へと渡ることが出来た。
「ここが……ヤフェーム湿地……!」
 視界の先に広がるのは、重苦しい曇天と、一面の背の高い植物たち。まばらに生えるねじくれた木。そして彼方に見える、突き出たような岩山。
 残念ながら周囲には、遺跡のような建造物は見受けられない。
 ここに文明があったという痕跡は、何一つなかった。
「進みましょうか」
 荷物を背負い直したテオドールが促す。頷いたヤヤカを、テオドールは自分たちで囲むように立った。先頭がテオドール、左右にリリとメイナード、後方にノノノ。全周囲を警戒しながら、まずは岩場を伝って陸地へと移動する。
 伝説が真実であれば、千五百年以上人の訪れたことのない場所だ。当然人が踏み固めた場所などあろうはずもなく、岩場の不安定さにヤヤカは途中何度も滑り落ちかけた。
 細い岩場を進む。一列にならねば進めないところでは、背の高いテオドールとメイナードが水の中へ入り、ヤヤカが滑り落ちるのを防いでくれた。
 やっと陸地へたどり着いたとき、ヤヤカは地面の確かさに安堵して、その場にへたり込んでしまった。 
「やっと……! やっと着いたわ、地面があるのがこんなに嬉しいなん……」
「静かに」
 テオドールの抑制された、しかし鋭い警告に、ヤヤカは口をつぐんだ。それだけの厳しさを、目の前のナイトは身にまとっていた。
 気付けば他の冒険者たちもまた、テオドールと同質の緊張を以て周囲を警戒している。
「……リリ」
 テオドールがミコッテに小さく呼びかける。目を閉じていた――耳をそばだてていたのだろうか?――リリが、囁きを皆に返した。
「十は下りません。藪にひそめるくらいの大きさですが、明らかにこちらを警戒しています」
「こっち」
 ノノノがぼそりと呟き、右手で指し示した。
「手薄」
 ノノノとヤヤカを除く全員が頷きあった。行くぜ、とメイナードがヤヤカに告げたが、ヤヤカは意味を呑み込めていなかった。
「待って……何? 何が起こってるの?」
 自分では声を潜めたつもりだったが、テオドールを含め全員が眉をひそめた。
「生命の気配がします」
 テオドールの説明を、リリが引き継いだ。
「呼吸音の分かり辛さからすると、多分、百蟲綱です。でも……推定される大きさはヤヤカさんくらいです」
 自分と同じくらいの大きさの昆虫と聞いて、ヤヤカはぎょっとした。それはつまり。
「それだけの図体を維持するのに、その辺の草だミミズだってわきゃあねえだろ。おそらく大型の獣を狙う狩猟型だ。てこたぁ、俺らも狙われる可能性があんだよ。分かったら行くぜ」
 性急な早口でメイナードが説明する。だが、だからこそ、とヤヤカは思った。
「それを……採集したいんだけど」
「あァ!?」
 決して軽い気持ちで言ったわけではない。が、冒険者たちの反応は芳しくなかった。
「だって、未知ならなおのこと、早めに知っておいたほうがいいと思うし、それに、部位だけでも持ち帰って比較したり……」
「ヤヤカさん」
 テオドールが跪き、ヤヤカを見た。
「仰っていることはわかります。我々はただ土地を眺めに来たわけではない。それは承知しています。――しかし」
 言いながら、テオドールは周囲を見た。ヤヤカもつられて視線を流した。メイナードは少し先へ歩き、槍を担いでこちらを見ている。苛々しているのがはっきり分かる。リリは藪へと体を向けているけれど、ちらりとこちらを見返した。焦っているように見える。ノノノは、表情がうかがえなかった。ただ、杖を構えたまま動こうとしない。
「ここは誰も安全地帯を知らない場所です。負傷した際、退避して治療や休息をする場所がどこにあるのか……はたしてそういう場所があるのかすら分からない。相手の数も分からない。そんな状態で、倒したモノの採集や観察を行えるとは思いません」
「……それは……」
「今は、無用な衝突を避けるべきです。まずは安全地帯の有無を確認し、そこが最初の拠点になりうるかどうかを判断します。すべては、それからだとお考え下さい」
 何もかもテオドールの言う通りだった。自分はこのフォレスターにたしなめられてばかりいる。悔しかったが、どうしようもなかった。
「分かっ……」
 ヤヤカが言いかけた、そのとき。
「メイナード!」
 リリが叫ぶとほぼ同時に。メイナードの側面にあたる草叢から、巨大な生物が水飛沫とともに現れた。生い茂る草に隠されていたが、水場になっていたのだ。
「――ッ!」
 それは、巨大な鰐だった。大きめのチョコボキャリッジに匹敵するだろう長さの鰐が、巨大な顎を開いてメイナードへと飛びかかり――躱された。咄嗟に体を捻ったメイナードのすぐ横を、巨体が過ぎ去り、そして即座に旋回した。恐るべき身体能力だった。
「リリ、ヤヤカさんを頼む!」
「はい!」
 立ち上がったテオドールがそのまま走り出す。返事をしたリリが、ヤヤカに自分の後ろへ来るように促した。が、ヤヤカは動けない。おどろきと鰐の威容へのすくみ、それから――駆け出したテオドールから、目が離せなくて。
 テオドールが盾を投擲する。眉間へヒットした打撃は鰐を怒らせた。鰐の敵視を奪った自由騎士は、そのまま鰐の横を走り抜けて振り返る。仲間たちへ鰐の背を見せるようにして、テオドールは攻撃を開始した。
「ヤヤカさん!」
 リリに強く呼びかけられ、ヤヤカはようやく我に返る。わたしの後ろへ、と促され、慌ててリリの後ろへと回った。
 向き直ったヤヤカの視界の先で、激しい戦いが始まっていた。

 鰐は頑丈で、しかも無尽蔵に思える体力を有していた。
 決して機敏ではないため、冒険者たちの攻撃は確実に鰐へダメージを与えている。が、それにも関わらず、鰐は冒険者たちを攻撃し続ける。全体的な身のこなしは鈍重だが、噛みつきや尻尾での殴打、それから体当たりといった瞬発力を生かした攻撃は恐ろしく早く、回避のタイミングも図り辛かった。
 どちらかが倒れるまで殴り続けるような、激しい戦いだった。
 テオドールが鰐の牙をいなしきれず、牙が肩へ食い込む。鎧を貫通はしていないが、重量が容赦なく彼の体力を削る。
 すかさずリリの回復魔法が飛ぶが、一気に回復させることはできない。この世界においては生命の誰しもが、エーテルの流れを体感できる。ヒトに分類される種族はむしろその感覚が弱く、野生の動植物のほうがむしろその感覚に優れている。彼らは技術的な習得なくとも、身に備わった原初の力で魔法に等しい現象を起こす。
 ゆえに、回復魔法という形での過剰なエーテル消費があれば、知能のない動物であっても彼らの気を引いてしまう。眼前で戦う獲物を生かし続けているのがその回復魔法だという道理を知らなくとも、エーテルの消費が多ければ、いわゆる“敵視”を回復役に向ける契機にはなるのだ。
 まして、今はヤヤカという守護の対象を抱えての戦闘だ。間違ってもリリの側へ鰐の敵視を向けるわけにはいかなかった。

「大丈夫……なの!?」
 揺らいだ体勢を立て直すテオドールを見ながら、ヤヤカは思わずリリへ問いかけてしまう。
「大丈夫ではないです!」
 リリが即答し、
「でも――大丈夫にするんです!!」
 叫びとともに魔法を放つ。尾の一撃を食らったメイナードへ、牙の連撃を耐えたテオドールへ。
「テオ」
 意外なところから意外な大声が発せられたので、ヤヤカは驚いて声の主――ノノノを見た。
「リリがもたない」
 ヤヤカは思わずリリを見上げた。彼女の顔が青白くなっていることに、ヤヤカはようやく気付いた。
「心得た! 敵の手の内も見えました。一気に行きましょう!」
「応ッ!」
「りょ」
 テオドールの答えに、メイナードとノノノがそれぞれ応えた。
 メイナードの槍が勢いを増した。防御を考えない捨て身の攻撃だ。同時に、眩く、そして激しく輝く魔力の爆発が鰐の頭上で炸裂した。
「――!」
 断末魔の叫びをあげて、鰐の巨体から力が抜けた。冒険者たちの、勝利だった。
「や……った?」
 ヤヤカの声をきっかけにして、冒険者たちは臨戦態勢を解いた。メイナードは槍を支えに膝をつき、リリはその場にがっくりと崩れ落ちた。テオドールは剣を収めると、大きく息を吐き、目を閉じて天を仰いでいた。どこか祈るようなしぐさだと、ヤヤカは思った。一人ノノノだけが、疲れたそぶりもなく周囲を見渡していた。
 たった一戦で、冒険者たちはかなりの消耗を強いられていた。
「大丈夫……なの?」
 さきほどと同じ問いを、ヤヤカはリリを助け起こしながら発していた。
「だいじょうぶです」
 疲労困憊の態のまま、それでもリリは即答した。すぐ回復しますから、と言って、リリは座ったままヤヤカに笑いかけた。
「おう、学者先生」
「――えっ、わたし!?」
 突然メイナードに今まで呼ばれたこともない呼ばれ方をしたので、ヤヤカはびっくりしてメイナードのほうを向いた。苦笑したメイナードが、鰐を槍でつついた。
「待ちに待った採取チャンスだぜ」
「あ……っ」
 初めて冒険者の戦いを間近で見た衝撃で、自分が目的をすっかり忘れていたことにヤヤカは気付いた。おっかなびっくり鰐に近づく。死んでいたとしても、その巨体は恐るべきものだった。荷物を下ろし、膝をつく。
「だめ」
 不意にノノノの声がして、ヤヤカはまたも驚いて声の主を見た。
「さっきの奴らが来る」
「チッ、そういうことか」
「屍肉喰らいということですね」
「さっきの奴ら……」
 “おそらく昆虫”と呼ばれた、未だ姿を見せないモノたちのことだろう。そして、それは死体を食す生物ではないか、というのがリリの見解のようだ。
 おそらくその昆虫たちは、この鰐の死体を主食としているのだろう。彼らもまたエーテルの感知能力を持ち、そしてそれは生命の持つエーテルが消失する気配――つまりは“死の気配”に敏感なのだろう。
「……だったら、急いで離れないとダメね。百蟲綱の中には、死肉食だけど、ヒトに襲い掛かって『能動的に死肉にする』モノもいるって聞いたことがあるわ」
 ヤヤカは言いながら採取の道具をしまった。荷物を背負い直す。不思議と、悔しさはなかった。それよりも、彼らに、無駄な戦いをして欲しくなかった。
 少し驚いた顔をしたメイナードが、ああ、と頷いて笑みをヤヤカへ返した。茶化すような笑いではなく、しっかりとした理解者へ向ける笑みだ。
 そうだ。もう、驚いてばかりではいられないのだ。自分が唯一貢献できる余地がある――知識で、彼らを支援するのだ。
 メイナードに頷きを返すと、ヤヤカは少し先で待っていたテオドールへ声をかけた。
「行きましょう。全員の安全が最優先でしょう?」
「はい、仰る通りです」
 テオドールが頷いた。それを合図に、再び隊列を組んで、ヤヤカたちは探索を再開した。

 その後。
 一行は幾度かの交戦を経ながら生き延び、どうにか安全といえる高台を見つけた。その場で土壌や植物の採集をして、それが今回の調査での数少ない採集物となった。
 そこから小舟を置いた浅瀬まで戻り、待っていた船へ帰還した。約七日の行程だった。
 ヤヤカたちの調査は、これで終了した。

「……もう終わってしまった……」
 帰路の甲板で、ヤヤカは誰にともなく呟いた。折から湿地には霧が発生しており、船からではもう見えない。見えないけれど、ヤヤカは食い入るようにそちらを見つめていた。
「もう、終わりなの?」
「え?」
 ノノノに突然話しかけられることは、もう慣れてきた。けれど。
「これで。ぜんぶ、終わり。……なの? ヤヤカ」
 名前を呼ばれたのは初めてなので、やっぱりヤヤカはびっくりしてしまった。
「……そうね。ううん。終わりじゃないわ」
 ヤヤカは向き直って、冒険者たちをみた。いつの間にか、全員がこちらを見ていた。
「これじゃ足りない。全然足りない。だから――また、あなたたちを雇えるように頑張るから! だから……」
 うつむき加減になる自分を叱咤して、顔を上げる。しっかりと、彼らを見据えた。
「また、よろしく……お願いします」
「おうよ。期待しねえで待ってるぜ」
 即答したメイナードに、リリがすかさず噛みついた。
「メイナード! 失礼でしょ!」
「一生懸命なのはいいけどよ、無茶はすんなって意味だよ」
「言い方! ――あっ、ヤヤカさん、でも後半の発言はわたしも同意ですので! 待ってます。けど、無茶はダメですよ!」
 リリの横でノノノが何度も何度も頷いているのが可笑しくて、ヤヤカは笑った。
「ヤヤカさん」
 テオドールが跪いて、ヤヤカを見た。このフォレスターは、いつでもヤヤカに話しかけるときは目線を合わせようとする。
「私たちも、この依頼に関しては完遂できたとはいい難い、と思っています。――ですので。捲土重来を期する機会をお与えくだされば、光栄です。モモディにもそう伝えます」
 優しい笑み。彼がただ優しいだけの男ではないと、ヤヤカはもう知っている。そして、だからこそ、ヤヤカはこの優しい笑みを見られるのが嬉しかった。
「ありがとう。ぜひ、お願いします、テオドール・ダルシアク」
「ええ、お待ちしていますよ、ヤヤカ・ヤカ」
 差し出されたテオドールの手を握り返す。大きくて傷だらけの手だ。その手を何よりも頼もしく思い、ヤヤカは強く握り返した。

(3章前編へ続く)
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