「星々との約束」

晴れ渡る青空の下で、スフェーンは死者を想い、祈りを捧げていた。
そこはエバーキープの最上層。かつて、新生アレクサンドリア連王国を統べた武王ゾラージャが最期を迎えた場所だ。国民の永久人化を推し進めていたカリュクスとの対決を経て、この国では、レギュレーターによって封じられていた死者の記憶を解き放つ、「記憶返還」が希望者に対して行われてきた。そうして死者の記憶を取り戻した民からの要望を受け、この最上層では幾度目かの葬儀が執り行われている。葬儀といっても、近親者が献花台に静かに花を手向けるだけのささやかなものだ。それでも、スフェーンは遺族に望まれれば必ず参列するようにしている。

巨大なドーム状の魔法障壁に覆われている新生アレクサンドリア連王国では、雷雲の上に位置する最上層であっても、直接太陽を見ることはできない。しかし大気中の微粒子が、障壁を貫通して届いた太陽光を散乱させるおかげで、空はどこまでも優しい青に染まっている。
本日の葬儀も無事に終わり、死者との大切な思い出を胸に抱え直した参列者たちが、惜しむようにしながら、ひとりまたひとりと日常に戻っていく。そうして、スフェーンのほかに最上層に留まっているのが、喪主を務めた故人の妻と数名の職員だけになったころには、空は茜色を帯び始めていた。
故人はサカ・トラル出身のトナワータ族の男性だった。献花台には白い花と一緒に、彼が生前好んでいた嗜好品や、数々の思い出の品が手向けられている。スフェーンが後片付けをしている遺族に声をかけようとしたとき、ふと年季の入った革表紙の書物が目に入った。

「それ……主人のものなんです。
 障壁に閉じ込められる前に、トライヨラの商人から買った冒険物語だとか。
 娘が大好きで、幼いころによく読み聞かせていました。
 おかげで中は娘の落書きだらけですけどね」

そう言って彼女がパラパラとページを捲ると、余白を自由に駆け回る可愛らしいロネークたちが目に飛び込んできて、スフェーンは思わず笑みをこぼした。

「ふふ、なんだか懐かしいな。
 私の魔道書にも、昔描いた落書きが残ってるんだよ」

いつか大切なものを護れるようにと両親から贈られた魔道書の余白には、幼き日のスフェーンが描いた動物や魔物たちが気ままに顔をのぞかせている。それを見た王国騎士のオーティスは「世紀の傑作だ!」などと、こちらが恥ずかしくなるほど大真面目に褒めちぎり、同じく王国騎士のゼレニアも「上手に描けましたね」と、任務中の厳しい表情からは想像もつかないほどの優しい笑みを向けてくれた。
途端に懐かしさで胸がいっぱいになり、スフェーンは大切な思い出を欠片もこぼさないようにそっと目を閉じた。記憶のなかの私たちは笑っている。

『私がもっと上手に魔法を使えるようになったら、ふたりと一緒に戦えるよね?』

『ええ、スフェーン様ならすぐに上達しますよ』

『何を言うか! スフェーン様を危険な目に遭わせるわけにはゆかぬ!』

『そういうことは、せめて私に勝てるようになってから、
 言ってほしいものですね、オーティス』

『ぐぬぬぬぬ……』

『ふふ、じゃあいざとなったら、みんなでアレクサンドリアを護ろうね』

西の空に輝くひときわ明るい宵の星に、遠い日の私たちは、アレクサンドリアの平和を約束したのだ。
いつまでも溢れてきそうな思い出にそっと蓋をして、スフェーンは辺りを見回した。落書きの主である娘の行方を尋ねると、葬儀に参列するのを嫌がり、結局最後まで姿を見せなかったのだという。どうやら故人の一族に伝わる死生観が、その原因にあるらしい。言い伝えによれば、死によって肉体を離れた魂は空へと旅立ち、星となって地上の人々の行く末を明るく照らすのだ、と――。

「夫の記憶を取り戻した娘は、その話を思い出したに違いありません。
 この本の物語でも語られる星々の伝承を、娘は強く信じていましたから……」

スフェーンは、ふと空を見上げて星を探したが見当たらない。太陽光とは違って魔法障壁に阻まれ、星の光が届かないのだ。そうと知った娘が、最愛の父を弔う場として納得できなかったのも頷ける。娘の名はウェディケといい、スフェーンが眠っていた400年を差し引けば、さほど変わらない年齢だった。アレクサンドリア人に独自の死生観があるように、他の地域からやってきた人にも信ずるものがあって当然だ。この国を見守る理王としても、共に生きる仲間としても、それを尊重せずに見て見ぬふりなどしたくない。あの人が眠りから目覚めた私の心に寄り添い、大切な思い出を護ってくれたみたいに。

「……あの、ウェディケと話してみてもいいかな?」

昇降機でソリューション・ナインまで降りてきたスフェーンは、恐縮する母親から聞きだした情報をもとに少女を探し始める。彼女の話では、この時間であればユーペ円形農地に手伝いに行っていることが多いという。
スキャンポート方面に向かい、念のためインフォメーションセンターで売店を営むリアンダーに、ウェディケを見かけなかったか尋ねてみる。以前話したときに驚いたのだが、彼は通りを行きかう人のことを、とてもよく見ているのだ。

「その子なら、たしかにここを通りましたよ。
 いつものように農地に向かったのでしょうが、少し気落ちしているように見えましたね」

そう言うとリアンダーは人気商品の「天使のおやつ」を二つ手渡した。きっと元気が出るから、あの娘と一緒に食べてほしいと。スフェーンが慌てて代金を支払おうとすると、「理王様が召し上がったと噂になれば、商品にも箔がつきますから」と、こちらに気を遣わせない物言をして笑みを浮かべる。リアンダーに丁重に礼を言い、スフェーンはキープの外へと急いだ。
ヘリテージファウンドに出ると、アウトスカーツを通ってユーペ円形農地へと向かう。この集落で最初にできた知人のひとり、農務役のマフーサを見つけると、事情を説明しながら尋ね人について相談してみた。

「聞いたよ、あの子も記憶返還を受けたんだってね。
 最近よくロネークの世話を手伝ってくれていたんだけど、それもお父さんの影響だったんだ。
 大事な記憶に違いないけど、すぐに受け止めきれなくて当然だよ」

そう語ったマフーサが指さした家畜小屋の隅で、スフェーンはうずくまるトナワータ族の少女の姿を見つけた。人の気配を感じたのか、少女はゆっくりと顔を上げる。その目は真っ赤に泣き腫らしていたが、目の前の人物がスフェーンだと気がつくと、途端に目を丸くした。

「えっ……スフェーン様!?」

「あなたがウェディケ……だよね、驚かせちゃってごめんなさい。
 お母様からキミのことを聞いて、話してみたいと思ったの」

スフェーンは彼女を集落の外れに連れ出すと、並んで座り、「天使のおやつ」を差し出した。そして慎重に言葉を選びながらも想いを伝える。立場も生まれも関係ない、ただあなたの力になりたいのだと。最初は戸惑っていたウェディケも、次第にぽつりぽつりと心のうちを話してくれるようになった。

「葬儀の場所が気に入らなかったわけじゃないんです。
 昔、父さんと星を見にいこうって約束をしてたことを思い出して……。
 雷雲の向こうには、たくさんの星々が輝いている――それらは自分たちの先祖で、
 地上での役目を終えたあとに、空で旅を続けているんだって。
 彼らはいつだって私たちを見守ってくれていて、勇気を授けてくれる大切な存在なんだって」

しかし障壁の外に出られるようになる前に、彼女の父親は病気で亡くなってしまった。思い出したその事実を受け止めきれないうちに、葬儀の場所からも星は見えないと知って、いよいよ気持ちに整理がつけられなくなってしまったのだという。
同じタイミングで記憶返還を受けた母親も悲しみに暮れていたので相談もできず、農場で父が育てていたロネークの世話をするようになったのだと教えてくれた。

「こんなことなら、約束なんてしなきゃよかった……」

記憶を取り戻しても、故人が戻ってくるわけではない。約束を果たせないまま娘を遺して、父親はどんなに無念だっただろうとスフェーンは想いを馳せる。きっと先王……もうひとりの私は、彼らのような人々を見捨てることができなかったから、必死でリビング・メモリーに記憶を繋いで、遺志を護り続けたのだろう。
だけど私たちは、悲しみを超えて生きていかなければならない。それに、誰かが果たせなかった約束を、受け継いだ者が果たせることを私は知っている。

「なら……私と一緒に、星を見に行こうよ!」

戸惑うウェディケの手を引き歩き出す。荒野の移動に危険が伴うことは事実だが、魔力が戻った今であれば魔物を追い払うことくらいはできる。このまま進んでいけば、障壁の外に出て夜空を見上げることだってできるだろう。
だが、ここで思わぬ再会が待っていた。

「おおーい! スフェーン!!」

よく通る声の主は、隣国トライヨラの武王ウクラマトのもの。その背後から理王コーナと、アレクサンドリアの武王権限を継承した少年、グルージャが姿を現したではないか。ここでスフェーンは、明日の予定を頭に浮かべる。前武王ゾラージャの葬儀を行おうとしていたのだ。人々に多くの犠牲を強いた彼を、国を挙げて弔うことはできなくとも、遺族である彼ら――特に息子である幼いグルージャの気持ちを整理する場は必要であろうと考えての決断だった。

「公務に空きができたから、予定より早く出発したんだ。
 到着したらお前に挨拶に行こうと思ってたんだけど……どっか行くのか?」

不思議そうな彼らに事情を説明するや否や、「ドームの外に行くなら、案内と護衛はアタシたちに任せてくれよ!」と言い出したのは、いかにもウクラマトらしい即断即決ぶりと言えるだろう。隣国の王族が護衛を買って出るという突然の事態に目を白黒させているウェディケに、トライヨラ連王国の理王コーナは穏やかに語りかける。

「トナワータ族のお父上は、トライヨラの大切な民でもありますから。
 亡きお父上との約束、果たしにいきましょう」

そうして王三人、王候補一人を伴った、小さな小さな旅が始まった。
ヘリテージファウンドを南下したスフェーンたち一行は、前哨基地ヴァンガードを抜け、ほどなく障壁の外へと出ることに成功する。

「あ、あれ……ついさっきまでは晴れてたのに」

グルージャが空を見上げて、焦りを滲ませた声で呟いた。すでに日が傾きつつある荒野の空は、灰色の薄暗い雲で覆われている。

「南の方なら、まだ雲に切れ目が見えます。
 シャーローニ荒野の方まで行けば……」

コーナが言い終わるよりも先に、ウェディケが言う。

「やっぱり、もういいです……!
 ごめんなさい、私がわがままを言わなければよかったんです」

スフェーンは自分よりも少し背の低い少女の両手を取り、まっすぐに瞳を見つめて言う。

「大丈夫、諦める必要なんてないよ!」

スフェーンがウクラマトに目配せすると、彼女はわかってるぜと言わんばかりにニッと笑って頷く。そしてすぐさま、リンクパール通信でサカ・トラル・レールロード社に連絡を取ってくれる。シャーローニ荒野とアレクサンドリアを繋ぐ鉄道を運行する会社だ。
通信を終えたウクラマトが言う。

「アタシたちが乗ってきた最終便が、まだ出発してなかったみたいでさ。
 乗車許可をもらえたぜ!」

ウクラマトの言葉どおり、停車場には青燐機関車が待ってくれていた。運転士のニトウィケが窓から半身を乗り出し、「そういうことなら、雲の切れ間まで走ってやろうじゃないか!」と頼もしく請け負う。
生まれて初めて鉄道を目にし、おっかなびっくりのウェディケを励ましながら、スフェーンたちは客車に乗り込む。列車はゆっくりと動き出し、次第に速度を上げていく。高く聳えていた障壁がだんだんと遠のき、その形を認識できるようになったころ、窓の外を見ていたグルージャが嬉しそうに声を張り上げた。

「ウェディケ空を見て! 雲が途切れてるよ!」

同時に列車が減速し始め、やがて、荒野の真ん中で停車した。ウェディケは恐る恐る外に出て、空を見上げる。初めて目にした星空は物語に描かれていたとおり、果てしなく広大で、その優しい光は命そのものだと感じた。息をするのを忘れるくらいに、信じられないほど無数の星々が頭上で美しく輝いていて、目を離すことができない。

「あれが……星……?」

ウェディケは、思わず夜空に向かって手を伸ばしていた。

「これで約束守れたよね、父さん……」

静かに涙を流すウェディケの横で、スフェーンもまた、アレクサンドリアの国民たちと交わした、たくさんの約束を思い出していた。果たせた約束も、果たせなかった約束も。それでも、その約束が、私を未来いまへ繋いでくれていた。

先王あいつとの約束があったから、今のアタシがある。
 共に生きることはもうできなくても、願いを連れて、同じ路を歩むことはできるんだ」

そのとおりだ、とスフェーンも思う。約束というものは、同じ未来を共有するための契りなのかもしれない。だとしたら、これからも私は、アレクサンドリアの未来をたくさんの人たちと約束していきたい。雲の上に預けたかけがえのない記憶を胸に抱いて、明日が楽しみになるような、そんな心躍る未来を。

グルージャが近くの丘を指さして言う。

「ねえ、あそこからならもっと星が見やすいよ!」

グルージャが駆けだし、ウクラマトとコーナもその後を追う。スフェーンはウェディケに手を差し出して言う。

「私たちも一緒に行こう!」

涙に濡れたウェディケの顔に、間もなく、笑顔の花が咲く――