勸君金屈卮
滿酌不須辭
花發多風雨
人生足別離
(于武陵『勧酒』)
第一話の冒頭で書いたこの漢詩。
実はネットで漢詩を探していた時に西遊記繋がりで出会った「最遊記」からでした。
特に深い意味を込めて当初冒頭に書いた訳ではなかったのですが、読んでいる内にその内容が「別離」な事から「ダン・スカー遊記」関連の日記は「別れ」をテーマに書いてみようとある時期から裏設定を定めてみました。
今回挑戦したのがアライアンスレイドの下限野良PT募集。
出発出来る可能性は極めて低く、かと言って全く誰も見向きもしないコンテンツでもなさそうであり「おそらく数名の参加者の方はいるはず」と考えて「PT解散時の別れ」を意識していました。
しかし、出発出来る見込みが極めて薄いPT募集に参加すると言う事は、ある意味人によれば一時間前後の時間を無駄にする危険性もはらんでいる事を意味します。
「折角参加して下さった方にボーっと来る当てもない参加者を待ってもらうのも忍びない」
そう思い立ち「出発出来なかったけど何故か有意義な時間だった」と思って頂けるよう待ち時間中は出来るだけ色々と雑談をして待ち時間を過ごすようにしました。
そんな雑談の時間も私にとっては楽しい時間だったのですが、流石に連日ダンスカーの募集をし続けていると「もう限界かな」と言う考えも脳裏によぎり出し、もうそろそろこの挑戦を止めてもいい時期かもしれないと思い始めていたりもしました。
その時に書く日記の副題も「俺の屍を超えていけ」にしようと決めていたぐらいです。
「ラフレシアを16戦したから、ダンスカーは17回目で終わろうかな」なんて思いながら今回のPT募集は始まりました。
結果的に今回の募集では24名が集まりました。
今までの募集と何が違っていたのかは正直分かりません。
集まった要因の一つは土曜日の夜だったから位しか思いつきません。
今回も一人目の方が加入して下さった時には募集主の私が言うのも何ですがまさか24人が揃うとは想像すらしておらず、いかに有意義なチャットをするかだけ心掛けていました。
この時に話していた「FF14における最強の武器論」は結構興味のある話題だったのでまた機会があれば考えてみたいですね、と同時に私が思っている「FF11は最強の武器が多すぎる論」は結局話せずじまいでした。
兎に角、24名が集まりました。
途中からは私の気付いていないところで様々な参加者の方々のお声がけがあってメンバーが集まっていった事はほぼ間違いないと思われます。
ご協力して頂いた皆さんにお礼申し上げます。
「本当に有難うございました( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )」
このダンスカー下限の募集は「出発」がその目的でした。
そして如何に参加者の人と有意義なPT募集時間を過ごして別れていくかが「課題」でした。
その課題をこなしつつも目的が達せられない日々が続いていた中で、徐々に24人が集まっていく今回の募集時の心境は正に想像通りでした。
若干大げさな言い方をすれば、前回までの募集で参加して下さった方とのやり取りが走馬灯の様に頭の中を駆け巡りました。
私にとっては出発が目的だったのでクリアそのものは考えていなかったのですが、それでも折角集まったのだったらクリアしてみたい想いも当然ありました。
今回クリアと言うおまけも付いたのは本当に集まって下さった皆さんのお力の賜物です。
「ダンスカーと言えばあの月」
「あの月のSSは撮ってみたいな」
何て考えていましたが、本当に撮影できるとは思ってもいませんでした。
「もし撮影できるのなら全員が立ち去った後に一人残った姿で撮影しよう」
とも考えていました。
別れがテーマだったから丁度いい。
「23人のメンバーと別れた後の哀愁漂う私を撮ろう。」
そう思ってしばらく待っていましたが、一人のフレが最後まで残ってくれていました。
一人で月のSSを撮ろうと思っていたので、フレが残ってくれていたのも予想外でした。
完全に一人で始めたダンスカー下限の旅も最終的に集まったメンバーを見てみるとバハでご一緒した方の名前もあれば、このダンスカーの募集で人が集まらずに雑談して過ごした時のメンバーの名前もありました。
三蔵法師が孫悟空などの仲間と共に天竺を目指したように、私のダンスカーへの旅にも何時の間にか23人の仲間が出来ていました。
遥か遠すぎて「これは辿り着くのは無理かもしれない」と諦めかけていたダンスカーも様々な方の協力があって辿り着けました。
感謝の気持ちしかありません。
そして私がダンスカー下限のこの旅で見つけた事は「エオルゼアは一人ではない」と言う唯々当たり前の事実でありました。
了