†
翌朝。
オーギュスト・ド・ガルヌランは、夜明け過ぎから独り自宅の柵の前に立っていた。纏う鎧は白と蒼に染められた、蒼天騎士のそれだ。
腰の剣は鞘も含め純白で、鍔に嵌められた大振りの宝石だけが蒼い光を放っていた。
目を閉じ腕を組んで、歴戦の蒼天騎士は立ち続けた。
やがて、霜の降りた草原を踏みしめながら、黒い鎧の暗黒騎士が姿を現した。レティシアだ。
互いに、無言。交わす言葉はもうなかった。
オーギュストが抜刀する。静かに、冷厳と。
レティシアも抜刀した。ゆっくりと、爆発しそうな激情を敢えて抑えるように。
そこに、再度霜を踏む足音がした。
テオドールだ。
冒険者としての自分の主力装備を身に着けている。彼もまた、臨戦態勢だ。
二人と等距離の地点で、テオドールは足を止めた。
「テメエはどっちの味方だ、優男」
レティシアが問う。形式上は問いだったが、口調は最初から彼を敵だと決めてかかっているようだ。
「どいていろテオドール。お前は私とは違う。罪を背負う必要はない」
断言するオーギュストの口調からは、ほんの僅かに感情が透けて見えた。苛立ちと、動揺。
双方へ視線を投げかけた後、テオドールは首を振った。
「――私は、どちらの味方でもない。貴方がた二人を止めるためにきました。力づくで」
「ハッ、大きく出たな!」
レティシアが歯を剥き出しにして笑う。
「……例え弟子でも、友の息子であろうとも、我が信ずる大義のためならば切り捨てるぞ」
小さく溜息をついた後、覚悟を決めたようにオーギュストが宣言した。
「お好きに。――制します」
静かに告げて、テオドールが抜刀した。その様を見て、対する二人はどちらもが口を噤んだ。冒険者としての経験、この二週間での成長と、決意と覚悟。それらが束ねられた今のテオドールは、隙を見せられる相手ではない。それを感じ取ったのだ。
三者の間に緊張が漲っていく。
それが喫水線を越える前に。
下方から、チョコボの鳴き声が聞こえた。
単なる鳴き声であるのなら、それは均衡を破る刻の声となっただろう。しかし、それは断末魔の叫びであった。
明らかに、他害による死だ。この辺りには野生のチョコボはいない。であれば、その叫びには必ず乗り手である人間が関わっているはずだ。
そして、テオドールは気配を感じ取っていた。魔物ではない。似て非なる、何か得体のしれないモノの気配だ。
誰ともなく、三人は下方へ走り出した。師も、それからレティシアも躊躇無く駆け出している。復讐よりも、他者を案ずるレティシアに、テオドールは好感を持った。だからこそ、この争いは止めねばならぬ、とも思った。
†
信じられないことが起こっている。
男は全身を強く打ち苦悶しながらそう思った。
男はロッシュ村の住人だ。皇都で用事を済ませ、村へ戻るところだった。魔物との接触を避けるため、空を飛べるフライヤー種の黒チョコボを使うのが村の常識だ。男も黒チョコボで空を行く。
仕事がひと段落し、慰労の宴が夜通しあったため徹夜であった。明け方の空をチョコボに揺られながら、うとうととしていた。
そのとき、眼下に十四、五人の集団が見えた。徒歩で山道を歩いている。
奇妙な集団であった。
山の入り口は第七霊災で崩落が多発し、魔物も数多くいるはずだ。それを倒し、危険な場所を登ってきたのだろうか。
加えて、彼らの風体も異様であった。
先頭を歩く青年は、薄手のシャツを着ている。その後ろを歩く少女は男よりましとはいえ、防寒性があるとは言えない黒いドレスだ。ここまでくれば西部高地の寒波はかなり柔らぐとはいえ、今は明け方だ。防寒具が無ければ凍える寒さになる。
そして、二人の後ろを歩く者たち全員が、フードを被ったカウル姿だった。
嫌な予感がした。
この先には、村ぐらいしかない。あとは隠居した皇都の元騎士、オーギュストが村の近くに住んでいるだけだ。あるいは高地ドラヴァニアへ抜けるつもりだろうか。それもあり得ない話ではないが……。
意を決して、男は高度を下げようとした。降りずに空から訊いてみよう。もし胡乱な連中だったら、そのまま離れてオーギュストのところに駆け込めばいい。たしか弟子と称する青年が逗留してるはずだし。
そう思った矢先だった。
先頭を行く青年がこちらを見上げた。男と目が合った。その瞬間。
青年の口から、光条が迸った。光は凄まじい速度で黒チョコボを射抜いた。胸を貫かれ、叫び声を上げてチョコボが落下する。
「なぁ!?」
意味が分からなかった。口から光線を吐く人間など存在するはずがない。驚愕に震える暇も無く、体は地に叩きつけられた。射抜かれたチョコボが暴れて落下速度が緩やかになったことで死にはしなかったが、全身が地面に打ち付けられたのだ。見動きが取れない。
「もう、ダヴィドったら乱暴ね」
少女がダヴィドと呼ばれた青年を嗜める。だが、どこか他人事のような、芝居めいた声音だった。
「見下ろされんのぁ好きじゃねえのさ」
喉の奥で笑うと、青年は男に一歩近付いた。ニヤリと笑う。歯が鋭く尖っている――人では無いように。
「オマエ、ロッシュ村の人間か?」
どこか根源的な恐怖にかられ、男は何度も頷いた。声は喉に絡んで上手く出せない。
「オーギュストとかいう元騎士が近くに隠居してるんだって?」
さらに男は頷いた。騎士の関係者? いや、ひょっとして意趣返しをしようという悪党なのだろうか。そこで、男は青年の首や露出した腕に、鱗が生えているのを見た。噂でしか聞いたことが無いアウラ族というやつなのだろうか? それにしては、鱗以外はエレゼンにしか見えない。
「ようし、そこまで案内してくれよ。――そうしたら、命は取らねえ」
「ひッ、い、命!?」
思わず叫んだが、直後に気付く。口から光線を放つ、牙のような歯と鱗の付いた体を持つ者がまともな人であるはずはない。まるで――まるで竜だ。
そして竜ならば。
人を殺さない理由など無いのだ。
どうにか動いた体が、恐怖から後退りする。
「おいおい、つれねえな」
嘲笑した青年が、もがく男の足を掴んだ。そのまま振り上げた。片足だけを持ち上げられ、逆さ吊りになった男が慌てる。
「うわぁ!」
「返事をもらってねえよ。案内するのか、しねえのか。生きるか、死ぬか、って訊いてんだよ」
みしり。
強烈な力で、男の掴まれた足首が締め上げられる。激痛に男が悲鳴を上げたとき。
飛来した盾が青年に当たった。
とはいえ、青年は空いた片手でガードしている。盾が戻る方向から、凛とした声が響いた。
「そこまでだ!」
†
黒いドレスの少女、筋骨隆々の青年、カウル姿の者が十五人。それから、青年に片足を掴まれ釣り上げれている村人らしき男が一人。青年の近くでは黒チョコボが死んでいる。
投擲し戻ってくる盾を掴みながら、テオドールは抜刀し青年と対峙した。ほとんど同時に、オーギュストとレティシアも駆け込んできた。
「ジャックか!」
「オーギュストの旦那ァ! お、お助けを!」
オーギュストが男の名を呼ぶ。ロッシュ村の者なのだろう。
テオドールは青年に、ジャックと呼ばれた村人の解放を説こうとし――青年が、こちらを全く見ていないことに気が付いた。
「よう。会いたかったぜ。レティシア」
「あぁ!? 誰だテメェ!」
呼びかけられたレティシアが眉間にシワを寄せて抜刀する。
そのとき、くすくすと鈴を転がすような笑い声がした。後方のカウル姿の者たちと共にいた、黒いドレス姿の少女が歩んで来ていた。
「仕様が無いわよ、ダヴィド。貴方はとても変わったから。でも」
美しく、どこか神秘的な声。雪のような白い髪。宝石のようにキラキラした、赤い瞳。
「わたしのことは分かるでしょう? レティシア」
息を呑む音に、テオドールはレティシアを見た。驚愕に目は見開かれ、両手剣は手から滑り落ちる。
「ジュヌヴィエーヴねえさま……!?」
レティシアが叫ぶ。“ねえさま”? 目の前の少女は十四、五歳に見える。レティシアより年上には見えない。
「嘘だ……! 姉さまが生きて……でも、どうして!?」
混乱したレティシアを見て、ジュヌヴィエーヴが微笑む。透き通るような美しさだった。
「混乱するのも無理はないわね。ねえ? 元蒼天騎士オーギュスト様」
無言でジュヌヴィエーヴを睨み据えるオーギュスト。その彼を見たまま、ジュヌヴィエーヴが首に巻いていたレースのチョーカーを外す。そこには、首をぐるりと一周する大きな傷跡があった。
「貴方はわたしの首を落とした。でもその直後、怒り狂ったダヴィドが竜化して暴れ、崖が崩落。わたしもダヴィドも落下した。だったでしょう?」
「……首を落としただけでは不十分だったか。つくづく未熟。十年前の我が身の不明を恥じよう」
オーギュストが抜刀する。ダヴィドと呼ばれた青年や後方のカウル姿の者たちを警戒しながら、テオドールは師に問うた。
「どういう――ことです?」
「わたしとダヴィド、そしてレティシアは、蒼天騎士団に滅ぼされたクローヴェ村の生き残りなの」
師が答えるよりも早く、ジュヌヴィエーヴが答える。
「初めましてね、騎士様。わたしは“詩竜の巫女”ジュヌヴィエーヴ。こちらはわたしの騎士、“豪咆”のダヴィド」
にこやかに微笑み、ジュヌヴィエーヴは優雅な一礼をした。
「ダヴィド……あの、ダヴィド? 細っこくて、いつも端っこで姉さまを見てた、ダヴィド……?」
レティシアが驚きの声を上げる。
「おう、あのときはそんな感じだったな! この十年――」
ダヴィドの手が一瞬で鱗に覆われ、禍々しい鉤爪を備えたものに変わった。
「強くなることしか考えてこなかったからな」
凄絶に笑うダヴィド。ぐしゃり、と嫌な音を立てて、ジャックの足が潰れた。足首が千切れ飛び身体は放り投げられ、悲鳴を上げたジャックは地面に激突して気を失った。
「――!」
救いに行こうとしたテオドールだが、ダヴィドの視線に動きを縫われた。彼がもう臨戦態勢であることを感じ取ったからだ。隙を見せれば攻撃を受けるだろう。
「わたしもダヴィドも辛うじて生き残り、そして再起に時間をかけたわ。ようやく、たとえ蒼天騎士だろうとも凌駕する力を得た。だから、貴方を迎えに来たのよ、レティシア」
「あたしを……!?」
レティシアがかすれた声を上げる。
「ええ。だって、貴女もわたしと同じ。その身に強く詩竜の因子を発現させた、『詩竜の巫女』なのだから」
「……詩竜の……巫女」
「そう。わたしの『歌』は、貴女と共に謡うことで完成するの」
「待って……待ってよ姉さま……! 姉さまは、今何をしているの!?」
慌てるレティシア。先の意趣返しのように、今度はオーギュストが先んじて答えた。
「……いくつもの村を滅ぼした、皆殺しの異端者がいると聞いた。それらは黒衣の少女に率いられているという。――お主らか」
「異端者、ね。そういう括りでしか測れないのでしょうね、あなたたちは」
笑みを湛えたまま、ジュヌヴィエーヴの言葉の温度が下がる。
「皆……殺し」
レティシアの呟きに、ジュヌヴィエーヴは肩をすくめた。
「正確には違うのよ? 半分は『彼ら』の食料になって、もう半分はわたしの『歌』の実験台になってもらったの」
『彼ら』と言いながら、ジュヌヴィエーヴは自らの後方へ視線を流す。
それを合図にしたように、『彼ら』が一斉にカウルを脱ぎ捨て、姿を晒した。
大元の姿はエレゼンの男女だ。だが、体のあちこちに鱗の生えている者、爪が鉤爪になっている者、果ては顔が竜のままの者もいた。
そして。
彼らは姿を変えた。
「――――!」
叫び声を上げながら、彼らの体は竜のようなモノへ変わっていく。エイビス、シリクタ、ウェアドラゴン。竜の血を飲んだことで変異する『竜の眷属』へ変わるものがほとんどだが、中にはそうではなく、人の姿を残したまま、鱗や翼を生やした者もいる。
「ハッハァー!」
ダヴィドが獰猛に笑いながら、両手を顔の前で交差させ――鉤爪になった手で、見えない何かを引き裂くように腕を広げた。
その姿が変わる。全身が黒い鱗に覆われ、体のあちこちから捻れた角のような突起が生えた。肩や肘から先、膝から先は更なる硬化が起こり、頭には長い角が左右に一本ずつ生えた。人の体形を保ったまま、眷属とは違う異形へとダヴィドは変じてみせたのだ。
「……!」
身構えるテオドールとオーギュスト。レティシアは、泣きそうな顔でそれらを見ていた。クローヴェ村の住人として過ごした記憶が、彼らの変異を肯定的に捉える一方、暗黒騎士としてイシュガルドの民と過ごした記憶が、変異した者たちの血に飢えた狂気の瞳を見逃さない。
その苦悩と混乱をほんの一瞬冷ややかに見つめてから、ジュヌヴィエーヴが微笑みと共に告げる。
「わたしたちは、『天上種(セレステ)』。竜の力をその身に宿しながら竜と同化せず――ヒトも、竜も、すべて滅ぼすもの」
「ねえさま……?」
ダヴィドたち異形の者を従えて、美しい少女は手を差し伸べる。
「おいで、レティシア」
レティシアは首を振った。それは、あの村で育てられた身でも理解できない思想だったからだ。
「わからない……わからないよ姉さま! 人と竜は融和するんじゃなかったの? 罪人たるを受け入れて、裏切りの赦しを乞うのが村の教えじゃ……」
幼い頃の記憶のままに姉へ反論したレティシアは、ジュヌヴィエーヴの熱を持たない視線に言葉を途切れさせた。
「竜は謝罪を受け入れない。受け入れたフリしかできない。人もまた、許されてもまた裏切るでしょう。自分たちの尺度でしか物事を測らない愚図たちが融和することなど無いわ」
侮蔑の表情で、ジュヌヴィエーヴは断言する。
「だから」
白い髪の少女は片手を上げた。人差し指を立て、天を示す。
「わたしたちは立つのよ、レティシア。竜の因子を強く持ちながら、自我を侵略されず、個の意識を持ち続けるわたし達こそが、愚かな争いをやめさせることができる。竜でも人でも無い新たな種が、そのどちらをも滅ぼして――この星を統べるのよ」
決然と、高らかに。ジュヌヴィエーヴは宣言した。
「姉……さま」
愕然と、レティシアは呻いた。ああ、この目は。村が健在だった頃、姉が村の集会の後などにしていた目だ。冷ややかで、侮蔑を湛えた目。優しいはずの姉がとても怖く思えて、レティシアは視線を逸らしてしまっていた。
あの時から。
こんなことを考えていたのだろうか。
「もういい」
断ち切る様なオーギュストの声に、テオドールもレティシアも彼を見た。
「例えようもない痴れ者であることは理解した。後は、斬るのみ」
底冷えする闘気を放つ蒼天騎士を前に、ダヴィドらが身構える。ただ独り、ジュヌヴィエーヴがだけが戦う構えを取らない。
「もとより、理解してもらおうだなどと思ってもいない。――けれど」
ジュヌヴィエーヴは笑った。冷たい瞳のまま、口の端を吊り上げて。
「わたしの歌を聴いた後も、同じことを言っていられるかしら」
「テオドール!」
「はい!」
二人は同時に駆け出した。敵が何をするのか分からないが、始まる前に阻止するべきであることは確かだった。
それを、突進してきたダヴィドが迎え撃った。オーギュストとテオドール、二人をまとめて弾き飛ばす猛撃だ。
「く……!」
師と弟子が身を起こしてダヴィドの追撃を防ごうとした、そのとき。
美しい旋律が、ジュヌヴィエーヴの喉から発せられた。
それはとても美しい歌声だった。歌唱の才と技術でいうなら、エオルゼアのみならず三大州すべてを探しても彼女と並ぶ者はいないかもしれない。
だが。
テオドールとオーギュスト、そしてレティシア――さらにいえば足を千切られ苦悶するジャック――には、その歌声を堪能する余裕などなかった。
「……!?」
歌声が耳に届いた刹那から、彼らは未だかつて体験したことのない身の震えに捉われた。
体の奥が熱い。その熱さと共に、理解不能の衝動が全身を駆け巡った。
そして彼らは激痛の中で、目を開けたまま夢を見る。翼を羽撃かせ、大空を翔ける夢を。炎を吐き、爪を振るい、敵を屠る夢を。
これは――
「……竜化……だと!? 馬鹿な……!」
オーギュストが愕然と叫ぶ。体内に竜の因子を持つイシュガルドの民は、魔力が込められた竜の血を飲むことで竜へと姿を変える。だがそれも絶対ではなく、竜の因子の強弱、元となる血を分け与える竜の魔力の強さなどで変わってくる。さらに、一度飲むだけでは変化は一時的なものに終わり、数度の竜化を経て人へ戻れぬ体になるという。
しかし、どちらにせよ、それは竜の血を飲んだからこそ起こる変化だ。今彼らは竜の血を飲んではいない。なのに、なぜ。
「ジュヌヴィエーヴの『歌』には、聴いた奴の竜の因子を呼び覚ます効果があるのさ」
ダヴィドが言う。ジュヌヴィエーヴの歌は続く。
「内在する竜の因子が少なく、抵抗する力が無けりゃ、ああなる」
「ぐがあああ!」
ジャックの姿が変わり始めていた。肌が黒い甲皮へと変わっていく。みしみしと音を立てて、内側から裂けるように腕から皮膜が生える。――エイビスへと、ジャックは変わりつつあった。
「ジャック……!」
苦悶に歯を食いしばりながら、オーギュストが首を振る。
「だがまあ、あっさり眷属に変わっちまう奴は目覚めには遠い。頑張んねえとな!」
最後の言葉はジャックに向けてだ。励ますように親指を立てる。
「そして」
ダヴィドはゆっくりと歩き出す。レティシアの方へ。
「内在する竜の因子が強けりゃ強いほど、より激しく苦しむ。――こんな風にな」
「ああああああ!!!!」
地面に倒れ、体を幾度も跳ねさせながら、のたうち回るレティシア。その身体のあちこちに竜の鱗が出現していた。
「レティシア!」
叫び続ける彼女のほうへ向かおうとしたテオドールへ、異形と化したダヴィドが容赦のない前蹴りを放つ。
「がッ!」
横腹を蹴られ、テオドールが吹き飛ぶ。『歌』は続く。意志の力で竜の因子を必死で抑えようとするテオドールは、歯を食いしばりながら立ち上がる。
「ハッ、耐えるじゃねえか」
ダヴィドが笑う。黒い鱗に覆われた異貌のなかで、開いた口から光が放たれ始める。
「オマエ、いっぺん死んでみろよ。俺たちみたいに劇的に生まれ変われるかもしれねえ、ぜ!」
周囲のマナさえも奪い取り、口中の光は凝縮して――光条となり放たれた。先の黒チョコボを射抜いた光線よりも遥かに太く、遥かに迅い破壊の光は、
「ぬぅあ!」
神速の動きで割って入ったオーギュストの盾に防がれた。
「んだぁ!?」
驚愕するダヴィド。盾の堅牢さにも驚いたが、それよりも、『歌』の影響下にあるはずのオーギュストが割って入れたことが最大の驚きだった。
「師匠!」
テオドールの叫びに、師は振り向かず応えた。
「テオドール! 剣を寄越せ!」
「はい!」
間髪入れず、テオドールは師に従い剣を鞘ごと師へと投げて寄越した。それが何故かを考える暇もなかった。投げられた剣を見もせずに掴み取ったオーギュストは、それを盾持つ左手に持ち帰ると、納刀していた自らの剣をテオドールへと投げた。
辛うじて受け取ったテオドールへ、師は僅かに振り向いて言った。
「――行け! その娘を護れ!」
「……はい!」
燃えるような熱さと苦しみを無理矢理抑え込んで、テオドールはレティシアへと駆け出す。
この情況、この人数差でそれを言い出すことが何を意味するか。それが分からぬテオドールではない。だが、それでも。
迷う暇は無かった。抗議する余裕などどこにも無かった。
「させると思――がッ!!」
叫び、再度破壊光を口中に凝らせたダヴィドが、オーギュストの神速突撃――インターヴィーンを受けてたじろぐ。続け様に放たれる剣技の疾さに、ダヴィドは防戦を強いられた。とても、『歌』に耐えている最中とは思えぬ動きだった。
「チィ……ッ! お前ら行け! レティシアを奪え!」
焦ったダヴィドは、待機していた竜の眷属たちに命じた。テオドールはレティシアと彼女の両手剣を抱え、駆け出そうとしている。
「させると思うか」
オーギュストの盾が一閃した。痛打され動きを止めたダヴィドから離れ、動き出した敵集団の只中へ飛びかかる。幾度かの範囲攻撃で彼らの敵視を掌握すると、動きを取り戻したダヴィドへと再度斬りかかる。
「テメエ……!」
激昂したダヴィドの攻撃を盾で捌くと、狙い済ませた突きがその眉間へ突き立てられた。貫きはしなかったが、強烈なダメージを叩き込まれたダヴィドはよろめいた。
「ぐ……!」
「頑丈だな。だが、お前の大事な詩竜の巫女はどうだろうな」
襲い来る眷属たちの攻撃を躱し、払い、捌きながら、老練な蒼天騎士はジュヌヴィエーヴのほうを向く。
「――!」
ここへきてようやく、ダヴィドは眼前の男が余りにも危険すぎることに気付いた。駄目だ。この蒼天騎士を先に殺さなければ。
「方針変更だ。まずテメエを殺す……!」
ジュヌヴィエーヴとの間に立ち塞がり、ダヴィドは低く身構えた。長い手は地面に触れる。全身の筋肉が撓む。飛び出せば一瞬で最高速に達するだろう、隙も奢りも無い本気の構えだ。
「来るがいい、天上種とやら。最後の蒼天騎士、“無毀”のオーギュストがお相手しよう」
傲岸不遜に言い捨て、オーギュストが剣を振る。その口から血が流れ顎より滴ったが、気にした風も無く笑った。凄絶な笑みだった。
「殺す……粉々にしてやるァ!!」
襲い来る眷属たち。それよりも迅く、影を置き去りにするような速度でダヴィドが襲いかかる。
――これでいい。
呼応し、修羅の形相で踏み込みながら、オーギュストはほんの一瞬だけ晴れやかに笑った。
託せるものは、すべて託した。手も打った。あとは――独りだ。ただの独りの、前時代の遺物が意地を張るだけだ。
オーギュストが『最後の蒼天騎士』として名乗りを上げる、その数時間前。
遥か遠くの魔大陸では、彼が忠節を捧げた教皇が蛮神へと姿を変え――討たれていた。
それを彼が知っていたのかどうか。
今はもう、それを問うことはできない。
(後編一に続く)