雪のちらつく皇都イシュガルドで手紙を受け取った。ギルドシップの同業者を介して届けられたそれは、つまるところ依頼状だった。
知っている情報を伝えるから、よければ協力してほしい……要約するとそんな内容で、末尾にはクルル・バルデシオンのサイン。先日ラヴィリンソスで出会った奇妙な集団を思い出しながら、エレンヴィルは「さて、どうしたもんか」と唸った。
釣られてみるか否か、決めかねたまま宿に戻ったところで仕事用のリンクパールが鳴る。応答すれば、ギルドシップの事務員が興奮した様子で言った。
「大撤収だと! この星からの!」
事務員は、つい先ほど哲学者議会が発表したという内容をまくしたてた。
終末、星の意志の予言、月への脱出計画……嘘だろと言いたくなる一方で、ここのところ感じていた疑問に答えがはまっていく。最後に「お前もきりが良くなったらすぐ本国へ戻ってこい」と告げるなり、通信が慌ただしく切られた。
それから3日。エレンヴィルは既に捕獲していた動物をそれぞれの生息地に返した。己の身ひとつであれば転移魔法で本国に帰還できる。その間にも、近東方面に出ていた同業者から、ただならぬ災厄が起きているという悲鳴さながらの報告が届いていた。
だから、オールド・シャーレアンに降り立ったときにはもう、迷う余地もなかったのだ。足早にバルデシオン分館へと向かい、扉の先に受付と話しているクルルを見つけるや否や、懐から例の手紙を取り出して告げた。
「とりあえず、話を聞かせろ……!」
クルルは突然の来訪者に驚いた様子だったものの、すぐに顔を引き締めて頷いた。
そこで聞いた話は、哲学者議会の発表以上に信じがたいものだった。暁の血盟が辿りついた真なる歴史。古の時代に起きた終末が再来したのだということ。月へ逃げるだけでは救えないものを救うため、別の抗い方を探していること……。
エレンヴィルは常から、物事を積極的に学ぶよう心掛けていた。グリーナーである以上、専門分野についてはもちろん、世界の文化や情勢、旅に必要な多くのことを知っておかねばならない。事実、エオルゼアの抱える問題を解決に導いた組織があることも把握していたし、そこに英雄と呼ばれる人物がいることも――シモフリネズミの捕獲で出会い、トード姿で再会するとは思ってもみなかったが――知ってはいた。
しかしこうして蓋を開けてみれば、掴んでいた情報などほんの欠片に過ぎなかったと痛感せざるを得ない。彼らは想像だにしないような世界の真相と向き合っていたのだ。
いまだこの星には、未知なるものが多く存在する。
自分の見聞きしてきた範囲ですらそうなのに、クルルが明かした話まで踏まえたら、どれほどの発見が埋もれていることだろう。
それらを見つけることのないまま星を去るのは―――単純に、悔しいと思った。
「俺に何ができる?」
問いが口を衝いていた。
クルルは感謝を示すように表情を和らげて、グリーナーの足と連絡網を貸してほしいと答えたのだった。
契約は間もなく果たされることとなる。
方舟に積み込むエーテル縮退炉の改良、そのために必要な人材の手配を、グリーナーズ・ギルドシップが一部引き受けたのだ。知神の港に集った人々はセントラルサーキットへ資材を運び込み、すぐさま作業を開始。星海から戻った暁の血盟の要請、および哲学者議会の承認を受けて、今は天の果てを目指す船を完成させようとしている。
となると、月の跳躍航行装置を輸送してくるのと並行して、方舟に積み込んでいた各種サンプルを船外に運び出さなければならない。ラヴィリンソスの職員と、イルサバード派遣団などから応援に来た面々、そしてエレンヴィルを含めたグリーナーたちは、タウマゼインから保管院の空き倉庫まで無我夢中で荷物を運び続けていた。
またひとつ昇降機に木箱を積み込む。慣れているとはいえ、すでに全身が軋み放題だ。次に取り掛かる前に身体を伸ばしていると、声を掛けてくる者がいた。
イシュガルド騎兵の鎧、その襟元から覗く黄色の鎧下はフォルタン家を示すものだったか。海賊の青年とやたらに火花を散らしていた人物だと、顔を見て思い出した。
「なあ、ククロの工房ってどこだかわかるか?
この荷物はそっちに届けてほしいって言われたんだけどさ……」
「それなら……いや、俺が運んだ方が早いな。代わる」
「おっ、マジで? ありがとなー!」
フォルタン家の青年は満面の笑みを浮かべ、抱えていた荷物をエレンヴィルに渡した。やはり疲労が溜まっているのだろう、手が空くなり呻きながら腰を叩きだす。「代わりにこっちを頼む」と去り際に伝えれば、恨めしげに――しかし拒否はすることなく――荷物の山へと向き直った。
「こんなことなら、蒼天街の竜たちにも来てくれって頼めばよかったなぁ……」
思わず耳が声を追った。
ドラゴン族は総じて身体能力が高く、近づくことさえ難しい。竜詩戦争の終結以来、人との関わり方も変わりつつあると聞くが、雑用を気軽に頼めるほど良い関係が築かれているのだろうか?
詳しく聞いておけば、今後ドラゴン族に関する依頼が入ったときに役立つかもしれない……しばし無言のうちに悩み、結局、振り返らずククロの工房へ向かうことにした。
この仕事を完了させないことには次の仕事などないのだ。加えて、ああいう無遠慮に距離を詰めてきそうな相手とは、積極的に関わらないのが信条だった。
ほどなくして着いた工房では、要となるエーテル縮退炉の改良が進められていた。円状に立ち並ぶ建物には技師たちが忙しなく出入りしており、中からククロ・ダンクロが大声で指示を飛ばしているのが漏れ聞こえてくる。
エレンヴィルが手近な技師に荷物を見せると、難なく引き取ってもらうことができた。渡した荷物が建物内へ運ばれていくのを何とはなしに目で追いかける……と、入れ違いに鮮やかな黄色の生物が出てきたではないか。
世界各地から協力者を連れてきたエレンヴィルには、心当たりがあった。あれもガーロンド・アイアンワークスの一員だ。仕事柄とても気になっていたものの、なんとなく問いただせずにいた「何か」……今度こそ正体を掴めるのではと近寄ってみる。
黄色の生物には、ガーロンド社の制服を着たララフェル族の技師が付き添っていた。確か、ウェッジと呼ばれていたはずだ。ひとまずそちらに「おつかれ」と声を掛けてみる。
彼もエレンヴィルを覚えていたのか、「どもッス」と気さくな返事が返ってきた。
「休憩か?」
「残念ながら、おつかいに行くところッス……。
アルファたちも一緒ッス!」
どうやら黄色の生物はアルファという名前らしい。
なにゆえ「たち」なのかと思えば、アルファの背後に甲虫を思わせる模型が控えていた。対象を追いかけて走る玩具の類だろうか。荷物を載せられるようにも見えず、この一団の謎が深まっていく。
「なあ、アルファはいったい何なんだ?」
「何って、うちの社員ッス?」
「そういうことじゃなくてだな……生物の分類的に」
「そりゃあ、チョコボッス!」
チョコボ。
もちろん知らないわけがない。エオルゼアでは代表的な騎乗獣とされ、三大州を中心として数多くの亜種が存在していること、それらすべての特徴までしっかり把握している。しかしこんな形状をした種類は図鑑の中ですらお目にかかったことがないのだ。
返す言葉に詰まるエレンヴィルを見上げ、アルファが「クエッ!」と鳴いた。
「……鳴き声は、確かに……チョコボに聞こえなくもない……か……?」
得意げに親指を立てて肯定するウェッジ。
突然、その脚めがけて模型が突っ込んだ。さほど痛くはなさそうだが、驚いた拍子に彼は状況を思い出したようで、
「親方たちを待たせてるから急がなきゃッス!
それじゃあまたー!」
と言うが早いか走り出す。アルファがひと鳴きしてそれを追いかけ、さらに模型がカシャカシャと音を立てて追従し、不思議な一団はみるみる遠ざかっていった。
エレンヴィルはといえば、呆気に取られ立ち尽くすしかない。
黄色が点となり消え去るころになって、置いてけぼりにされていた思考がやっと追いついてきた。
よりにもよって「チョコボかどうか」がわからないとは。
無論、アルファがまだ認知されていない新種だった可能性もある。実際にそういった生物を捕獲した経験も一度や二度ではない。それらはくまなく調査され、分類され、名付けられた。アルファだって、研究者に引き渡せば然るべき定義に収まるに違いない。
「……それにどんな意味がある?」
ここのところの怒涛のような出会いによって磨かれた思考が、考えろと促してきた。
シャーレアンで定められていることが真実そのものとは限らない――暁の血盟が明らかにしたように。現実は常に入れ替わっていく――竜が必ずしも人の敵ではなくなったように。
ならばこの頭は、何を以て「未知」とし、何を経て「既知」とするのか。
考えろ。考え続けろ。それでこそ本当の発見ができるはずだと、己の深いところから声が響く。
佇むエレンヴィルの傍らを、技師や職員たちが慌ただしく通り過ぎていった。おもむろに視線を向ければ、彼らに個々の顔があることが妙に目新しく感じる。そこから発せられる言葉のひとつひとつが急に謎めき、風景を形作る細かなものが際立って主張しはじめる。
本当にまだ何もわかっちゃいなかったんだ、とエレンヴィルは思った。
知らず笑みが浮かんできた。
やはり、暁の血盟には勝ってもらわなければならない。
吐く息とともに力いっぱい伸びをして、改めて前を見据える。
――さあ、やるべき仕事はまだ山積みだ!
一年で一番忙しい時期をさらに濃縮したような、嵐さながらの時間が過ぎた。
荷物を運ぶ人々の間を、レポリットが転がるように駆けまわる。小さくも達者な口から次々と発せられる月の知識をシャーレアンの研究者が受け取り、計画に反映させていった。議員たちさえ小走りになり、各所の進捗を手早くとりまとめていく。エレンヴィルが次に工房を訪れたとき、ククロ・ダンクロは掠れきった声でまだ叫んでいた。タウマゼインでは昼夜を問わずガーロンド社の何某かを見かけたし、色鮮やかな衣を纏ったラザハンの錬金術師が技師と顔をつきあわせて作業していた。実験農場や酪農場が提供した食材を調理して配ったのは、職員たちの家族や使用人、頼もしいラストスタンドの店員たちだ。途絶えることなくコーヒーやらチャイやら栄養剤やらが差し入れられていた。仮眠に使った毛布を、床に転がる別の誰かにそっと掛けている者がいた。
それでもいつかは雨が止むように、段々と手空きになる者が増えていった。エレンヴィルがリトルシャーレアンで最後の荷物を置いたころには、過半数が己の作業を終えていただろうか。やることがなくなった人々は、しかしラヴィリンソスに留まって、指示があればいつでも動けるように待ち構えていた。
そんな人々の頭上、人工の空に鐘の音が響いた。続いて各所に設置された拡声器から、わずかにノイズを纏った声が流れてくる。
「皆、聞こえるだろうか。哲学者議会のフルシュノ・ルヴェユールだ」
誰もが足を止め、固唾を飲んで聴き入った。
フルシュノは人々の奮闘に改めて感謝を述べ、いくらかの確認作業がいまだ続行中であることを告げる。「だが」と続けば、一気に聴衆の期待が膨れ上がった。
「方舟は完成した。我々が伸ばした手は、果ての星を掴むだろう」
各々が彼の言葉を呑み込むだけの、わずかな間。
すぐさまそれを拍手と歓声が埋め尽くした。リトルシャーレアンはもちろん、ラヴィリンソス全体が沸き上がり、笑いだす者、泣きだす者、抱き合う者に隣人の背中を叩く者、十人十色の歓びがあちらこちらで咲いていた。
エレンヴィルはひとり、安堵の息を吐く。外に出せるのはそれだけだが、内を満たしている熱はきっと周りと変わらない。
ただ一言、届けと願う。天の果てまで。まだ見ぬこの星の明日まで。
――それが聞き届けられたのだろうか。
晴れて終末は過ぎ去り、平穏を取り戻しつつある知の都で、エレンヴィルは再びバルデシオン分館を目指して歩いていた。今度は依頼状を持たず、代わりに提案をひとつ携えている。
バルデシオン委員会への協力の継続。代わりに大撤収の後片づけを手伝えという、申し訳程度の条件つきだ。彼らに関わると厄介事に巻き込まれそうだという懸念はないでもないが、あれだけのことをやり遂げたあとだからか、らしくもなく期待の方が勝っていた。
ともすればこの道の先で、棚上げしていた課題と向き合う日がくるかもしれない。
グリーナーを目指したきっかけであり、エレンヴィルという「街の名」を選ぶよりも前に遠い故郷で投げかけられた、あの難題と――
分館の扉を開けば、クルルがまた驚き顔で振り返った。