「ヴォレクドルフの午睡」
古き血が目覚めた先祖返りは、種の寿命を大きく超える。
そうは言っても長く生きれば、老いもしよう。目はかすむし、翼は萎える。
ヴォレクドルフの聡きアマロたちを束ねるセトも、齢は百をとうに過ぎた身であるから、最近は特にまどろむ時間が増えてきた。今日もまた、甘い花の香に誘われて午睡と洒落込めば、懐かしき日々を夢に見るのだ。
ここはアム・アレーンの都、ナバスアレン。
強烈な日差しが照りつける街の一角に、ひどく痩せた幼いアマロが地に伏している。育ち盛りであるはずなのに、水も餌も満足に与えられずに酷使されればこうもなろう。
誰も焼けた石畳の上でなど寝たくはないが、ハーネスで荷車に固定されていれば、自由に動くこともままならない。ならば、鞭を愛する主人が戻ってくるまでは、せめて身体を休めておこうというのが、このアマロの考えだ。
ほうら、主様のお出ましだ。
通りに面した石造りの商店から、肥えたヒュム族の男が大股歩きで現れた。手にしているのは男のお気に入りの鞭だ。リザードの腱で作られたそれを振るわれれば、とにもかくにも痛い。だから、どんなに疲れ果てていても、命じられるままに動いてしまう。
さあ、来るぞ、来るぞ。鞭が来るぞ。
首か、肩か、背中か、尻か。顔だけはカンベンしてもらいたい。幼いアマロが目を閉ざして痛みに備えていると、どうしたことか。いつもはいの一番で飛んでくる鞭が、やってこない。
目を開けてみておどろいた。
まだ少年と言ってもいい若い男が、身体に似合わぬ大きな鉄斧を担いで立っている。
痩せたアマロと、肥えた男の間に割って入ってみせたのだ。
「見つけたぞ、ラムンスさんよ! それとも狐のジェイドって呼んだほうがいいか?」
これが後に「セト」と名付けられることになるアマロと、冒険者アルバートの出会いだった。
しかし、彼らが互いを相棒と認め合うまでには、もう少しばかり時間が必要だ。
遡ること数ヶ月、ナバスアレンの市場で贋造物の宝石が発見された。熟練の鑑定士の目すら欺くほどの代物とあって、大変な騒ぎとなった。信頼と名誉を傷つけられたナバスアレンの宝石商組合は、この謎めいた詐欺師を「狐のジェイド」と名付け莫大な懸賞金をかけることになる。
ところが、これが捕まらない。
多くの冒険者が各地から賞金目当てで集まってきたものの、見つかるのは「狐」が市場に流した贋造物ばかりという有様だった。
この状況に終止符を打ったのが、まだ駆け出しの冒険者であったアルバートとラミットの二人組だ。彼らは元王国騎士だという熟練冒険者、ブランデンの協力を得ながら、幻影魔法を巧みに利用した贋物造りの秘密を解き明かし、ついにラムンスという男を捕らえたのである。
三人は、勝ち取った賞金を山分けした――もっとも、大酒飲みのブランデンに大金を渡せば、一夜にして酒代に消えることは明らかだ。ラミットは分割払いを提案し、しぶしぶとこれを認めたことで、ブランデンは正式に一行に加わることになったのだが、それは別の話だろう。
さて、生まれて初めて手にする大金を、アルバートは何に使ったのか。
それが、あの痩せアマロを買い取るためだというから、おどろきだ。ラムンスの所有物であったアマロが、ナバスアレン当局によって押収されたと聞いて、一も二もなく買い取り交渉を進めた結果である。
アルバートが連れ帰ってきた痩せこけたアマロは、宿に着くなり力なく座り込んだ。その様子を見て、ブランデンが呆れたように言い捨てた。
「おいおい、正気かボウズ。その痩せっぽちを、どうしようっていうんだ。
長旅はおろか、市壁の一周だって耐えられそうにないじゃないか。
焼いて喰うにしたって、骨ばかりじゃ話にならんぞ」
馬鹿にされていることが伝わったのか、アマロは不服そうに鼻を鳴らした。
一方のアルバートと言えば、アマロの顎の下を撫でながら涼しい顔をしている。
「あのオッサンのことは、気にしなくていいぞ、セト。
利口なお前を、誰が喰うもんか。ふたりでブランデンの鼻を明かしてやろうな!」
なぜ、アルバートが、セトと名付けたこのアマロに入れ込んだのか。
もちろん彼がどうしようもないお人好しで、価値がないとして殺処分されそうになっていたセトを哀れんだということも、理由のひとつではあろう。
だが、彼はセトの才を見抜いてもいた。
コルシア近海の小島で生まれたアルバートは、故郷である山村に同世代の子供がいなかったがために、山と獣を友として育ったフシがある。唯一の肉親であった祖父に叩き込まれて、あらゆる獣の扱いを学びもした。家畜のアマロについても当然、そこに含まれる。だからこそ、彼は気づいていたのだ。セトが、隙きを見ては座り込もうとするのは、元の主の酷い扱いを耐え抜くために、少しでも体力を温存しようという知恵であるということに。
「さあ、やってみろ、セト!」
アルバートが指笛で合図を送ると、セトはアンバーフィールドの荒地に、ぐったりと伏せてみせた。すると、アルバートはブランデンとラミットを伴って、近くの岩場に身を隠す。キャラバンの脅威になっているとして討伐依頼が出ていたコヨーテの群れを、セトを囮に使っておびき出そうというのだ。
「あの食いでのない痩せアマロを餌にして、うまく釣れるもんかね……」
大きな身体を小さく丸めたブランデンが疑いの言葉を口にした。
当のセトはと言えば、新たな主人に戸惑っていた。前の主と違い、アルバートは決して鞭を使わなかった。それどころか、とにかく優しい。餌も水もたっぷりくれるし、毛繕いまでしてくれる。彼に顎の下を掻かれれば、なぜだか夢見心地になってしまうほどだ。
いったいどういうことなのだろう。
理解できないことは、まだある。アルバートが様々な芸を仕込もうとするのだ。彼を怒らせて、せっかくの高待遇を棒に振るのは避けたい。だからこそ、セトはセトなりに応えてきたのだが……まさか生贄にされるとは思わなかった。
ああ、やっぱりだ。ヒトは信用できない。
どこか諦めに似た心持ちで荒野に横たわっていると、本当にコヨーテの群れが現れたではないか。たっぷりと与えられた餌は、このためだったのかとまで考えたかどうかは、わからない。
「セト、もういいぞ、こっちに来い!」
斧を担いだアルバートが岩陰から飛び出し、猛然と向かってくるのが見えた。
どうやら見捨てないでいてくれたらしい。セトはむくりと起き上がると、全力で主の元へと駆け出した。まだ虐待の影響が残るセトは空を飛ぶことができないのだ。必死の形相で翼をバタつかせながら不格好に走る様子を見たブランデンは、涙を浮かべて大笑いしている。
「おうおう、痩せっぽちが慌ててやがるぜ!」
また馬鹿にされたぞと直感したセトは、あえて進路を変える。
ブランデンの方へと突進し、ひょいと頭上を飛び越えてみせた。そうとなれば、セトを追っていたコヨーテの群れは、笑顔の大男に殺到する形となる。
「クソッ、あの馬鹿アマロめ!」
今度はブランデンが慌てる番だった。
こうしてキャラバン襲撃犯を掃討するという依頼は完了、報酬を得ることに成功する。
以降、アルバートたちは、次々と魔物の討伐依頼を成功させていった。セトは時に弱々しい格好の獲物を、時に縄張りを荒らす挑戦者を演じ、標的をおびき出した。
アンバーヒルのヌシとまで言われた巨大フォルスラコスを相手にした一件でも、セトの名俳優ぶりが遺憾なく発揮された。おどろいたことにセトは、フォルスラコスの雌の声色を真似るというアルバートですら想像できなかった技を披露し、見事に神出鬼没の討伐対象を引きずり出して見せたのだ。
逃げる手負いのフォルスラコスを追って、その巣に辿り着いた一行は、激闘の末にこれを討ち倒した。
「見て、ふたりとも! ちょっとした財産だと思わない?」
酷暑の荒野にあっても、決して兜を脱ごうとはしないドワーフ族のラミットが言った。
「おお、こりゃすごい。フォルスラコスが光り物を好むって話は本当だったんだな!」
枯れ草で編まれた巣には、ヌシが集めたのであろう貴金属の類いが遺されていたのだ。ブランデンは、ひときわ大きな黄金色のメダルを取り上げると太陽にかざして見せた。
「特にこいつだな……ナバスアレン王家が戦功を挙げた将に贈る勲章だ。
200年以上は前の代物だが、墓でも暴いたか襲った相手の持ち物だったか……
とにかく古物商に持ち込めば、かなりの値がつくはずだぞ」
満面の笑みを浮かべ、ブランデンが戦利品のメダルを懐に収めようとしたとき、ひょいと横から手を出してアルバートが取り上げてみせた。
「おっと、ブランデン。このメダルは、今日いちばんの功労者が手にすべきじゃないか?」
「なんだと? それなら、いよいよ俺が手にするべきだろう。
ヌシの強烈な一撃を盾で受け止め、その首に剣を叩き込んだのは誰だった?」
「そりゃあ、オッサンだけどさ。
でも、今日いちばんとなると見事にヌシを誘い出したセトで決まりだろう」
アルバートは、合切袋から革紐を取り出すとメダルに通して、そっとセトの首にかけた。
「セト、お前は自慢の相棒だ!」
セトは勢いよく鼻を鳴らした。
自慢げに、誇らしげに――
「フフッ、私もメダルをあなたの物にするのは賛成よ。
ブランデンに渡したって、どうせ明日には酒代に消えちゃうんだから」
ラミットに笑われては、ブランデンも両手を挙げるしかない。
「降参だ、降参! 今日いちばんは、セトで決まりだ。
たいしたアマロだよ、まったく!」
このようにしてセトは、アルバートの相棒として、一行に認められる存在になったのだった。
その後、アム・アレーンの地で魔物討伐を続け様に成功させた冒険者たちがいると聞きつけ、彼らに接触を試みる者が現れる。ミステル族の狩人、レンダ・レイだ。
さらにレイクランドの地では、消えた名門貴族の息女を巡る謎に挑み、銀灰色の髪の剣士、シルヴァを、再訪したアム・アレーンでは同じ依頼を受けたライバルとして遭遇した、孤高の魔道士ナイルベルトを、次々と一行に加えることになる。
仲間が増え、そして旅は続く。
厳しく、辛く、悲しみに満ちた事柄も多かったけれど、やはり楽しい旅だった。
まどろみから覚めたセトは、その首にメダルの重みを感じて小さく鼻を鳴らした。
それは、一度は失ったはずのものだった。集落に近づいたはぐれ罪喰いを撃退せんとしたときに、すでに成長した身体に合わなくなっていた革紐が切れ、湖の底へと沈んでいたのだ。
そんなメダルを、あのヒトは見つけてきてくれた。
今、こうして首にかけられている革紐は、リダ・ラーンの妖精たちに頼んで新調したものだが――その際に夢見のまじないでもかけられたのだろう。だから、懐かしい夢を見たのだ。
また旅がしたい、とセトは思った。
老いた身体では、世界を股にかけるのは無理かもしれないけれど、湖の対岸までなら飛べるはずだ。
この夢を見せてくれたであろう、『夢結び』の妖精たちに礼をしに行くのだ。
セトは大きく翼を広げてみせた。
さあ、翔んでみよう。あの時のように――老いたアマロなりの小さな冒険を始めよう――