「終幕を捧ぐ」

エメトセルク、と私を呼ぶ声が議事堂のエントランスに響いた。
聞いてしまったからには仕方がない。退館しようと入口に向かっていた足を止め、振り返る。
小走りでこちらにやってきた声の主は、予想に違わず、白いローブを纏ったやや小柄な青年だった。その顔を覆っているのは、十四人委員会を示す赤い仮面……となれば素性を問うまでもない。同僚のエリディブスだ。
何の用かと視線で問えば、ひとつ息を吐いた彼は、とても深刻そうに切り出した。
「君、次回の議題になる予定の、火山の件を知っているかい?」
「ああ、大噴火が近いという……。
特に込み入った話ではなかったと記憶しているが」
十四人委員会に持ち込まれた報告によれば、とある孤島に存在する火山に、火属性の異常な活性化――即ち噴火の兆候が確認されたのだという。
島には町がひとつと、広大な農場がある。噴火となれば、すべて呑み込まれてしまうだろうが……だからどうというわけでもない。他の多くの例と同じく、“そういうもの”なのだ。島の住民たちも、あるべき流れとして受け入れ、望むのであれば移住を開始しているだろう。委員会でも対応を検討する予定にはなっているものの、それ以上の結論にはなりそうもなかった。
一方で、こんな案件を、それでもエリディブスが自分に持ち掛けてきたということには――厭な予感しかしない。
「実は、アゼムがあの山に行ってしまったんだ。噴火を止めると言っていた」
それみろ!と叫びそうなのを、眉間に皺を寄せながらぐっと堪える。
たっぷり数秒かけて気持ちをなだめ、ようやっと「……どうやって?」と二の句を継いだ。
エリディブスは、相変わらず真剣そのものといった様子で回答する。
「君なら、火精イフリータを知っているだろう」
「……ああ。ラハブレアが創り出したイデアの中でも、傑作中の傑作だ」
するとエリディブスの生真面目そうに結ばれていた口元が、嬉しげに綻んだ。
「そうだとも、あれは本当に素晴らしいんだ」としみじみ呟く姿からは、彼がラハブレアを――同僚たちをどれだけ慕っているかがよくわかる。
普段ならそれを微笑ましくも気恥ずかしくも思おうが、今は彼の言わんとしていることを察し、再び眉間に皺を寄せた。
火精イフリータは、火属性のエーテルを束ねて創り出される幻想生物だ。
となれば、アゼムがどうやって噴火を止めようとしているのかも想像がつく。
火山に満ちた火の力をイフリータの形に変えて連れ出し、別の場所で霧散させる――即ち、討滅するというわけだ。
しかし、それを成し遂げるにはもうひとり協力者が要るだろう。
イフリータのイデアを、アゼムに渡す者だ。それがラハブレア自身でないとしたら、考えられるのは……ただひとり。すべてのイデアを統べる、創造物管理局。その局長ともなれば、どれほど厳重に管理されているイデアでも持ち出すことができるはずだ。
脳裏に、楽しげな笑みを浮かべながらアゼムを見送る友人の姿が浮かんで、思わず仮面ごと額を覆った。
エリディブスは、その仕草を見て用件が伝わったと理解したらしい。
「心配はないと思うけれど、事態が大きくなれば、アゼムはまた叱られてしまうかも。
行ってあげて、エメトセルク」
「状況は理解した……。
だがいいのか? 調停者エリディブスともあろうものが、あいつの方に肩入れして」
「そういうつもりはないよ。
ただ、あの火山の件は、まだ結論に至っていない。
だったら、噴火を止めたいというアゼムの意見も、等しく尊重されるべきだ」
迷いなく言い切る彼に、反論も肯定もできず肩をすくめて応える。
アゼムは一度、自分の時代の調停者がこの心優しい青年だったことに感謝すべきだろう。
「……ちなみに、噴火を止めたがっている理由は聞いたか?」
立ち去る前にそう問えば、エリディブスは「いいや……」と言いつつ考え込む。
恐らく、アゼムとの会話を丁寧に思い出しているのだろう。根拠なしに物を言わないのが、彼の調停者たるゆえんだ。
そのうちに、何か思い当たったらしい。ハッとして顔を上げた彼は、それはそれは重大な事実を明かすように、重々しく告げた。
「あの島で作られる葡萄はおいしいと……確かにそう言っていた……。
摂理に逆らってでも存続させるべきものだと見込んだのかもしれない……!」
「…………そう……かもな」
彼の厚すぎる信頼を穢さないよう、どうにかこうにか相槌を打ちながら、あとで悪友ふたりを説教しようと心に決める。
そんな複雑な心中を知る由もないエリディブスは、また口元を綻ばせると、「アゼムの見解はいつだって新鮮だから」と慈しむように呟いたのだった。
――つまるところ、エリディブスとはそういう青年だったのだ。
役目を忠実にこなす一方で、誰よりも十四人委員会の仲間を慕い、尊重せんとしていた。
彼を弟分のように思っていた者も少なくないだろう。ゾディアークの召喚にあたり、核とするのに最も適しているのがエリディブスだとわかったときには、使命に燃える委員たちですら別離を惜しんだほどだ。
だからこそ、彼との予期せぬ再会は、私たちに大きな衝撃を与えた。
ゾディアークを星の意志に据え、終末の災厄を退けた直後。
いかなる未来を望むかで、人の意見は大きく割れた。
多くは、新たな命と引き換えに、ゾディアークに捧げられた同胞たちを取り戻すことが最善だと考えていた。一方で、新たな命にこそ星の未来を託すべきなのだという主張も、根強く存在していた。
私たちが判断を迫られたそのとき、突如として、ゾディアークから“何か”が零れ落ちてきたのだ。それはしばらく蠢き、やがて、人の形を成した。周囲が愕然として見守る中で、その口元がぎこちなく――しかし確かに笑みを浮かべる。
「だい、じょう、ぶ……。
きみたちは、ただしく判じ、ただしく成しとげる……。
エリディブスが、それを、たすけよう」
あれから、数えるのも厭になるほどの時が経った。
ガレマール帝国の国父ソルとしての役目を終えた私は、次元の狭間に浮かぶ薄暗い拠点で、久方ぶりの長い眠りに落ちようとしていた。
ソルの肉体は原初世界に置いてきたので、今はさながら亡霊のような、形なき存在だ。
だからこそ、大昔、自分が自分だったころの姿をとる。それで眠っていれば、別人を演じた時間が剥がれ落ちていく気がするからだ。
自身を保つということに、もはやどれだけの意味があるのかはわからない。いっそ捨て去った方が楽かもしれないと思ったことも、一度や二度ではない。
それでも、あと二人のオリジナルの状態を思えば……自分が固執し続けることにも、感傷以外の理由が与えられる気がした。
エメトセルク、と呼ぶ声が響いて、微睡みから引き上げられる。
疲れているんだ勘弁してくれという気持ちで無視を決め込むも、声の主はお構いなしに近づいてきて、また名前を呼んだ。遥か昔に、自分を議事堂で呼び止めたのと同じ声……そのはずだが、まるで別人のように聞こえるのは、態度がまるで違うからだろうか。それとも実際に変質してしまったのか……。
ともかく、声の主――エリディブスは、傍らに立つと粛々と告げた。
「ラハブレアが散った」
――さすがに身を起こし、エリディブスと向き合う。
彼は微動だにしない。互いを包んだ長い沈黙が、覆らない事実なのだと物語っていた。
アシエンにとって「死んだ」は終わりを意味する言葉ではない。
しかし、そうか、「散った」ということは――
「わかっていたはずだ、私たちは。いずれこの日が来ることを」
エリディブスが言うのを聞きながら、目を瞑って、詰めていた息を吐きだす。
彼の言葉は正しい。ラハブレアは長きにわたり、誰よりも積極的に活動してきた。ともすれば“過ぎる”ほどに。世界を渡り身体を変え、突き進むほどに彼は破綻していった。最近では、闇に依った霊災を起こしたばかりだというのに、なおそれを助長させようとするような行いさえみせていた。
まるで炎のようだと思うのは、かつての彼が、見事な炎の幻想生物をいくつも創り出していたからだろうか。燃え盛る不死鳥に、火精イフリータ……当代のラハブレアが創る炎は強く、美しかった。そして彼自身もまた、常に燃え盛り続けていたのだ。
――すべてを灰にすれば、炎も消えてしまうのに。
ゆっくりと目蓋を上げて、エリディブスを窺い見る。
唯一仮面に覆われていない口元はただ引き結ばれ、感情を読み取ることはできない。
もう以前のように敬愛を露わにすることはないのか。あるいはその想いそのものを、もう――
「……エメトセルク?」
「ああ、いや……ラハブレアの爺さんは創ったものと似ていたな、と。
そう考えていただけだ」
「創った、もの……」
言葉を反芻するエリディブスに、今度は明らかな困惑の色が浮かぶ。
思い出せなくなっているのだと私が気づくのと同時に、彼自身も、自分からまた何かが欠けたのだと思い知ったらしい。その拳が、虚空を握りしめた。
彼は調停者として十四人委員会の前に戻ってきて以来――人ではなく、願いに紡がれる“何か”となってから――時代とともに変化し、己のうちに在るべきものを失い続けている。
「……エリディブス。やっぱり、あのクリスタルを視るつもりはないのか」
まだ彼が彼であり、ラハブレアがラハブレアだったころ、それぞれが持つ委員たちについての記憶を集めてクリスタルに封じた。転生組を再び座に就けるときに、学ばせるためだった。
それをエリディブスに使えば、思い出せる記憶もあるはずだ。
しかし彼は、静かに首を振った。
「私はエリディブスで、為すべきことを、そのやりかたを覚えている……それで十分だ。
あれこれ思い出したところで、戦いを続けているうちにまた失ってしまうだろう。
……大切な記憶なら、何度も忘れさせないでくれ」
そう願われれば、やはり、反論も肯定もできず。
大袈裟に肩をすくめて、話を流すほかなかった。
彼は転移魔法を展開しながら、私に告げた。
「これから私は原初世界に戻り、ラハブレアを追い詰めた英雄の始末にかかる」
「了解だ。まあ相手が“英雄”なのであれば、お前の敵ではなかろうさ」
「だが、万が一ということもある。
この危うい時代を早急に終わらせるために、そちらも活動を続けてくれ」
いや私はちょっと休みたい――という言葉を発する前に、彼の魔法が発動し、その姿が闇に消えた。私と彼が直に会したのは、それが最後だった。

そして――
今、私の魔法はすべて破れ。
残すところは、己の存在のみとなった。
それすらも崩れては、風に舞う砂のように還っていく。
もはや、息のひとつもできはしない。
それほどの戦いだった――そうでなければ駄目だった。
己のすべてを懸けて、叶えたい願いだったのだから。
幾度となく視てきたように、エーテルが冥界へと誘われる。
その流れの中で、永い過去を、そして僅かな未来を想う。
結末は、この手を離れた。
しかし役者たちはまだ――ひどく奇妙な形でもって――舞台の上に揃っている。
それならば、あと少し。幕を下ろすべきは、今ここではないだろう。
もはや形を成さぬ手で、それでもひとつ指を鳴らす。
――ご覧あれ、この物語のエピローグを。


