「序幕に謳う」
歴史というものを見渡してみると、その節目には、必ずと言っていいほど人の名前が記されている。戦いを制し、国を打ち立てた誰か。歴史的な発見をした誰か。迫りくる困難から民衆を救った誰か――そんな、夜空を点々と照らす星のような人々を、偉人とか、天才とか、英雄などと呼ぶのだろう。
俺は英雄ではない。しいて言うなら「会長」だ。
18代続いているガーロンド・アイアンワークスの、18番目の会長。初代をはじめとした数名は幸運にも存命中にその座を譲ったが、最も短い奴は、就任後3日で命を落とした。そうして約200年……この役職を務めてきた18人は、たとえ後世に語り継がれることがあっても、「初代シドと彼に続く会長たち」くらいにまとめられるのが関の山だろう。
俺たちが成し遂げようとしているのが、形なき偉業なのであればなおのこと。
この名は歴史に残らない。英雄でもなんでもない。
それでも俺たちは、胸を張って生きている。
銀泪湖にそびえ立つ「黙約の塔」。
大層な名前だが、それを構成する巨大戦艦は装甲という装甲を盗掘者たちに引っぺがされて、もはや枯れ木のごとき有様だ。
そのいかにも廃墟といった雰囲気は、隠れ家を構えるのにうってつけだった。湖の中という立地も不便な分だけ襲われにくいし、何より、残された外殻に巻きついている巨大なホース……いや「龍」は、かの英雄と縁ある存在だったと伝え聞く。俺たちが住み着くのには、おあつらえ向きだろう。
そんな隠れ家の中央にある集会場で、その夜、ガーロンド・アイアンワークスの社員と協力者たちが眠りこけていた。
ここ数日は真夜中まで作業場であるクリスタルタワーに詰めていたが、今晩はその必要もない。準備はすでに整えられ、明朝、あの塔は過去の第一世界に向けて出発する予定になっていた。それを祝して開かれたささやかな宴もとうにお開きになっていて、それでも名残を惜しんで場を離れられなかった面々が、そこらでいびきをかいている。
ひとつだけ焚き続けている火は、彼らの眠りを妨げることなく、ただ赤々と燃えていた。
それを見つめながら起きているのは、俺と、もうひとりだけだ。

「なあ、グ・ラハ……」
呼びかければ、炎と同じくらい赤い目がこちらに向けられた。
彼はその赤ゆえに――アラグの皇血を持つがゆえにこの時代まで眠り、そして明日、別の時代へと渡っていくのだ。今度は世界さえ超えて、希望を、別の未来を届けるために。
その重責を……自分たちが彼に任せた使命の重みを思うと、いつだって言葉にできない気持ちがこみあげてくる。
しかし、互いにもう、覚悟は問い終えたのだ。
つい口に出しそうになったいくつかの言葉を仕舞って、代わりに、前から聞こうと思っていた話を今日こそ振ることにする。
「お前……なんでクリスタルタワーと一緒に眠ったんだ?」
そう問うと、彼は意外そうに目を瞬かせたあと、小さく吹きだした。
「今それかよ」
「最後の機会だからな。
そりゃあ、お前にしかできない役目だっただろうし、正しかったとも思う。
俺たちの夢が繋がったのだって、そのおかげだ。
……だが、簡単に選べる道でもなかっただろうに」
かねてより抱いていた、彼についての疑問。それを率直に切り出せば、冷やかしではないと察してくれたのだろう、「そうだなぁ……」と呟きながら視線を炎の方へと戻していった。
答えを探しているらしく、尻尾が右に左に行き来する。
辛抱強く返答を待っていると、そのうちに彼がふっと笑みを浮かべた。細められた目は、炎の輝きの先に、もっと眩い何かを視ているかのようだった。
「あてられたんだよ、あの熱と、光に」
「……なんだって?」
「シドとネロ、それからウェッジに、初代のビッグス。
みんな、めちゃくちゃに頭も腕もよくてさ――」
自分がひとつ知識を語れば、彼らは瞬く間に発明品を生み出した。
傍らで調査を仕切っていたラムブルースにしたって、賢人としては大先輩だ。目付け役という大仕事に舞い上がる若者を内心微笑ましく思っていたのかもしれないが、それでも、彼が自分を認め頼ってくれたことは嬉しかった。
途中から調査に加わったドーガとウネは、なんとアラグの時代に生み出されたクローンだという。長い時を超えてなお、ひたむきに託された使命をまっとうしようとしていた。
そんな一行の前に立ちはだかるのは、古代アラグ文明の叡智と闇。アラグ史に名を連ねていた英傑たち、伝説の始皇帝ザンデ、果ては世界を渡って大妖異との決戦にもなった。
それらを退けノアの道を拓いてきたのは――ほかでもない、第八霊災の世にも名を遺す、かの英雄だ。
「すごいんだ、本当に。物語が急に現実になったみたいでさ……夢中だった。
そんな中で、オレにもできることがあるってわかったんだ。
“やらない”なんて選択肢、あると思うか?」
「気持ちはわからんでもないが……恐れはなかったのか?」
「そりゃあ、なかったとは言えねーけど……」
グ・ラハ・ティアは天井を見上げる。
広場の真上は雨風を凌げるように補修してあるが、少し離れれば穴だらけで、黒く突き出す骨組みの隙間から星の瞬く夜空が見えた。
その輝きを瞳に湛え、懐かしさをいっぱいに滲ませながら、誇らしげに彼は語るのだ。
「どんな運命にだって挑んでいける。
そう信じられたんだ、あいつらと一緒に走ってたら」
迷いのない横顔に、思わず、感嘆の息を吐いた。
なるほど、他人にそうまで思わせる存在が、英雄というものなのかもしれない。
俺の先祖も、初代会長も、この計画に携わってきた多くの人がそれに触れて胸を焦がした。果たして本人に自覚があったのかはわからないが、その歩みは確かに、ひととき隣を歩んだ誰かに勇気を与えていたのだろう。先へ、未来へ、希望へと進む勇気を。
それが明朝、ほかでもない自分の代で結実するのだと思うと、息を吸いこむと同時に背筋が伸びた。
「……転移、かならず成功させるぞ」
そう言って拳を突き出せば、自分のものと比べて随分小さな拳が、されど力強くぶつけられる。
「ああ。そこから先は、任された」
たとえこの約束の果てを、知ることができないとしても。
そこにひとつでも多くの幸せが生まれることを祈りながら、翌朝、クリスタルタワーの転移計画は実行に移された。
願わくは、ふたつの世界が救われますよう。
そのために力を尽くしてくれる彼にも、どうか、心から笑える結末を。
仲間たちのそんな想いに見送られつつ、美しき水晶の塔は、暁の空に残光を散らして消えた。
モードゥナの湖畔で、仲間たちとどれだけ佇んでいただろう。
クリスタルタワーが転移したときにはまだ薄暗かった空に、陽が昇りはじめていた。
その間、誰も言葉を発することなく、各々がただ消えた塔のあった方を見つめていた。
計画はまだ、時と次元の彼方で続いていく。
しかし、俺たちの出番はここまでだ。
塔がなくなったモードゥナの風景のように、自分の中にぽっかりと穴が空いたような心地だった。やりとげたという充足感と、だからこその寂寥感が、その穴に注がれていく。
200年の夢の終わりはあまりに静かで、風と湖の立てる微かな音だけが耳に残った。
「……消えないわね、私たち」
仲間のひとりが、そう言って静寂を破る。
確かに、歴史改変の影響が俺たちにどう出るかはわかっていなかった。
それを成立させた瞬間に、この歴史ごと“なかったこと”になる可能性さえあったのだ。
しかし塔を送ってなお、俺たちは変わらずここに存在している。グ・ラハ・ティアが第一世界の救済に失敗すれば、そもそも改変は起きないわけだが……どうせなら、良い方を信じたい。
彼は計画をやりとげ、第八霊災が起きない歴史を成立させた。
一方で、俺たちの歴史もまた、これはこれで続いていくのだ……と。
仲間たちも同じ考えに至ったのだろう。
互いを見渡して異変がないことを確認すると、誰からともなく笑いだした。
変わらない。何もかも。この泥沼のような世界で、明日また明日へと生きていくのだ。
そんな当たり前の、百も承知だった結末に至ったことが、滑稽で――そして妙に幸せだった。
そうしてすっかり終わった気になっていた俺たちは、だから、そう、まったく気づいていなかったのだ。
クリスタルタワー。時の翼。次元の狭間を超えた観測者。
それらの冒険から続くこの歴史には、まだ、目覚めるべき者がいたということに――
突如、地鳴りのような音が周囲に響いた。
咄嗟に身構え、周囲に視線を走らせる。仲間のひとりが「おい、あれ!」と隠れ家の方を指さした。振り返って、思わず口が開いてしまう。
廃戦艦に残された錆だらけの装甲が、ミシミシと音を立てていた。いくつかはそのまま剥がれ落ち、湖面に大きなしぶきを立てる。
もとから崩れそうな廃墟ではあったが、ついに限界が来たのだろうか。
――否。外殻に絡まっていた“それ”が、まるで息を吹き返したかのように動きだしたのだ。
誰かが、震える声で言った。
「幻龍……ミドガルズオルム……!?」
再び、天まで震わすような音が響いた。
それは、龍の咆哮だった。
やがて完全に廃戦艦から離れた巨大な龍は、ぐるりと空をひとまわりすると、あろうことかこちらに顔を近づけてきた。
仲間も俺も、悲鳴すら上げられずに硬直する。
この龍が死んだわけではないというのは、初代会長の次元の狭間についての調査記録から知っていた。しかし、まさか目覚めるなんて誰が予想できよう。もしやクリスタルタワーを転移させたことが彼の眠りを妨げたのではないかと考えて、さっと血の気が引いた。
そんな俺たちを見渡したミドガルズオルムは、低く、静かに声を発した。
「汝ら、小さきヒトの子よ……今しがた、水晶の塔を次元の彼方に送ったな」
「あ、ああ……すまない、それで起こしちまったのか……?」
その問いに、龍はすぐには答えなかった。
無意識のうちに握りしめていた掌に、嫌な汗が滲む。大丈夫、彼は敵ではないはずと己に言い聞かせるも、本能的な畏れはかき消せない。ドラゴン族とはこういうものなのかと実感しながら、沙汰を待つしかなかった。
「……微睡みながら、世の移り変わりを眺めておった。
汝らに連なるヒトが、何を成そうとしていたのかもな」
原初の龍は淡々と語り、もう一度俺たちを見回した。
「我は戦がいかなるものか知っておる。ゆえに、汝らの行いが勇敢であるとも解る。
しかし……ヒトの一生はあまりに短い。
ましてやその心の移り変わりともなれば、我ら竜には理解し難いほどだ。
なればこそ、いずれは潰える夢と思っておったが……汝らは、やりとげた」
加えて、と言いながら、その巨大な眼が仲間のひとりを捉えた。
まだ年若い彼女は、両手で黒い塊を抱きかかえている。
俺の先祖が作ったという、オメガの模型だった。
それは長年ガーロンド・アイアンワークスの一員として親しまれていたが、さすがに経年劣化が激しく、あちこちにガタがきていた。バッテリーを換えてもすぐに止まってしまうし、センサーにも異常をきたしているのか、よく隠れ家の壁に――それこそミドガルズオルムの身体に、ガツンガツンとぶつかっていた。
徹底的に修理することもできるが、作り直しに等しくなるだろう。
そのころにはもう塔の転移計画が佳境に入っていたこともあり、ひとまずそれを終えるまでは、動かずとも元のままで……と皆で決めたのだ。
そんな模型を見たミドガルズオルムが、ゆっくりと息を吐いた。
龍の表情なんてちっともわからないが、なんとなく、笑ったのではないかと思った。
――だからつられて緊張が解けたのか、あるいはその光景に何かを感じ取ったのかは自分でもわからない。ただ、全身に再び血が巡り始め、それがひどく熱く感じた。
頭の中に、昨晩聞いた言葉が響く。
“あてられたんだ”と。
ああ、それはこういう感覚だったのだろうか。
何か壮大な流れに身を投じるかのような、事の始まりを目前に控えたかのような、少しの不安と高揚感。それに浮かされるように、畏れていた龍をまっすぐに見据える。
龍もまた、鱗を朝日に輝かせながら、こちらを見据えて言った。
「ヒトの子よ、汝らの夢はここで終わりか?」
「……いいや、俺たちは」
第八霊災のない未来を、かの英雄が生きる未来を成立させるために俺たちができることはもうない。しかし、その夢のために培われて来た技術は、確かにこの手に残っている。
諦めの悪い人々が必死にしがみつき、積み重ねてきたそれは、今度こそ世界を救うのに足るのではないか。いや――
「救いたいんだ、この世界を」
その答えに、ミドガルズオルムは、やっぱり笑ったような気がした。
「我はヒトの牙に非ず。
されどこの星に間を借りる者として、汝らの願いに力を貸そう。
我を堅き城壁とし、都市を築いて、さらに知恵を積むがいい。
その果てにいつかは来たるだろう――新たな平和の時代、ヒトが星暦と呼ぶものが」
龍の言葉に頷けば、俺たちの次なる戦いが始まる。
時と世界を渡ったあの青年も、彼の戦場で奮闘していることだろう。
その結末を語り合えずとも。互いの歴史に名が記されることがなくとも。
俺たちはきっと同じように、彼方の星に手を伸ばす。
