「月とともに眠る前に」


さて、今宵の物語をはじめましょう。
はじまりの父と母が創られてから、いくつもの季節が廻ったころ。
そして、今となっては昔の昔。
この輝ける草原に暮らしていた、あるアウラ族のお話です。


いかついテール山脈を下り、カールとともに進んだ先に、アジム・カートという湖があります。
太陽神アジムが「明けの父」をお創りになったその場所には、大きな大きな石造りの神殿がそびえ、ふりそそぐ陽の輝きを讃えていました。
その辺りを好んで暮らしていたのが、オロニル族の人々です。アジム神の化身の血を継ぐという彼らは、祖先と家族を愛し、強く、誇り高く生きていました。

そんなオロニル族に、ひとりの幼い少年がいました。
名は、マグナイ。同じ年頃の子どもたちと比べると、ひとまわりは躰が大きく、そのぶん無口な少年です。おとなたちに負けず劣らずの怪力で、羊乳のなみなみと入った桶を一度に四つは担ぎ、身の丈ほどもある石斧を振り回して狩りの手伝いをしていました。
オロニル族は、「兄弟闘技」という競技で兄と弟を決めますが、マグナイを連れて狩りから帰ったおとなたちは、「そのうちお前の方が『兄さん』になっちまうかもなぁ!」と笑って、彼の頭をわしわしと撫でるのでした。

その小さな戦士マグナイは、何よりも物語を愛していました。
特に好きなのが、一族にまつわる昔話で、何度も何度も語り部にその話をせがみます。
太陽神アジムと月神ナーマの争いや、やがて生みだされた鱗ある父母の話。手を取り合う人々の姿をみて、神々も愛を知った話。しかし太陽と月は交わることなく、天のそれぞれに去った話。そして、月神に連なる者を護らんと、太陽神が己の化身を地上におとし、それがオロニル族になったという話……。
語り部が話をしめくくると、マグナイはきまって真剣に頷きます。そして太陽神から託された使命を精一杯はたすべく、武芸の稽古に励むのでした。

そんなマグナイが、ある日、語り部に問いました。

「自分のナーマは、どうしたらわかる?」

彼らの伝承によると、月神が太陽神を想ってこぼす涙は、地上でその化身たるオロニル族の「運命の相手」になるのです。それを、月神にちなんで、「私のナーマ」と彼らは呼んでいました。
語り部は人生の伴侶を得ていたので、その馴れ初めを話しました。しかしマグナイには、それが素敵な運命だとは、ちっとも思えませんでした。

マグナイは、ナーマを得た兄さんたちにも同じことを聞いてみました。
ある兄さんは、市場で出会い、意気投合したのだと言いました。
別の兄さんは、狩場で弓を引く姿を見かけ、ひと目でそれと察したのだと言いました。
一族の中から相手を見つけた兄さんは、長くともにいるうちに、いつしか彼女に添うのが当たり前になっていたのだと笑いました。
みんなの話はてんでばらばらで、マグナイにはやっぱりよくわかりません。それでも、話をする兄さんたちが、あんまりに幸せそうな顔をするので、やっぱり彼らは運命の相手と巡り合えたのだろうと思いました。
きっと自分も、自分にとって最高の人と運命で繋がれている……いつか巡り合うことができれば、互いにそうだと気づくに違いない。マグナイは密かに期待で胸を膨らませました。


それからというもの、マグナイは時折、自分のナーマがどんな人なのかを想像するようになりました。草原はとても広いので、しっかり考えておかなければ、見落としてしまうかもしれないと思ったのです。

彼にはたくさんの姉さんたちがいましたが、みなとてもたくましく、マグナイが好きに時間をすごしていると、すぐに仕事を持ってきました。マグナイは働くことが嫌いではありませんでしたが、姉さんたちに早く早くと急かされるのは、あまり好きではありませんでした。三つ上の姉さんと、五つ上の姉さんが色とりどりに染めた布を干しながら、自分のナーマはきっと、姉さんたちのようにガミガミと声を荒げない、可憐で控えめな人だろうと思いました。なにせ、最高の伴侶なのですから。

またあるとき、妹が逃がしてしまった羊を、マグナイひとりで追いかけたことがありました。
途中、茂った夏草のようなハルガイたちにまとわりつかれているうちに、赤く燃えていた太陽はすっかり沈み、ついに羊を捕まえるころには、天を星々が埋めつくしていました。マグナイは仕方なく、羊とともに、凍てつく草原の夜を過ごしました。
いつの間にか眠っていた彼が目を覚ましたのは、夜明けのこと。薄ぼけた空に白い星が溶け、地平の向こうから柔らかな金を纏った太陽が昇りはじめていました。
マグナイはこんな朝が好きでした。天と地を鮮やかに染めていく太陽は、遠く遥かな彼らの父祖。それが世界を祝福し、澄んだ光で統べていくさまをじっと見つめているだけで、満たされる心地がするのです。赤子の頬のように染まった空に、うっすらと影を落としていた薄雲も、やがては光に溶けていきました。
マグナイは、この朝焼けのように柔らかく、美しく、胸を満たすものがずっとそばにあればいいと思いました。すなわち自分のナーマはそういう人であるはずです。ええ、なにせ最高の伴侶なのですから……。

そうしているうちに、小さな戦士だったマグナイは、誰よりも屈強な青年に成長しました。
兄弟闘技をへて、一族でもっとも強い「長兄」となった彼は、威厳と力に満ちあふれ、「終節の合戦」までも制しました。一族の仲間たちも、彼こそは黒き鱗のアウラ族を統べ護る者としてふさわしいと、大いに讃えたものです。

しかし、マグナイがどれほど立派になっても、彼のナーマは見つかりませんでした。
彼を気にする乙女がいたとて、「そうではない」「こうではない」と注文をつけて拒むので、すぐに誰にも言い寄られなくなってしまったのです。
同じ年頃の弟たちは次々とナーマを見つけているというのに、長兄が孤独では誰もがいたたまれません。弟たちは、ある日、マグナイにこう進言しました。

「偉大なる長兄よ、あなたの力によって、我らオロニル族は合戦をも制し、
 名実ともに、この一帯の覇者となりました」

「しかれば、この地に住まう女人を集め、あなたのナーマを探してはいかがでしょうか」

「合戦に勝利したのも、すべてはそのためだったのやもしれませぬ。
 さあ、さあ、馬を駆けさせ、ヨルを飛ばし、女人を集めて参りましょう」

こうして、マグナイのために、盛大な花嫁探しがおこなわれることになったのでした。


ほどなくして、そのとき一帯にいた部族の女性が、草原のひとところに集められました。
彼女たちの前には、ひときわ豪奢な布を被せた日よけが建てられ、その下にはマグナイが難しい顔をして座っています。弟のひとりが、うやうやしく言いました。

「さあ偉大なる長兄よ。この中にはきっと、あなたのために落とされた涙がいるはずです」

マグナイは静かに頷くと、立ち上がって女性たちの前に進み出ました。
そしてひとりひとり、様子を見て回ります。
不安げな者、憎々しげな者……反応はそれぞれでしたが、マグナイはそのうちに、ひとりの女性に目を留めました。口元を布で隠しているものの、清楚でかわいらしい少女です。彼女は周囲の者と囁き合うでもなく、マグナイを警戒するでもなく、柔らかな空気をまとわせながらどこか遠くを見ていました。

「おい、お前……」

マグナイが近づくと、彼女はぎょっとして身を引きました。
なんということはありません、ケスティル族である彼女は、日よけに使われている豪華な布を見て、「市に出したら人気がでそう」と考えていただけなのです。
そんなことを知る由もないマグナイは、咄嗟に彼女の腕をつかみ……なぜか、驚いたように身をこわばらせました。

――なんて、細い。

力いっぱい握りしめたら、簡単に折れてしまいそうです。
たったそれだけのことが、マグナイをひどく動揺させました。彼は何も言うことができず、かといって手を放すこともできず、掴んだままの彼女をじっと見つめます。背格好は姉さんたちと大して変わらないはずなのに、手の内にあるものがあまりに儚く華奢に思えて、心臓がうるさく音をたてました。

もしや、これが。この者が。

答えを求めるように、マグナイはなおさら真剣に彼女を見つめました。
もし彼女が、次に頬を染めたなら……照れたように頷いたなら……もう間違いはありません。
今すぐに感謝の祝詞を捧げ、盛大な婚儀を行おうと、マグナイは思いました。

――ああ、なのに。
マグナイの鬼気迫る視線を向けられた彼女は、涙さえうかべながら、ぶんぶんと勢いよく首を横に振ったのです!それと同時に、固唾をのんで見守っていた人々の中から、鋭い声が上がりました。

「おい、その手を離せよ。泣くほど嫌がってるのに、悪趣味かテメェは」

声の主は、怖いものなどない様子で、マグナイたちに近づいてきました。
砂漠の砂のごとく白い長髪をなびかせ、身に纏うのは、死を恐れぬ者の青……オロニル族と幾度も覇権を争ってきた、ドタール族の族長、サドゥでした。彼女もまた、候補のひとりとして集められていたのです。
マグナイはサドゥの言葉で我に返ると、ケスティル族の少女の腕を離しました。うろたえる少女に、サドゥは「いいから、離れてろ」と静かな声をかけます。少女は深々とした礼で感謝を示しながら、急いで人ごみに紛れていきました。

「テメェがオロニル族の新しい族長か。
 この前の合戦じゃ、直接やり合えなかったからな……どんなものかと思ってたが……。
 なるほどクソ偉そうだ、そんで酒や宝よりまず女ってクチか?」

「……余輩が求めるものを、お前などが理解できるものか。
 下がれ、敗北した弱者が、覇者の道を妨げる道理はない」

サドゥが、獲物を定めたベルスのように、青い目を細めました。
そしてマグナイの弟たちが止めに入るよりも早く、まじない道具の杖を構えると、ひとふりで炎をまき散らしたのです。
集められていた女性たちは、炎に追い立てられるように、その場から逃げ出しました。
マグナイが眉を寄せてサドゥを睨むと、サドゥは喉を鳴らして笑います。

「ああ悪い、せっかく囲った女たちが逃げちまったか。
 だが、先に火をつけたのはテメェだぜ?
 うちの一族は確かに負けた……
 だが、やりあってもないテメェに弱者よばわりされる筋合いはない」

サドゥは「来いよ」と、再び杖を構えました。
すぐに駆けつけてきた弟たちから石斧を受け取ったマグナイは、族長同士の戦いゆえ、手出しをせずに下がっているよう告げました。そして斧を構えながら……ため息をひとつ。

「なぜだ……いったいどこにいる……?
 慈愛にあふれ、可憐で控えめ……儚い朝焼けの雲がごとき……余輩のナーマは!」

そして彼が駆けだしたのを合図に、それから三日三晩にも渡る、宿命の戦いがはじまったのでした。
その結末と、長兄マグナイのナーマ探しの行く末は、またの夜に語るとしましょう。
彼や、彼が出会う人々が紡ぐ物語は、まだまだ続くのですから――