はじめに
公式発表の世界設定に、独自の解釈を加えた自作小説です。性質上、多少のネタバレを含むことをご了承下さい。なお、本文中FCメンバーのキャラクタープロフィールは、投稿時のものを使用しています。また、登場する料理名の一部は実在のものとは関係ありません。
♦第九章♦ ~東方の国 ドマのこれから~
私たちの眼前にあるのは、崩れ落ちたガレマール帝国代理総督府。かつての「ドマ城」である。中に残っていた者の安否は、敵味方を問わず判らない。未だ私たちのいる周辺には、激戦の痕跡がある。そこかしこに残る炎と、立ちのぼる煙。数多の怪我人と、彼らを手当てするため右往左往する人々。それでも周囲からは、時に笑い声さえ聞こえてくる。傍らにあるのは、打ち捨てられた帝国の機械兵器・・・・・。そう、多くの犠牲を出しながらも、ドマ解放作戦は成功したのであった。
戦後処理も終わりに近づいていた或る日、ウルルン調査団員から皆への報告があった。卓越した「スクリーンショット(SS)」技術を持つ、ララフェル族である。その腕を買われ、東方調査時の資料写真撮影とその管理を担当していた。諸国の写真を撮るうちに、その風景の奥にある「何か」を追求してみたくなったという。「事実上、東方調査団としてのミッションは終わった。ここから先は私の判断で、自由行動を許可しよう」、そう言ったエルヴィン団長の心臓は、いつもより寂しげな音を刻んでいた。これから始まる新たな旅で、ウルルン嬢は「何を」掴むのだろう。いつか再会したならば、時間を忘れて話を聞いてみたいと思う。彼女の色白の顔が、リムサ・ロミンサの夕陽よりも真っ赤になるくらい、互いにワインでも飲みかわしながら。
それからしばらくして、「ドマ町人地」の復興が始まろうとした頃、朗報が飛び込んできた。エオルゼアに避難していた、一部のドマの人々が戻ってきたのである。彼らの護衛として同行してきた「ぱくらま」のタンク男、ノーキン親衛隊員によれば、避難民の子供たちに剣術を教えていた「暁の血盟」のホーリー・ボルダー氏は、別れ際にひどく寂しがっていたという。ささやかではあるが、いつしか師弟の関係になっていたのだろう。ドマでは特に師弟、主従、親子の関係は重要視されているという。互いに異なる国に生まれた者の間に芽生えた、信頼関係。東西の交流は、既に始まっていたのだ。近々開設されるという、私塾(民間の教育組織)の講堂内に掛けられた世界地図を見ながら、私は思った。
ドマの復興を祈念して、宴が催されることになった。主催はドマ復興を指揮するヒューラン族の女性。出される料理の担当は、市場の責任者であるルガディン族の婦人。会場の警備は、町人地の自警組織を束ねる人狼族の青年が担当するという。全員「ムラビト-A」では表現しきれない、個性的なドマ住民である。「ぱくらま」団員のプロフィール作成を得意とするヴァル書記長であれば、彼らをどのようにレポートするだろうか。
宴の当日。ナマイの米、ヤンサの野菜、紅玉海産の海の幸はもとより、アジムステップから仕入れた肉等々、豊富な食材。それらを調理するための、鍋や釜といった良質な鉄製品。料理を彩りよく盛り付ける、木・紙製の食器の数々。
ドマ城決戦で活躍したレオ団員が、「ボーズ(アジムステップの伝統的な肉饅頭)」を嬉しそうに食べている。どうやらボーズの具が「ケナガウシ」の肉だったらしい。これまでドマには、ウシの肉を食べる習慣がなかったそうだ。ウシは田畑を耕す労働力となる大切な動物、というのが理由である。しかし最近では、それも変わりつつあるようだ。「肉を食わねば、屈強な体がつくれない。」そう主張する、アウラ族(ブドゥガ)との交流が本格化したことも一因らしい。その一方で、避難していた人々によりエオルゼア料理も着実に広がりつつある。中でもシチューは好まれているようだ。一度に大量に作ることができ、煮込む食材をそれほど選ばない。そういった理由から、復興が始まって多忙を極めたドマの人々に、瞬く間に浸透していったのである。今では「市厨」(しちゅう、「市場の台所」という意味らしい)の名で親しまれる、国民食となりつつある。
宴会場の一画に、赤と青(緑?)の扉で仕切られた小部屋が設けられ、中で東方風ヌードル(麵料理)が供されていた。麵の香りを楽しんでもらうための、隔離措置だという。扉の前でレッド団員が悩んでいたが、「赤」の扉を開けたようだ。「いらっしゃい。キツネ一杯ね。」配膳係の声が部屋の外まで聞こえたのと同時に、どこかで祝砲のクラッカーが鳴り響いた。
復興が始まったばかりで、正直ここまで豪華な宴になるとは思っていなかった。私たちの想像していた以上に、この国は力強い。既に、無二江の水を利用した大規模な開墾計画も進んでいるという。ドマの農夫と調査団員が、通訳を介して話をしている。通訳は、数か国語に堪能なワーン氏である。その様子を、ウルルン嬢に代わり記録係となった、クリス親衛隊員が撮影している。最近、ジャーナリストとしての才覚を表し始めた彼女なら、そのSS写真にどんなコメントを付けるだろうか。
実り始めた稲穂の向こうに、戦乙女の一人を見つけた。傍らに「神GOD」ヴェルフェ・ナキリ氏を連れている。この付近で、雷エーテルをまとったヤンサトラの変異種「しまじろう」が出没したとの報を受けて、駆けつけてきたのだという。そんな話を聞いた後でも、周りの風景はのどかなままである。自然と一体となる生活を営む、この国の「性質」ゆえか。
華やかな宴の裏で、犠牲となった人々の慰霊祭が行われていた。喧騒と光に満ちた空間を離れると、そこにあるのはただ静寂と闇のみ。水面に浮かぶ慰霊の火が、ゆらゆらと揺れている。海賊衆やコウジン族から聞いた「魂」というものは、実在するのかもしれない。「ぱくらま」の音楽家アラ・オジ氏の奏でる音色が、胸の奥に哀しくも優しく広がっていく。遠くの明かりの中には、宴の席を行き来する人々の影。「ここに、また、ドマという国を造りたいんだ。」帝国軍が撤退した時に聞いた、ドマの若い国主の言葉が思い出される。決して広い領土を持つとは言えないこの国が、エオルゼアの良き友人となる日もそう遠い未来のことではないだろう。この確信こそが、今回の東方調査の最大の収穫だと、私は断言しよう。
~ ~ ~ ~ ~ 町人地に用意された宿泊所で、メルウィブ提督への最後の報告書を書き終えた私は、エンチャントインクが残り少ないことに気がついた。最近「ぱくらま」に入団し、研修を兼ねてエオルゼアで奮闘しているナイン氏に、補充申請をしようか。タソガレ氏と連れ立って「豆柴の散歩」に出ていなければ、すぐに手配してくれるとは思うのだが。残りのインクをペン先に取り、書面の最後に「マホコ・ポーロ」と署名した。帝国の脅威がなくなった今、私が偽名を使う必要はないだろう。しかし、この報告書の作成者としては、マホコ・ポーロのままでいようと思う。遥か昔、東方の国ジパングを訪れたという異世界の冒険者、「マルコ・ポーロ」への敬意を込めて。
~つづく~ (次回、11月中旬投稿予定)☆豆ット知識(頭の中に入れとけば、いつのまにやら旅の供。そんなマメットのような豆知識)
第九回 マルコ・ポーロとジパング あれこれ
そんな彼の歴史上最大の功績は、訪れた国や土地の情報を詳細に記録し、「東方見聞録」としてまとめ、ヨーロッパ人に初めてアジアの姿を伝えたことなのです。一説によれば、マルコ・ポーロが中国で見た麵料理のレシピを持ち帰り、イタリアでパスタが誕生したともいわれています。また、「東方見聞録」の道程を海路によって確認しようとしたことが、「大航海時代」の始まりの一端となったという評価もあるようです。彼が中国から持ち帰った方位磁針(指南魚)は、羅針盤へと発展し、大航海時代を支える道具ともなったのです。
さて「東方見聞録」の中で「東方にある黄金の国」として記述されているのが、ジパングです。ご存知のように日本のことですね。誤解も多いのですが、彼自身は実際にジパングを訪れたことはありません。諸説ありますが、中国南部の商人から聞いた話を書き留めたといわれています。「黄金の国」というのは、奥州平泉(現、岩手県南西部)中尊寺金色堂(1124年建立)の存在を、一般家屋の話と錯覚したためと考えられています。また、遣唐使時代(630~894年)の日本からの留学生が、費用として「金(ゴールド)」を持参していた史実も影響しているそうです。
余談ですが、嘉永6(1853)年に日本開国を目指して浦賀(今の神奈川県横須賀市)に来航したペリー提督も、来日前に「東方見聞録」を読んでいたそうです。ジパングに関する記述を全て信じていたとは思えませんが、現実の日本を見た時に彼は何を思ったのでしょうか。そのギャップに「予習はしましたが、初見です。よろしくお願いします。」なんて言ったりしたのかな、と想像すると、時代を越えて彼といっしょに東方旅行をしてみたくなるのは私だけでしょうか。