まず、我が家は長年、あまり落ち着いてない家です。
一番安心安全で休まり安らぎする場所であってほしいのに、そうではない。
家の外の世界はどうあれ仕方ないですが、それだけに家の中は安心安全拠点であってほしかった。
まず、自分自身のことがどうにかなってはいないので、そこをなんとかしなくてはいけなかった。
そこに関しては正直、頑張ってもどうにもならないことをどうにかしなくてはならなかった。
外部の助けというのは得られませんでした。
いろんなところに相談はして自分でも考え得る限りの努力はしたけど、どうにもならなかった。
まあ何度も体は壊しました。
加えて家族のことも、自分のこと以外にも2人ぶんくらいは背負わなくてはいけない状態でした。
物理的にも精神的にも時間的にもです。
誰かに頼まれたわけではないけど、自分が頑張ったり我慢したりしていないと、
家族が壊れてしまうだろうとずっと思ってきました。
そんな折、ちょうど去年の今頃ですね、母が40℃を超える高熱を出しました。
体温計で十の位が4になるのなんてリアルでは初めて見たので本当に驚きました。
母はかかりつけ医に掛かって、当初はまずは何らかの感染症疑いということで
抗生物質や解熱剤を出してもらいました。
それをしばらく続けたけど、良くならない。
次いで、地元の公立病院に掛かりました。
血液検査・生体検査などをしておそらくこの病気だろう、というのが大体わかりました。
確定診断をするためには専門の検査設備のある遠い病院で検査をしました。
病名・ステージ4の悪性リンパ腫
すぐに入院治療することが決まりましたが、
この病気を治療するためにはクリーンルームに入る必要があり、
でも地元の病院にはクリーンルームがないので、
車で2時間ほど掛かる治療設備がある大きい病院に入院して抗がん剤治療をすることになりました。
入院する少し前に、その大きい病院で主治医になるお医者さんが、
病気のことと治療の説明をするので来てほしい、と言われました。
大きい病院なので受け持つ患者も多いのだとは思うけど、
「忙しくて時間が作れなくてやっと時間が空いたから」
って突然。40度の熱があるのに。車で2時間かかるのに。
随分上からの物言いだなと思いました。
大病院ってほんとうに白い巨塔の世界みたいだと思った。
医者が頂点に居て、あとの医療スタッフは医者の思い通りに動く手足、みたいな。
ただ、あちらもビジネスなので、「うちが嫌ならほかに行って」と言われても困るので…。
だけど医者と患者って対等だと思うんですよ。
病気を診るのではなく『人』を診てほしいと思った。
だから僕、珍しくものすごくムカムカしてました。
あの先生にも最後には直接言ってやらないとどうしても気が済みそうにない。
コロナ禍の間にリモートの仕組みは急激に進んだので、病気と治療の説明くらいなら、
資料を提示してもらいながら地元の病院からでもSkypeとかでできるのではと僕は考えたんですが…
地元の公立病院としては、義務もだけど権限もその大きい病院に移るので強くは言えなかったらしい。
ちなみにステージ4と言ってもいくつかの条件を満たすと医学的にはそうなるということで、
末期とか治療不可能とかそういうことではないらしかった。
もっとステージが低くてもあちこちに腫瘍ができることもあるみたいで。
幸いなことに発見が早かったので腫瘍はどこにもできていなかったのですが、
やっぱりステージ4という言葉の響きはかなりショッキングなものでした。
それから、治療自体は同じではあるんだけど、
症例(進行の仕方)が少なくて研究が進んでいない希少な型の病気でもありました。
こうして、五月の連休をちょっと過ぎたあたりから、母の半年間ほどの入院生活がはじまりました。
まず家のほうは母が担っていたことを全面的に僕がしなくてはいけなく…
一応家事は大概何でもできるのですけどね、ちょーし悪い人なのでかなり負担で。
朝起きてゴミ出しして洗濯して、日中のうちには買い物に行ってご飯を作って…
クタクタになってシャワーも浴びられないくらいなのに、
クタクタなまままた次の日が始まり朝起きて毎日のことをこなし…と。
その他任せられた雑事などもあり…。
母の治療のほうは、べったり半年間病院にいるってわけじゃなく、
3週間が1セットの治療(1クールという)×8回。
3週間のうちのの最後のほう、免疫力が回復したらちょっとでも自宅に戻らせるというが国の方針で。
送り迎えも家族が担わなければならないので…
家族がいない人や家族が動ける状態に無い人はどうするのだろうと思った。
コロナ禍で、『家族で助け合うこと・助け合える家族であること』つまり『自助・共助』って
どう考えても無理ってわかったのに。
うまくいっていない家族で、
それもひとりがひとり分も抱えられていない家族で助け合っているのはとても歪に思えた。
行政など外部からの買い物支援とか食事支援、患者家族への支援などは得られませんでした。
事由問わず困り度高い人はSOS出すのが大事な時代って世間では盛んに言うのに!
(まあ我が家は家のことは家のこととして家族で抱え込みがちな家庭ではある)
病気自体のこと、治療のこと、治療の副作用や予後のこと、
無視するわけにはいかなかったけど聞くのはとてもしんどかった。
治療がつらくてやめてしまう人もいると聞いてたので…
ほっといて治る病気じゃないからそういう人は緩和ケアのほうに行くとか…。
お母さん、死んじゃうのかなって思った。とても不安だった。過去と今、いろいろある家族とは言えど。
夜になってつらくなると、殊更つらい気持ちが増した。
朝が来たら来たで、また一日が始まるのか、こういう毎日があとどれだけ続くのだろうとつらかった。
それから、母が元気なうちは父が母によく愚痴とかぼやきとか話してましたが、
それを聞く役目を僕がしなくてはいけなかったので、それも本当にとてもしんどかった。
僕自身は全然つらい気持ち不安な気持ち、怒り・不満・理不尽さなどを吐き出せなかった。
自分で抱え込むしかなかった。
それで、先述のとおり、治療の合間合間に3,4日は母が帰宅してくるわけです。
それでちょっとほっともするんだけど、免疫力ゼロの状態なので、まず家からは出られず。
たとえばインフルエンザの予防接種も無効になってしまうくらい免疫力が落ちた状態だったらしいので、
換気はすごく気を付けましたね…。窓を定期的にフルオープンにして。
抗がん剤の影響で髪や眉毛抜けちゃってる姿も見てつらかったなあ…。
あと、同じタイミングで同系統の病気にかかって治療してる有名人も何人かおられて、
見たくなくてもネットやテレビで病気のことが目に入ってしまうのにも心を削られた。
加えて、うちのほうはいなかなので、近所で
『最近、かずなんさんとこのお母さん見ないね?』
みたいなうわさ話も立つわけです。
誰が在宅してるとか出かけたとか誰と結婚した別れた、誰が車を買ったとかが話題になるかんじなので…
うわさ話や陰口っていうのはぐろぐろした負の感情なので、
それもまた心をえぐられる大きな原因でした。
まあ近所の人に対しては異常なくらいピリピリしてました。
ぐずぐず言ってくる奴は警察呼ばれたとしても全員ブチのめしてやろうと思ってた。
いや、普段からぐずぐず根掘り葉掘りしてくる人には
遭遇し次第今からでもきつく怒鳴り散らしたいですが…。
えっとそれから…母がこちらに帰っているときでも、
どうしても母自身が外出しないといけないこともちょいちょいありました。
治療で髪が抜けちゃってて、医療用キャップ被っているので、
そういうのも見られたらまた近所で尾ひれ背ひれつけてあることないこと噂されるので、こっそりと。
まあ確かに何にも伝えていない人は久しぶりに会った相手が医療用キャップ被ってたら
「どうしたの!?」
とはなるかも………でも、普通の人なら
「病気治療で」
とだけ言えばわかるし、それ以上根掘り葉掘りしないです。
「大変だね、良くなってね」、治療が終わったら「大変だったね、治ってよかったね」
で終わる話だろうと僕は思うんですが、いなかなので、要らぬ詮索とかが…。
ほんとうにあたおかなデリカシーない人が多くてな…。
あー、やっぱりぐずぐず言うやつは今からでも遭遇し次第全員ブチのめしたい。
そういうわけで、僕、家の内外で極限までピリピリしてました。
人に対しては暴力は振るってはいないですが、
正直、恥ずかしながら早朝やド真夜中に大きい声出したり、
壁や床殴るぐらいでは済まないことがかなりありました。
抱え込んで、吐き出せなかったので…。
うまくまとまらなくても、断片的で支離滅裂でも、
言葉として吐き出すということはとても大事だと思った。
逆に、このタイミングで、近所で
「結婚します☆」
なんていうひとも居てそのキラキラっぷりで鬱になってました。
自分が体壊すまで頑張っても手に入れられなかったものを簡単に手に入れられて、
さらにまわりや社会からの理解や支援、後ろ盾が強力だと、
こんなにも早い段階から、こんなににも生きやすくなるのだなって…。
『僕も幸せになりたい!』ってド真夜中に大声出したこともありました。
えっと、念の為お伝えしておくと、
僕普段決して怒りっぽいほうじゃないですし、あらゆる欲が薄いです。
ちゃんと、相当なレベルまで我慢できるほうです(‥‥と自分では思ってます)。
ただ、普段静かで我慢強い者が激怒するときってそれはどういう時なのかは周りの人に知ってほしい。
普通に頑張って普通にしあわせになりたいだけなのに、どうしてそうならないんだろう。
そして…いろいろあったけど、去年の12月のはじめに母が治療を終えて家に戻りました。
いちおうは寛解ということです。
先のことは…わからないですね…当分は月イチくらいで入院していた病院で定期検査。
ガンは5年再発しなくて初めて完治したといえる病気なので。
免疫力が回復するまでは当分買い物とか人中には出られないということで、
買い物とか外の用事は継続。(ごはんは作ってくれるようになったのでだいぶ楽にはなった)
最近になって母が以前のように買い物にも出てくれるようになり、ようやく元の生活が戻ってきました。
でもそれって、生活がプラスに転じたわけじゃなく、マイナスがゼロに戻っただけだよなとか。
1年間たいがいのものがほったらかしだった。
この頃の僕はもう本当に消耗しきってます。
1年間の母の病気のこと以前にも、おととしは両方のおばあちゃんが亡くなったり、
数年前には父の実家を処分して居場所がなくなったりと、喪失体験が重なっていて、
毎日毎日が大変だったから、
そういうのを整理したり癒されたりがぜんぜんできずにこんにちまで来たので…。
情緒的なものに触れるのがすごく苦痛というのかなあ…
人の顔見たり人の声聞いたり人の気配感じたり、
他人だけじゃなく自分の感情に触れるのもとてもしんどく…。
生活ができていないです。着替えてすらいない。ほとんどなんにもできてない。
エネルギーがなくてほんとうにひきこもってます。
ひきこもっていたいわけじゃないし、ひきこもっているつもりもないけど、ひきこもってる。
心身とても不安定。
散髪に行けなくて自分で坊主にもしました。
たとえば2,3日食っちゃ寝して回復するような感じではなく…
人生に疲れているというか魂が疲れているというか…。
外出するのは病院くらいですね。薬を急にやめるわけにはいかないので…。
休みたい。
癒されたい。
つらいときはちゃんと助けてほしい。
好きなことをしたい。楽しいことをしたい。
わがままも自分勝手も通したい。
自分が快適と思うことだけしたい。
こうなればいいなと思うことは全部叶うといい。
嫌な経験はもうしたくない。
みんなひどかった。
確かに過去は変えられないです。
でもその分『ではどうすればよかったのか?』だけはわかるはずと思うから、知りたい。
『どう頑張ってもどうにもならなかった』が答えだとしたらそれでもいい。
それなら納得できるから。
しあわせになりたい。