3 『PYROMANIA』
3-1
目の前には真新しい一つの墓。
墓には、こう刻まれている。
『祖国のために戦った竜騎士、アロイス・レッドグレイヴ 女神の腕に抱かれて永遠の眠りにつかん』
嫌な言葉だ。
「誰も祖国のためになんて戦っちゃいない」
そう呟いてから、違うな、とエールは思い直した。
アロイスなら。
皆に好かれ、公正で、優しかった。こんな不出来な兄と竜騎士団の連中が互いに疎ましく思いあうことを、本気で案じていた。
アロイスなら。
本気で、祖国のために、と戦っていたのかもしれない。
駆け付けたときには、すべてが終わっていた。
複数の村を同時に襲った邪竜の眷属に対応するため、少人数で分散し向かったのが失策だった。それ以前にエールは前日の戦闘で負傷し非番になっており、竜騎士団出撃の報を後になって知ったのだ。
妙な胸騒ぎがして、慌てて後を追った。
そこでエールは見た。
村も、神殿騎士団も、竜騎士たちも、それから村を襲っていたドラゴンさえもが地に伏し、死に絶えているのを。
黒紫の八枚翼を広げ、邪竜スアーラが天よりすべてを嘲笑しているのを。
焼け焦げた弟の死体を見ても、涙は出なかった。
最初に思ったのは、これは俺が招いたことだ、という自責の念だ。
妹を――ミレーヌを失った怒りを糧に、エールは突き進んだ。その道に、その戦いに、常にアロイスは従ってくれた。ついてきてくれた。
けれど。
本当は、止めるべきだったのだ。
アロイスが竜騎士への道を進むことを、否、そもそも戦いの世界へと足を踏みいれるのを。
優しいアロイス。
復讐のためだけに生き、他の竜騎士たちさえも仲間とは思わない自分とは違い、人を愛することを知っていた男だった。
「エール」
声の主を見る。アロイスの妻、フィリスが横に立っていた。
美しい顔はやつれ、目の下は隈で黒く汚れていた。
これも――俺のせいだ。
俺が、アロイスを連れ回したからだ。恨みと怒りで彩られた戦いの道へ、俺が、弟を、このひとにとっての最愛の夫を、引きずり込んで返さなかった。
俺が、殺したのだ。愛する弟を。
「すまない」
ひび割れた声で謝罪する。もう言わないで、とフィリスが首を振る。もう、と言われるほど謝罪しただろうか。それさえも分からない。
「――墓碑の文句を、変えてくれといったんだが。通らなかった」
文句を、とオウム返しに呟くフィリスに言う。
「竜騎士、っていうところを削れ、って言ったんだ。もうこいつは竜騎士じゃない。戦うこともない。ただの男だ。誰よりも優しい、こんな俺にさえ優しい、ただの男だ。だから」
「もういい。もう、いいよ」
フィリスが遮る。涙を流しながら、こちらを見つめてくる。
「あの人が優しい人だったのはみんな知ってる。あなたが、彼を『ただの男』に戻したいのも分かってる。わかるよ。だから、だからね、エール」
フィリスが腕を掴む。彼女なりの、強いちからで。
「もう――休んで」
懇願されたエールは、首をゆっくりと振った。腕を掴むフィリスの手を、彼なりの、優しいちからで剥がす。
「すべてが終わったら、休むさ」
兜を被り、背を向ける。ここから先は戦いだ。より一層強さを増した憎悪の炎を心に解き放ち、エールは駆けだした。もう、フィリスの声は届かなかった。
3-2
前夜からの雨は激しさを増し、未明にはついに嵐となった。
その朝。朱獺隊第十四小隊は、ハーストミルに駐屯している神勇隊から、ドラゴンの群れが出現したとの報告を受けた。
彼らは今、暴風雨の中チョコボを疾駆させている。
「時間が無い! 遺跡を突っ切るぞ!」
リ・ジン・キナが叫ぶ。
フォールゴウドの北東には、いにしえのゲルモラ王国時代の遺跡が存在する。そこを抜けるルートが最も早くハーストミルへ至る道なのだが、遺跡には魔物が数多く棲息しており、よほどの者でなければそこを通りたいとは思わない場所だった。
しかし、事態が事態だ。これにはさしもの慎重派なロジェも反対しなかった。
魔物の群れに追われながら、それを無理やり振り切って第十四小隊は進んだ。遺跡を抜ける。すぐにハーストミルが目に入ってきた。
空中にドラゴンたちが数体飛んでいるのが見える。地上にも何体かが降り、暴れているようだ。
「見えたぜ!」
「うむ――しかし、数が少ないように見えるが……?」
多く見積もっても五、六体。そこにスアーラの姿も無かった。
「ロジェ、双蛇党本部へ連絡を。こちらは陽動かもしれん」
「了解しました」
「――彼、来たわよ」
シャルロットの目は、暴風雨の最中でもエールの姿を捉えていた。木々の間を疾駆する竜騎士は、第十四小隊の面々より僅かに早くハーストミルへ到着していた。
「こっちも急ぐぞ。シャル、お前エールの援護をしてやっちゃくれねえか」
「嫌」
「お前なあ!」
メイナードの怒声に一切動じず、村へ到着したシャルロットは独り村の奥へ向かう。
「あたし行くよ」
それだけを告げて、アーシュラが消える。メイナードの要請の真意も問わない。
「しゃあねえか!」
自身もチョコボから性急に降りると、メイナードは村に入る。村の入り口に設けられた門砦を抜け村の広場へ。そこでは二体のドラゴンが鬼哭隊士たちと交戦していた。鬼哭隊士の数は少ない。一体のドラゴンが倒れており、その周囲には鬼哭隊士たちと幻術士たちが数多く倒れていた。
空には二体のワイバーンが滞空し、門砦や建物の影から矢を放つ神勇隊士たちと戦っている。現状四体。すでに倒れたものを数えても五体。やはり少ない。
『村の奥には来てないわ。広場の四体以外に敵はいない』
シャルロットから報告が入る。手一杯の現地部隊に代わり、それを確認したかったらしい。
「ご苦労!」
応じたリ・ジンはメイナードとロジェに指示を出す。
「メイナードは鬼哭隊と共に、彼らが今戦っている個体を倒せ! その間にロジェは可能な限りの竜を引き付けろ!」
「応!」
「心得ました!」
二人が応え、走り出していく。自身も走り出しながら、リ・ジンは跳躍する竜騎士を見上げた。
「無茶をする……!」
3-3
「おおおッ!」
エールは叫び、岩を数回蹴りつけて高みへと跳躍する。しかし、上空へ逃れようとしていたワイバーンより高くは飛べない。
「――!」
咆哮をあげたワイバーンがブレスを吐く。
それこそが隙だ。
ブレスが吐かれる寸前の口中へ槍を突き込む。だが、浅い。直後に吐かれた雷のブレスがエールを灼く。普段のエールなら、構わずに貫きとどめを刺せただろう。が、今のエールはそれができない。体が軋む。力が足りない。
槍が抜け、体が重力に引かれる。
そのとき、エールの肩に突如重みがかかった。
「!?」
アーシュラだ。
彼女は門砦に併設された灯台を登り、エール目掛けて跳躍していたのだ。エールの肩を蹴り、再度跳躍。空中で抜刀すると、ワイバーンの頭部へと斬撃を放った。
「ガァッ!」
苦悶の叫びをあげ、ワイバーンがもがく。アーシュラの斬撃は、致命ではないが深い傷を頭部へ負わせていた。空中の彼女は身を捻ると、翼竜の片翼に取り付いた。翼に双剣が突き立てられる。人間一人分の重さで下に引かれる刃は翼を裂いていく。バランスを崩し、ワイバーンが落下した。
その、落ち行く竜の頭部へ。
シャルロットのヘヴィショットが放たれた。首元へ当たる初撃を見ながら、
「そこね」
流れるように第二矢――ストレートショットを撃つ。赤い走り羽が暴風雨を切り裂き、矢はアーシュラが付けた傷へ深々と刺さった。
「……!」
絶命し、肉塊となったワイバーンが地に落ちた。アーシュラは落下中に刃を抜き難なく着地し、エールはかろうじて膝を付くだけで堪えた。
「だいじょぶ?」
「……うるせえ」
吐き捨ててエールが立ち上がる。残り三体。
そのとき、雄叫びと共にメイナードが槍を突き上げた。竜がぐらりと傾ぐ。メイナードと鬼哭隊の一斉攻撃を受け、地面で暴れていたドラゴンの一体が倒れた。これで残り二体。
ところが。
残りの二体は、同時に逃走を始めた。
「撤退か。深追いは無用」
「させるかァ!」
リ・ジンが指示を告げた直後、叫んだエールが猛然と駆け出す。
「待てエール! 追うでない!」
制止の声を無視し、エールは門砦へと跳躍する。最初から空中にいて離脱の早かったワイバーンと違い、地上でロジェと戦っていたドラゴンは上昇離脱のスピードが遅い。門砦の上空を抜けるところで、エールのスパインダイブがドラゴンを捉えた。
「――!」
背中を刺されながらもドラゴンは逃走する。エールを連れたまま、ワイバーンともどもプラウドクリーク方面へと飛び去っていく。
「追うぞ!」
リ・ジンがそう言ったときには、すでにメイナードとアーシュラがチョコボで駆け出していた。
「あのまま仲間と合流した場合、今のエールでは死にかねん!」
リ・ジン、ロジェ、そしてシャルロットがチョコボに騎乗する。
雷鳴が数度、空を走った。
3-4
飛行しながらドラゴンが暴れる。
突き立てた槍を握りしめたエールは、振り落とされないように懸命に堪えた。
先のスパインダイブが、ほとんど最後の気力だった。血の気が失せる。疲労が痛みさえ伴ってエールの体を這いまわる。だが、ここで止まるわけにはいかなかった。こいつらがスアーラのところにいくなら、それが決戦の場だ。
「暴れるんじゃねえ……スアーラの前まで案内したら、楽にしてやる……!」
荒い息を吐きながら、獰猛に笑う。
そのときだった。
突然、木々が吹き上がった。
エールが槍を突き刺しているドラゴンともう一体のワイバーンの前に、黒紫の邪竜が姿を現していた。
「な……!」
合流する場所で待ち受けているものだと思っていた。遠目で姿を確認できるものだと思い込んでいた。
故に、あまりに唐突な仇敵の出現に、エールは立ち竦んでしまった。
出現したのはスアーラだけではない。その眷属のドラゴンたちも、一斉に姿を見せていた。ここまで逃走してきた二体の竜を包囲するように。
これが、逃走した二体には伏せられていたことだと、エールは直感した。
二体も動揺している。
待ち伏せ。
俺が、追いすがってくることを見越していた……!?
数瞬の動揺からエールが我に返ったとき。スアーラと眷属たちは、一斉にブレスを吐いた。
逃走してきた二体と――エール目掛けて。
「――!」
雷と炎のブレスが、十数体のドラゴンから一斉に放たれた。眩い光が嵐の森を激しく照らす。
かろうじて。
本当に辛うじて、エールは地に逃れていた。
着地に失敗し、無様に倒れ伏しながら、顔だけは慌ててスアーラを探し見上げた。
「――」
笑った。まただ。また、嘲笑われている。
その吊り上がった口角がもう一度輝いた。眷属たちも一斉にこちらを向いた。皆、口中に破壊のエーテルを集中させている。
だめだ。
逃げろ。
いや、前だ。
前へ出て、少しでもスアーラに近付け。
くそ。
動け。
動けよ、俺の体……!
ブレスが放たれる寸前。
「精霊よ! 地の護りを!」
リ・ジン・キナの叫びが上がった。地面からせり上がった石壁が、エールの視界を塞いだ。
眩い閃光、衝撃、熱。
それらを石壁は受け止め、そして受け止め切ったところで黒く炭化して崩れた。
「……っ」
それが無ければ死んでいたろう。それが数瞬遅くても死んでいたろう。
くそ。
俺は……
「――」
スアーラが吠えた。どこか嘲るような、そういう声だった。そのまま上昇する。眷属たちも同様に、上昇していく。
助かった。
そう思った自分が嫌だった。
「生きてるか!?」
赤い髪の槍術士――メイナードと言ったか――が駆け込んでくる。双剣士の女――アーシュラも一緒だ。
「焼かれてはないみたいね」
彼女が差しだす手を払いのける。立ち上がると、もう一度空を見上げた。
スアーラたちはもう見えない。
「……クソが!」
毒づくが、声は震えている。兜を脱ぐ。冷たい汗が髪から滴った。
「間一髪じゃったの」
リ・ジンたちも到着した。チョコボを降りた角尊は、エール同様にスアーラの去った空を見つめた。
「……数が減ったら逃走しろ、と命じておいて、自分たちは森に潜む。お主が追いすがることを見越し、罠を張った。――だが」
少年とも少女ともつかない中世的な容姿の角尊が、こちらを見上げる。
「もしお主が逃げる竜たちを取り逃がしたとしたら。スアーラめは、その竜たちを迎え入れたと思うか?」
「……どういう意味だ」
「お主が来る来ないに関わらず、逃げてきた竜たちはここで殺されたのではないか、と思ってな」
「……」
それは、と問おうとした時だった。
「おい」
メイナードが、こちらに歩みながらエールの名を呼んだ。それが控えめに言っても友好的な口調ではなかったので、エールもメイナードを睨んで応えた。
「あ?」
「お前、あの親玉を殺れんのか?」
「なんだと……」
顔だけではなく、体もメイナードのほうへ向ける。背はメイナードのほうが高い。
「今回なんざ殺されかけたじゃねえか」
「……奴が小細工したからだろうが。今度は殺す」
吐き捨てるエールに、メイナードが厳しい声で言った。
「できねえな」
「あ……!?」
「状況は全く変わってねえ。お前は奴に翻弄され続けてる。だったら結果は一緒だ。さっき取り逃がしたお前は、次も取り逃がす」
「……てめえ!」
よりによってスアーラ絡みで挑発されて、黙っていられるエールではない。激昂してメイナードの鎧の首元を掴む。――だが。同じように首元を掴まれたと思った瞬間に、メイナードの頭突きが炸裂した。
「ッ……!」
たまらずエールはよろめいた。そのエール目掛け、メイナードは鋭く言う。
「気合だけじゃ殺せねえんだよ。決意がご立派だろうが下衆だろうが、頭と腕を働かせた奴が戦場じゃ勝つ」
「んなことぁ」
「分かってんなら認めろよ。あの竜は知恵がある。戦術もある。だったら、意味なくここにきたわけじゃねえ。戦略だって持ってるはずだろうが。そいつを探らにゃあ、勝ちの目もみえねえだろうが!」
「……!」
その通りだった。
スアーラが狡知に長けた竜だと知っていたはずだ。その竜が、単に竜騎士団の追跡を逃れるためだけにここへ来るだろうか?
「その戦略だが」
リ・ジンが口を出した。
「少し見えてきた」
「なんだと?」
「さすが“将聖”。頼りになるぜ」
「だが、裏を取る必要もあるのでな。貴様の話も聞きたいのだよ。ここは利害の一致ということで協力せんか?」
それは――利のある話だ。
けれど。
エールは首を横に振った。
「だめだ。俺は独りでやる」
墓が。
アロイスの墓が、エールの脳裏から離れない。
誰も側にいないほうがいい。
もう、誰も、喪いたくない。
リ・ジンに、第十四小隊の者たちに、背を向けて去ろうとしたエールが、その蹴りを咄嗟に防げたのはほとんど偶然だった。
「てめえ……!」
乱暴な前蹴りを放った張本人、メイナードのほうを向き――エールは息を呑んだ。
メイナードは槍を構えていた。
「構えろ」
彼が決してふざけていないことを――それどころか、今、自分が隙を見せればそのまま突きを放たれる状態であることを、エールは感じ取った。
なんだ。
なんでこいつは俺の邪魔をする?
怒りが心を満たす。
気が付けば、呼応して槍を構えていた。
「メイナード、君は……」
制止の声をあげようとしたロジェの肩に手を置いて、アーシュラが引き留めた。
「ちょっと待とう?」
そんなやり取りはもうエールの耳には届かない。怒りで燃え上がる殺意が、口から洩れる。
「……殺すぞ。俺の邪魔をするなら、誰だろうと容赦しねえぞ」
「そうか。じゃあ、来い」
対するメイナードの声は落ち着いていた。冴え冴えとした殺気。どこへ打ち込んでも、否、打ち込む前に打ち込まれる気がする。
なんだ? こいつはなんだ!?
「……!」
「どうした。来いよ。来ねえなら」
素早い踏み込みから突き出された槍が顔を狙う。モーションがほとんど読めない。エールは慌てて躱すが、そのときには接近したメイナードの槍の柄が体ごとぶつけられていた。
「ぐ……!」
吹き飛ばされる。ため込んだ怒りが頂点に達し、エールは叫んだ。
「ァアアッ!!」
激情のまま跳躍した。ジャンプは本来人相手に使用する技ではない。だがエールは躊躇なく放った。
「く……!」
メイナードが寸前で切っ先を躱す。着地と同時に、エールは次々と槍を繰り出した。息もつかせぬ怒涛の攻撃だ。突き、薙ぎ、払い、打つ。己の槍術の限りを尽くして、完全に殺すつもりでエールはメイナードへと槍を放つ。
だが。
それらはすべて受け止められ、捌かれ、いなされた。
なぜだ!?
俺はこの男に――たかが槍術士風情に勝つことさえできない。
スアーラに勝てず、この男にも勝てない。
俺は。
ミレーヌを殺されて、復讐を始めた。アロイスを巻き込んだ。アロイスも殺された。俺のせいだ。ミレーヌだって、俺が。俺が……!
「うぁああああ!」
激情と共に放った突きは、十分読んでいたメイナードに捌かれた。全力の突きを放った直後のエールの体を、己の槍を手放したメイナードが掴んだ。
「うらァ!!」
メイナードの体が反り返る。エールの勢いと体重を乗せた投げ。受け身を取る暇も無く、エールの体は地面に叩きつけられた。
「……!」
地面に転がるエールの槍を拾い、メイナードは持ち主に切っ先を突き付けた。
「これでお前は死んだ」
死んだ。
そうか。
俺は……このままスアーラと戦っても、死ぬだろう。
「俺は、弱いか?」
「……?」
唐突な問いに、エールは呆然とメイナードを見上げる。
「俺が、そう簡単に邪竜に殺されるような男かどうか、今お前自身が知っただろ」
「……!」
「たった一人で全部背負い込んだような顔しやがって。いいか、俺は死なねえ。お前が心配するようなことにはならねえんだよ」
「……」
こいつは。
たったそれだけのことを言うために。
「アンタは……」
手を出しながら、メイナードが言う。
「メイナード・クリーヴズだ。お前を倒した男の名だぜ。心に刻めよ?」
おどけて告げるメイナードを、改めて見つめる。自信満々の笑顔だ。その笑顔は、強くエールの心に刻まれた。
「……わかった。協力してくれ、メイナード」
「おう」
差し出された手を掴む。起き上がりざま、エールはその手を強く引いて――頭突きをした。
「がッ!?」
「へっ! 借りは返したぜ!」
ざまあみろ、とエールが笑った次の瞬間。エールは背後から口を塞がれた。喉元に、片刃の短刀が当てられている。ただし、鞘付きだが。
「……!」
「これでお前は死んだ」
メイナードの口調を真似て、アーシュラが言った。
「おま……!」
「あたしも死なないよ? いざとなったら逃げちゃうけどね」
そう言って、アーシュラはするりと離れる。離れながら、口元を塞いでいた手が、優しくエールの頬を撫でた。
「――っ」
そんな風に女性と――いや、性別も立場も関係なく、誰ともそういう接し方をしてこなかったエールは、アーシュラの触れ方に驚いて固まってしまった。
アーシュラが触れた頬を思わずなぞるエール。その反対側の頬を、矢が駆け抜けていったので、さらにエールは硬直した。
油断していたとはいえ、矢を放つ者の殺気を感じ取れないエールではない。無論、殺す気が無ければ別だが、今頬を駆け抜けていった矢には、十分以上の殺気が込められていた。
放つときには全く感じ取れず、どういうわけか音さえも殺されていた。
「シャルロット・ラトゥールよ。ごめんなさいね。二人のようにはいかないわね。つい外してしまったわ」
恐るべき矢を放った女は、にこやかに礼をした。
「いや、それはダメだろ」
「割とマジ狙いだったよねシャル」
仲間たちから口々に責められても、シャルロットは微笑のままエールを見つめている。
なんだかわからないがとても怖かった。
「あー……」
咳払いに振り返ると、双蛇党の士官と、角尊が立っていた。
お前たちも何か仕掛けてくるのか!? という、ちょっと泣きそうな顔でエールは後退った。
「待ってくれ、私はそんな非常識なことはしない!」
真剣に否定するロジェ。
「双蛇党朱獺隊、第十四小隊長、中牙士、ロジェ・セナンクールだ。協力に感謝する、エール・レッドグレイヴ殿」
深々と礼をする。隣の角尊が腕を組んで笑った。
「角尊、リ・ジン・キナじゃ。これでようやく話が戻せるのう」
そう言ったリ・ジンに「頼む」と言ってから、エールはもう一度空を見上げた。
雨はいつの間にか、止んでいた。
(『Light My Fire/ignited』4へ続く)