もう、6.0クリアにともなって色々あって胸いっぱいな私さんです。( ˘ω˘ )
なので、FF14の原点ともいえる、この3つの言葉に立ち返ろうかと思い立ちました。
もはやヒカセンの間ではネタ化されてもいるこの言葉たち。
「考える前に殴る」「感じるのはエモだけ」「会話は先送りボタン連打」なんてしてた自分に、清々しいほどのブーメラン投げます(っ´∀`)╮ =͟͟͞͞
「聞いて…感じて…考えて…」
ハイデリンは、何を伝えたかったのでしょ?
この言葉の意味を、自分なりに、今の自分の地点から掘ってみようと思います。
※私の進度の影響を強く受けてはいますが、蒼天以降のストーリーには踏み込まないよう注意しています。
これから進む方にはより深く作品世界を味わうための参考意見として、
そして先行く方には「まだまだ青いな」と鼻で笑うネタとして、読んでもらえたらうれしいです。(´∀`)
※みなさんのお考えの「聞いて…感じて…考えて…」ぜひお聞かせください~
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1. 聞いてはじまりの「聞いて」。
この言葉が、FF14の物語で最初にプレイヤーに手渡される、最初のものであること。
それは偶然じゃなく、選び抜かれた開幕の鍵だったんだと思います。
そして、
「見て」じゃないことに、大きな意味がある(ノシ ゚ω ゚)ノシ_バァン
私たち画面見てるじゃないですか?
それなのに「見て」じゃなかった。
光の戦士って、言葉どおりハイデリンの加護を受けた存在。
で、ハイデリンは「光の存在」なわけです。
そして、「見る」とは光に依存した感覚ですよね。
だから、もしハイデリンが「見て」を選んでいたとしたら、それはハイデリンという光を通して世界を見るということになる。
つまり、冒険者が世界をハイデリンの眼差しで見ることになっちゃう。
それって、冒険者たるプレイヤーの自由な思考を縛ってしまう可能性がある。
でもハイデリンは、そうしなかった。
見て、じゃなくて、聞いて。
そこにはきっと、
「自分というフィルターを通さずに、あなた自身の感覚で世界に接してほしい」という願いがあったんじゃないかなぁ…(*´-`)
寄り道ですが、他の感覚とも比べてみると、またおもしろいです。
・触れて…実体がないと無理。存在を感じ取るには現代の技術的には制限がある。
・味わって…比喩的には「人生を味わう」とも言えるけど、画面越しには舐められない。それに舐めるのは床だけて間に合ってるw <(*゚з゚)> ~♪
・嗅いで…画面越しには無理w あと、それに…うん、ごめん、くんくんして歩き回るヒカセンはちょっと見たくないwwwと言いつつ、指定地点で這いつくばって嗅ぎ取ろうとする自キャラを想像してしまったりw イヌッテ採用されたらちょっと考えるかもw(≧∇≦)
話戻して、じゃあ、「聞いて」ってなにが違うのか。
それは、かすかな気配にまで耳を傾けられる感覚であるということ。
風の音、木々のざわめき、雑踏の中で誰かが飲み込んだため息…
音は、形のない存在の余白までも伝えることができる。
しかも、「見る」や「触れる」と違って、聞くは自分の身体が常に開いている感覚なんですよね。
その受動性を持ちながらも、意識すれば集中して拾い上げることもできる。
ここに、
「聞いて」という言葉が持つふたつの側面があると考えています:
・広く聞くこれは、届いてくるものを遮断せずに受け取るという姿勢。
空気のざわつき、環境音、予期しなかった誰かの声。
まずは全部受け入れる。善悪や価値判断はまだしない。
冒険者が、偏見や予断を持たずに、耳を広げてどんな存在の声にも接するという最初の段階。
これは、世界との関係性を開く最初の一歩です(*・ω・)ノ
・深く聞くこちらは、「そこにある声を、自分の中に引き寄せて共鳴させる」段階。
聴覚は、他者の心の震えにまで触れることができる感覚です。
ここで大切なのは、理解することじゃない。
まず「そこに存在している」という事実を、静かに受け止めること。
理解できない声でも、遠くの叫びでも、自分と違う考え方でも、「そこにあるんだね」と思える耳を持ちたいな…
それが、深く聞くことの意味なんじゃないかと思います。
『Answers』の歌詞にも、hearとlistenと出てくるのはこういうことなのかなぁなんて…
私たちは、立場の違い、意見の違い、文化の違い…そういうものを理由に、いつしか「聞かなくなる」癖がついてしまっていませんか?
けれど「聞く」には、こうした壁を「
越える力」がある。
だからハイデリンは、最初に「聞いて」と呼びかけたのかな…
ハイデリンは、冒険者に自由を与えながらも、世界に対して耳をひらいていてほしいと願ったのだと…
それが、この旅の最初の約束だったのだと思います。
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2. 感じて「聞いて」受け取ったものを、次に「感じる」。
ここでは「理解する」や「判断する」といった前の段階で、まず受け止めることが大切にされています。
嬉しさ、違和感、痛み、優しさ、怒り…
どんな感情でも、どんな身体反応でも、それが自分の内側に生じたということを、否定せずに受け取る。
それが「感じて」の意味なんじゃないかと。
特に、立場の違いや価値観の違う相手の言葉。
つい「間違ってる」と思ったり、「わからん」と距離を取ったりしたくなるけれど、そこに自分なりの反応が生まれたという事実を、ちゃんと自分のものとして感じる。
それは、自分という器で世界を響かせること。
だから、「感じて」は、世界や他者とつながるための沈黙の一歩でもあると思っています。
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3. 考えて最後に「考えて」。
これはもう、
「他人に委ねるな」、「放棄するな」という強いメッセージなのかなと。
情報や知識は他人から借りられても、「どうするか」「どちらを選ぶか」「何を信じるか」は自分の役割。
特にFF14の物語の中では、知恵や技術に長けた仲間がたくさんいて、自分よりも上手く「聞いて・感じて・考えられる」人たちがいるようにすら感じます。
でも、だからといって「彼らが決めたから」で動いていいわけじゃない。
「聞いて」「感じて」きた自分の中のものをどう解釈し、意味づけし、行動に変えていくか。
そのすべてを委ねず、放棄せず、自分の考える責任を果たす。
それが「考えて」に込められた呼びかけなのだと思います。
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4. おわりに「聞いて…感じて…考えて…」
「聞け!感じろ!考えろ!」
ではなかったこと。
命令じゃなくて、祈りであり、託すかのようなことばであったこと。
たぶん、これが
ハイデリンにとって、人として生きるってことなんだろうなぁ…(´︶`)
どう応えるかは、冒険者=プレイヤーである私たちに委ねられているんでしょね。
言葉の意味に、いまさら向き合った私から、かつての自分へ。
「考える前に殴る」「感じるのはエモだけ」「会話は先送りボタン連打」なんてしてた自分へ。
清々しいほどのブーメラン、刺さった?
みなさんのお考えの「聞いて…感じて…考えて…」ぜひお聞かせください~