この日記は漆黒が終わろうとしている今、その感想を吐き出しておこうという読書感想文になります。5.1と5.2? 5.0は? という方は前回(
https://jp.finalfantasyxiv.com/lodestone/character/26027841/blog/4530376/)を読んで頂くとこちらの内容もすんなり入るかどうかは分かりませんがご一考ください。死ぬほど長いぞ。
というわけで5.1と5.2です。5.0の後日談兼、第一世界での物語を結末へと導いていくパッチですね。5.5実装直前の現在ですが、どのパッチも心底素晴らしく、心揺さぶる体験ができました。その思いを少しでも共有できたらいいなというお心でこの日記を書いています。まずは5.1の導入から。
闇の戦士達によって、第一世界から大きな脅威が取り除かれました。人々はもう罪喰いの恐怖に怯えることなく、夜空の下でささやかな光を囲みながら、未来のことを語り合うことができる。これ以上光に侵されることはなく、無辜の命を奪う必要もない。死者達の魂は正しく天へと導かれ、穏やかな闇に包まれる。
人々の願いが誰かの力となり、その誰かは受け継いだ力で、また他の誰かの背中を押した。そうして継がれてきた人々の願いを抱き留めた英雄は、世界が望む「明日」を手にした。その「明日」は世界が今より一歩進んだ明日であり、人々が生きる為の明日であり、誰かが在ってほしいと願った、英雄にとっての明日だった。
しかし、進み始めたからこそ、行き着く先を吟味する必要がある。光の氾濫から立ち直ったとは到底言えない第一世界は、むしろここからが正念場でした。
5.1のストーリーは、暁の面々が原初世界に帰る方法の模索と、ユールモアの未来についてスポットが当たりました。そのうちの前者、ソウルサイフォンの製造過程では、旅立ちの宿の少年ハルリクと、原初世界で蛮神タイタンのテンパードとなったコボルド族ガ・ブの治療について、確かな方法が生まれるという希望が差します。ただ、どちらかというよりは後者、ユールモアの未来に重きを置いていた構成でした。それについて私は正直、不安の方が強かったです。
強大な敵の存在がむしろ、まばらになっていた勢力を一纏めにして大きな対抗力を生み出すというのはよくある話です。世界の敵、罪喰いを統べるヴァウスリーを討つため、ユールモアをはじめとした第一世界に暮らす人々が力をより合わせ、巨大タロースを生み出した。希望を送り出すための文字通り足掛かりとなったそれは、人々の祈りの結晶であり、各地に暮らす思想も種族も異なる人々がひとときでも一丸となれた証だった。
しかし、打ち倒すべき敵が居なくなったら。足元の問題を再び直視する時間が出来たら。これからを生きていく為には、そちらをこそ解決していく必要があるでしょう。英雄がくれたのは、その機会に過ぎません。
ユールモアはかつての構造から、立て直しが最も難しい都市だったでしょう。富裕層と貧困層に別れ、自由市民と労役市民という歪んだ関係も存在する。こと労役市民は、自由市民に対して恨みを持つ者もいる。役に立たないとして心なく追い出された労役市民は、おいそれと気持ちを切り替えることなどできはしない。諸悪の根源が断たれたとて、役に立たないと断じ、豊かさを独占し、見えないふりをしながら自分の手を汚さず人を処分してきたのは、確かに自由市民達なのだから。
それだけでは飽き足らず、忌まわしい物質メオルに依存した食料事情は壊滅的で、ユールモア周辺の農村も人手が無ければ備蓄もない。かろうじてユールモアに残された資源で食いつなぐことはできても、粗末な一時凌ぎにしかならない。
これだけでもう、暴動が起きる条件は整っています。
強大な敵が居なくなったのなら、次は食べていくためにどうするか。敵が同じ人間に変わるだけです。何も無いのなら、有るところから奪うしかない。生み出すことができないのなら、限られた物を独占するしかない。そういった最悪の状況に至るまで、ユールモアにはさほど時間は残されていなかったはずです。私が抱いた不安は、そこに起因します。少々ネガティブが過ぎるのではと思われそうですが、他の作品で酷い目に遭ってきた野良猫のようなものとお考えください。とにかくそれほど、ユールモアの体制は歪みきっていました。
ただ、そうはさせまいと考える人々が確かに居ました。一時でも協力して巨大タロースを完成させ、世界を救う一助になれたことは、未だ心に希望として残っている。空には夜闇が戻り、罪喰いの恐怖から解き放たれた今こそが、やり直すチャンスなのではないか。闇の戦士がくれた未来を、繋いでいかずしてなんとする、と。
その代表として動いたのが、皆大好きチャイ・ヌズ氏(面倒なので以下中点省略)ですね。5.1は彼のためのシナリオだったといっても過言ではありません。攻略しといた甲斐がありました。ここから、彼の人生を賭けた短い旅が始まります。
コルシア島の各地を巡ってユールモア再建の算段をつけるチャイヌズ氏は、ヴァウスリーの前任者の補佐を務めたというレンデン氏の協力を取り付けます。そこに至るまでには、怠惰な時を過ごしていた自身を省みる必要がありました。なにより、自分がその手で海へ放り出したも同然の労役市民に、自分が今何を求め、何をしていこうとしているのか、理解と協力を得なければ、仮にも人々を導く者として立ってなどいられない。自分がしたことは無かったことになどならず、許しを得るなど望むべくもないとしても、彼が前に進むためには避けては通れない道でした。ユールモアの未来のため、なにより愛してやまない妻が安心して暮らせるように、自分にできることをやっていくしかない。ユールモアの危機という手に余る問題を、かつてのダイダロス社の跡取りとして得意とするやり方に落とし込み、未来の確かな展望を示す。そうして、彼は有能な補佐を手に入れ、晴れてユールモア元首代行となりました。
この短い旅の中、チャイヌズ氏は英雄に対して戦闘面以外で頼ることはなく、あくまで自分の、第一世界に生きる人々の問題として、自分の足で進んでいきました。立会人として、ただ見守ってくれているだけでいい、と。世界を救った英雄の言葉は、見かけ以上の重みを持つ。頼ることは容易だが、それでは意味がないのだと。己を含め、ユールモアは、第一世界の人々はもう歩いていける。それをチャイヌズ氏は身をもって証明し、元首就任の挨拶で支持を集め、人々の総意として改めて英雄に示しました。
闇の戦士達が命を賭して取り戻してくれた未来を、我々は決して無駄にはしない。今ここにいる人々も、そしてこれから生まれてくる若者達も、理想の未来を描けるように、自分達の手で今を生き抜いていこう。希望を、勇気を与えてくれた英雄に恥じないように、ここに誓おう。我々はこの日、闇の戦士達に背を押されて、新たな未来へと歩み始めたのだと。
筆者がユールモアに抱いていた全ての不安を吹き飛ばし、熱くこみ上げる涙を拭わせる素晴らしい演説でした。ああ、これが、英雄が救った世界か。こんなにも強く、地を踏み締めて進める世界を、英雄は救うことができたのか。第八霊災が起きた原初世界では、一人の英雄の冒険譚が、人々の心を繋いでいった。まっすぐな英雄の歩みは勇気を与え、希望を灯す。このユールモアでも、それは確かに為されたのです。
5.1についてはやっちゃえチャイヌズで私の胸はいっぱいでした。続く5.2に関しては驚愕の事実が明かされるなど、クライマックスに向けて濃厚なパッチではありましたが、その驚きを除けば、私が抱いた感情は悲しみからくる底の深い怒りでした。最後のオリジナル、アシエン・エリディブス。彼がしたことは私にとって許容できる範疇を遥かに超えています。とりあえずお前、その身体、お前が、よりにもよって、その身体を? 本気で使っていいとでも思ったのか? アシエンはどいつもこいつも本当にタンクの才に溢れてるな。
5.3をクリアし、漆黒秘話も堪能した私ですが、エリディブスくんは未だに認められません。第一世界の光の戦士一行に加わっていたシルヴァ、もといサイエラが一部代弁してくれてはいましたが、本当に、もうたくさんでしょう。
アルバートは確かに、第一世界の光の戦士だった。冒険者は、冒険によって成長していく。強さを磨き、献身を学び、勇気をもって正義を為す。なんてことはないお手伝いから、傭兵稼業や小さな事件を解決していくうちに、いつしか人々から英雄と呼ばれ、託される想いも増えていった。原初世界の英雄と同じように、その歩みは人々の希望の光となった。当人は英雄の呼び名に傲ることも竦むこともなく、どこまでもお人好しで、まっすぐで、ただ困っている人を放っておけないだけで。誰もが旧知の友のように、親しげにその名を口にしたはずだった。
それが、どうだ。
光の氾濫は彼ら光の戦士の罪とされ、その名は忌むべきものとして人々の心から消え去っていった。肉体を捨て、後に待つは消滅の運命のみとなってまでも、自分達の世界を救わんと奔走した。第一世界が元通りになる訳ではないと、以前のように仲間と語らう時が戻る訳ではないと知りながら、原初世界で多くの痛みを伴うと分かっていながら、それでも、今まで歩んできた全てが、自分が生きてきた世界の全てが無意味になってしまうのだけは堪え難かったから。英雄と呼ばれ、世界を、人を愛した彼が、無辜の人々を犠牲にすることに、どれほどの自責で己を傷つけたのか。のちに光の氾濫を押し留め、第一世界に希望を宿す代償として、共に全てを背負って戦ってきた仲間を永遠に失いもした。そんな彼の身体が、あろうことか世界を壊す為に利用されている。そんなことが、そんな、ことが、許されてたまるか。
エリディブスはアルバートの身体で、顔で、声で、クリスタリウムの人々を扇動しました。決して自分達が特別なのではない、誰もが光の戦士となれるのだと。ここだけではない、世界各地で助けを求めている人々に、手を差し伸べることができる。光の意思に従い、英雄となる為の道のりを歩むことができる。それらは決して虚言などではなく、新たな冒険者となる者の背を押す温かくも強い言葉。
けれど、誰が、誰の口を借りて、誰に対してそんな言葉をかけているのか。
この時点ではエリディブスの真意は見えず、ただ悪戯に民衆を煽っているに過ぎませんでした。真なる人は我らのみ、分割された世界に巣食う人もどきのなりそこないなど、知ある生き物として扱う価値もない。そう考えるオリジナルのアシエンが、人もどきとやらの英雄の亡骸に巣喰い、今を懸命に生きる命へ偽りの激励をかける。
これは、なんの、冗談か。面白くもない。
また、大罪人とされたアルバート達の汚名は、闇の戦士の活躍に加えサイエラの口から語られる真実によって雪がれつつありました。それすら都合の良い要素として利用し、エリディブスは大手を振って「英雄アルバート」として民衆の前に現れ、人々の「世界を救いたい」という想いを後押ししました。
世界を救いたい。そう願ったのは、原初世界の英雄である彼/彼女も同じ。漆黒メインにおいてその歩みを見守り続けてきた、私も同じです。何より推しが存在する世界が壊されるのを黙って見てられるわけがあるかというのが正直なところです。
14に分かたれた世界の住人とアシエンはどうあっても共に歩むことなどできない。それはエメトセルクがその信念をもって顕示しました。彼にとっても、英雄にとっても、「世界を救いたい」という願いは決して譲れない。ただ結末が違うだけで、それそのものに正義も悪も存在しない。だからぶつかり合うしかなかった。しかしエリディブスは、その願いを貶めたのです。世界を救った英雄の口を借りて、偽りの願いを語って。
漆黒において語られてきた、「想いを受け継ぐ」というテーマ。それそのものを真っ向から否定してみせるのであればまだしも、貶め、侮辱し、くだらぬ些事と吐き捨てる。……許せる筈もない。
ひたすらエリくんへの批判を連ねるだけになってしまいましたが、それほど私からヘイトを稼ぐのがお上手だったということです。5.2のメインはとにかくエリくんにブチギレてました。地雷の上で縄跳びしないでもらいたい。闇の存在の極地とも言えるゾディアークのテンパードとなったアシエンは、どうにも闇に寄った存在になっていくとのことでしたが、そのあまりにも手段を選ばない感覚はその影響もあったりするのでしょうか。闇とはいったい……うごごご。
そういえば、と、エメトセルクの話が出てきたので、彼についても触れていこうと思いましたが、5.3も公開されて久しい今、それなくしてエメトセルクを語ることはできないので、また次の機会に回します。ここから5.3についての感想とか絶対文字数足りません。独り言のようなものですが、また暇があればお付き合いください。