乱文が続くので読む人はご注意を。
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ゾラージャは"偉大な建国王の子"、"奇跡の子"、"唯一の青いフビゴ族"、"長兄"という期待と重圧の中、"いかなる期待にも応えられる父のような立派な王"にならんと研鑽を重ねた。
だが、成長するにつれて"双頭でないがゆえに武力で父に追いつけない"、"勇連隊隊長として国内防衛に従事せざるを得ず、コーナのように見識や知識を深められなかった"、"立場と元々の性格のせいでウクラマトのように絆を結び、深める能力が不足していた"等々、最も王になれる立場に居ながら秀でた能力を自覚できなかった(グルージャジャが規格外なだけでゾラージャも十分強かったはず)。
完璧な王を目指すあまり、"誰かに頼る"、"誰かに弱みを見せる"という選択肢を持ってなかったがゆえに追い詰められてしまっていた(サレージャはお供ではあったけど"互いに利用している関係"のように思える)。
サレージャを斬り、黄金郷の扉をくぐった時、彼は後戻りできない"孤独"の道を進んでしまったのだと思う。父が立派過ぎて「何でも一人でこなしている」風に見えてしまったのかもしれない。
だが、
グルージャジャは独りではなかった。カフキワやグーフールーなどの仲間に支えられて建国を成し遂げた。
ウクラマトは独りじゃなかった。光の戦士などの仲間と旅をし、トライヨラ諸部族の絆を学び、継承の儀を完遂した。
コーナは独りじゃなかった。旅の中でそれぞれの部族の文化に触れ、"ただ豊かになるだけではいけない"と気づいた。
グルージャは独りじゃなかった。捨てられてもオーティスと出会い、オブリビオンのメンバーと交流し、ウクラマトと絆を結んだ。
スフェーンは独りじゃなかった。永久人と生者のジレンマに悩みながらもアレクサンドリアに住まう者のために出来ることを模索し続けた。
ゾラージャだけがあらゆる絆を否定し、孤独の道へと進んでしまった。
父を殺し、弟妹に宣戦布告し、トライヨラ・アレクサンドリア両国の民を虐殺し、グルージャを捨てた。
しかし、魔物の魂を過剰に取り込んで異形と化しても"青い身体"、"(フビゴ族の)鶏冠"は残り続けていて、"青い身体のフビゴ族"という父からもらった、そしてグルージャに受け継がれた絆だけは捨てきれていなかった。
武を受け継げなくても、理を受け継げなくても、王でなくても、
ただ「家族」という絆さえあれば、良かった。
ただそれだけでゾラージャの居場所はあった。独りじゃなかった。
それがグルージャの言葉、そしてラマチの「青いフビゴ族はゾラージャとグルージャしかいない」という言葉につながっているのだろうと思う。
最期にそれに気づいたからこそ、自分は「独りじゃない」と思ったからこそ、
父グルージャジャに及ばなかったことを認め、
ウクラマトをラマチと呼び、
グルージャに"武王の権限"を譲渡して"自由の道に生きること"(何とも呼ばない、何も願わない)を願ったのではないかと思う。
-------以上、乱文失礼しました。
「独りじゃない」はFF9のBGMのタイトルであり、主人公ジタンが悩んだ末に到達した答えでもあります。
それがゾラージャのシナリオのテーマではないかと勝手に推測・考察しました。
シナリオの一字一句を覚えてるわけじゃないけど、彼の生き様と最期がなんとなくこの一言で表せそうな気がしたので。