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「他人を気にする」ということについて

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■1 どこまでもいってもなくならない対人の話
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要約:日本語って難しいなァ。聞き慣れた言葉が正しいとは限らないのかも。

ヒトと接する上で避けて通れないのが「未知なるヒト」との出会いと障害だ。

<余談>

俺自身、一部、いや大半のヒトから見れば「未知なるヒト」になるだろう。
もはやヒトかどうかも怪しいくらいには未知的らしい。

よくよく俺と話し付き合うヒトたちに言わせれば、俺は「枠外のヒト」である。
自信満々に自己主張を繰り返す割に他人と言い合いをするのは嫌がる。
恐怖と闘争の世界に飛び込みながら、残酷な世界には打ちのめされる。
理不尽で胸糞の悪い世界を嫌がりながら正義を持て囃し称えることもない。
全ての悪を尊び持て囃しもしない。一部分からの連想は大半がハズレる。

「無能は嫌いじゃないか?」「頑張らないヒトが苦手」
「人々は愚かじゃないか?」「特別に気にしたコトがない」
「ヒトに勝つのが好きか?」「別に。勝敗は勝手につく」
「圧勝するのが好きか?」「相手がヒトじゃないなら好き」
「ヒトが傷つくとどう思う?」「めンどくさい」

</余談>


■1' 友達との会話(一部)
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友達:めんどくさい、のに他人を気遣うんだよね。

俺:気遣わないともっと面倒になる。
  気遣うようにしたら、気遣えと言われることは減った。


友達:できることなら、気遣わないで生きたい?

俺:うん。だが気遣うコト自体に不満はない。

友達:えっ?
   "気遣うのがめんどくさい"は、不満の言葉じゃないの?


俺:気遣いは面倒を避けるのに必要なことだと"納得"している。
  気遣いたくないと常に思っているワケじゃない。


友達:不満に思ってないのに、めんどくさいの?

俺:楽しくても疲れるコトってあるだろ。

友達:あるね。

俺:同じことだ。

友達:ギンジュは難しいなぁ。

俺:俺がしているのは自分にとって適切な気遣いであって、
  他人のための過剰な気遣いじゃない。だから不満はない。


友達:なるほどー?

■2 「他人を気にするヒト」を取り巻く環境について
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所謂「繊細なヒト」「HSPのヒト」ということについて少し調べていた。
先に断っておくと俺は繊細さそのものは悪ではないと思っている。
ただ、何かと繊細さを気にかけてやるべきだという言説には疑いの目を向ける。


言い換えると、

|繊細な人々は他人に気にかけてもらうべきだが、鈍感な人々にその必要はない。
|もし他人に気にかけてもらう必要があるなら、そのヒトも繊細なのだ。

というような繊細人間増殖計画(鈍感人間排他主義)には同意できない。

そもそも、ヒトは「繊細」「鈍感」に単純に二分できるようなものではない。
「すごく繊細」「とても繊細」「やや繊細」「繊細」「やや鈍感」……のように
程度があるだろうし、「繊細だから○○」「鈍感だから××」でもない。

「○○だから××」は「早まった一般化」という思考の偏りだ。
男だから女だからと言われるのは嫌がるヒトでも、なぜか特定の○○だから××には
力強く同意するし、何なら自称して有利な肩書のように用いたりする。
繊細(HSP)についても似たようなところがあるンじゃないかと違和感を覚える。


■2' 文体の意図について
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そのヒトが「自称繊細」なのか、「被害妄想癖」なのか、「打たれ弱いヒト」なのか
付き合っていかないと解らないし、付き合ったとしても解らなかったりするものだ。

つまるところ、俺は他人について断言できるほどの知識も経験も権利もない。
かといって、あらゆる文章を曖昧に記述すると話したいコトも曖昧になる。
俺は表現として便宜上、仮説として断言を行うコトがあるが、決して現実の誰かを、
例えばこれを読ンでいるヒト、読ンでいるヒトが思い浮かべるヒトの話はしていない。


「いるいる!わかる!ああいうヒトってああでこうで……」という考えについて
俺は一切介入したくない。謂わば、他人の偏った思考の裏付けにはなりたくない。
他人の思考は他人の自己意思において決定されるもののはずだ。

所謂「みんな言ってるもん!」「あのヒトも言ってたもん!」に使うのはやめてね。
俺は誰の味方でもない。もちろん、敵でもない。

■3 本題
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「めンどくさいなぁ。なンでそンなに他人を気にするンだろう」

繊細なヒトについて調べていると真っ先に思うのがこうだ。
辛い物事を見て引きずられる、くらいなら解らないでもないが周辺のあらゆるもの、
他人の一挙一動にあれこれと悪い想像を巡らせるような繊細さに対する想いだ。

ふと思った。

「他人を気にする、というのも正確じゃないか」

"他人の一挙一動にあれこれと悪い想像を巡らせるようなヒト"のことを、
「他人を気にしているヒト」と多く表現するが、正しくないように思った。
というのも"他人の一挙一動にあれこれと悪い想像を巡らせるようなヒト"は、
他人そのものではなく、「他人から見た自分」というものを気にしているからだ。

もっと言えば、「自己中心的な世界の居心地について気にしている」と思う。
この自己中心的とは悪い意味ではなく、本当にただただ自分が中心という意味だ。
自意識過剰とも言いかえられるが、特定の状態のことであって悪い意味ではない。


■4 「他人を気にする」のは良いことに見える
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他人を気にするヒトとは、"他人から見た自分"(=自分)を気にするヒト。
自己中心的(自意識過剰)の代表例。

でありながら、なぜか他人を気にするヒトというのは自分を持ち上げる傾向にある。
具体例としては他人を気にしすぎて困ってしまうという苦しみを吐き出している裏に、
他人を強く思いやる自分自身はステキだという幻想が見え隠れしているように思う。


なぜか? 「他人を気にしているヒト」と言うと優しいヒトみたいだからだ。
気にするのと思いやるのは全く違うコトだが、まるで同じようにされている。

「他人から見た自分を気にしているヒト(体裁ばかり気にかけるヒト)」
「いかに自分をよく見せるか考えているヒト」なンて呼ばれていたら、
そンな言い方をしなくても、と思うし、そンなつもりはない、と思うだろう。

もっと言えば、「そうならないようにしよう」と本気で思い、改善するだろう。

希望的観測(そうであってほしいと思っているだけ)だろうか?

「他人を気にするな」「自分のことを考えろ」とは一見正しそうな言葉に聞こえる。
だがその真意は「"他人から見える自分"のことばかりを気にするな」
「"本当の自分"のことを考えろ(=様々な他人と自分が入り混じった現実を見ろ)」だ。
他人を諌めるための表現としては相応しくないのではないか。

ならどう言ったらいいのか。真意をそのまま言うしかないだろう。
本当の自分ってなンだ? 自分自身にも問いかけなくてはならない。

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面倒なコトがきらいだが、ヒトが嫌いなワケじゃない。
誰もに優しいワケじゃないが、やけに乱暴なつもりもない。
中立中庸の至って平凡な男であるつもりだ。

理想の自分とやらを追いかけてみたコトもあったが今は休憩している。
理想のおこぼれに与ろうとするヒトたちが飛び込ンでくるからだ。
俺は俺のために理想像を追いかけているのであって、
他人に施すために理想像になろうとしているのではない。
自分の欲しかった理想の誰かになりそうなヒトがいる、というだけで
飛び込ンでこられるのは全く想定していないのだ。


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