拙者、Rith Griと申す。
先日、認めた日記には何やら拙者の記憶違いがあった模様。
(ソレもまた“エーテル酔い”に拠るものなのでござろうか?……否、単に拙者自身の人となりにある“危うさ”に拠る処なのでござろう)
未だエオルゼアにのみ経巡る一冒険者の記録物に見る者らが見た失敗また失態を、ただ拙者自身のみの問題と見て済めば何も憂いや煩いは無いものと思えど……記憶違いにおいて物申さば、世の不寛容に曝されるやも知れぬ事に伴い、拙者のみに被るばかりでなく、せっかく読み物として愉しみを見出して下さっていた方々にこそは何をか煩いなど及ぶとも限らぬと覚え、ひとまず取り下げた次第。
かつてトームストーンが万人に当たり前の世には、凡そにあたる他者の考えを類推するに足るだけの観察に基づく知識や研究なるモノは進み、人知を超える知能は人ならざる造り物にも人の手により込められ、宿ったという。
ならば凡その所は、それら造り物の一部であり各人に状況そのものすら届く末端となったか……トームストーンによる伝達や習熟で、誰しも十分、むしろ過ぎたる程に、真偽なり人となりとを問うや問わず万事諸々は情報として共有され得た様子。
ただそれらは、人のことが造り物に及ぶか及ばぬかを考える暇も無いかのように・まるで造り物にも負けぬようにして人々は、おそらくは「正確性」についてまでもを主立って自他に……只の人にも求めて振る舞う世相を、過ぎたるを憂う暇すら忘れたかのように覚えたこと、端的に不寛容と記したが
拙者の語彙が足らず、その文明また時代の御霊……そして今にもそのよう生きる(それこそは人を世を支え得てきた)方々には、ご容赦頂きたい処であるが。
そのことの正邪は問わず、世は冒険者らにより拓かれ、冒険者らの及ぶ所、情報の源という象徴のようにして世にトームストーンは誰しもの手に手に渡りて、様々な認識は浸透するもの……と思い致さば。
乱筆乱文にて。