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オーボンヌ解放時の過去回想についての個人的解釈

公開
【オーボンヌ解放時クエで見れる過去回想について】
で、過去回想の話ですが。(オーボンヌ解放クエの感想はこちら)
結論だけ言うと解釈というか嗜好違いです。
FFTオタクなら感動して泣く場面だとは思うんですがまあ萎えてしまいましたね〜。
長々と書いた文は畳みました。
下に書いたことをまとめると、「私はディリータを不幸せな男として消費したかった」「なのでリターン・トゥ・イヴァリースで彼が救われたのは解釈違い」ということです。

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まず、ディリータはどんなキャラクター(だと自分は思っている)か、自分はどのようにディリータを消費しているか、について話してから、あの過去回想の感想を書きたいと思います。
当方、「自分の好きなように原作をねじ曲げ改変して自己解釈を強化している」という自覚のあるオタクです。

FFTのチャプター1は、貴族平民の格差について描かれます。
名門貴族の末弟のラムザ。彼の友人で、ラムザの父の好意で養子として受け入れられ、ラムザと兄弟同然の扱いを受けている平民ディリータ。おかげでディリータは妹のティータ共々学校に通わせてもらったりしています。ティータとアルマちゃんが同じ学校?修道院?で、ラムザとディリータが士官学校だったっけな。
なので彼は「平民だけど実際貴族のような扱いを受けていた」わけです。ちょっと言い過ぎかな。少なくとも平民だからと蔑まれることはそこまで無かった。となりにラムザくんがいるしね。
だがこの「平民」が浮き彫りになる事件が起きます。貴族を狙った盗賊集団により、アルマちゃんと間違えられたティータちゃんが誘拐されてしまう。
盗賊集団はティータちゃんを人質にするが、盗賊集団を追撃した貴族の騎士たちは「平民の娘の命など」と、ティータちゃん共々盗賊集団に攻撃する。
結果としてディリータは、「平民だから」という理由で妹を失ったわけです。
この時ディリータは、「頑張っても、如何にもならないことってあるんだな」「だったら俺は、利用する側に回ってやる」と胸の内をラムザに明かしています。

その後ディリータは教会の手下として動きます。教会っていうのは戦争を長引かせることで今の有力貴族の力を弱らせ教会の権威をホニャ……ホニャホニャ……な感じの黒幕です。
そんな中出会ったのがオヴェリア王女。

このときイヴァリース(国)は王位継承権を巡って二分されている状態です。オヴェリア様は今現在はその王位継承権争いに参加していませんが、王族の血を引いているのは事実。
それを利用しようとした教会は彼女を誘拐。

そのごたごたの中で、オヴェリア様は自分は本物のオヴェリア・アトカーシャではなく替え玉として育てられた名も無き娘であったことを知ります。
まあ教会とか彼女を擁立しようとする人たちにとってはそんなことどうでもいいわけです。実際の血縁がどうだろうが王位継承には問題ない。形だけの王女様で十分なんです。

身分ゆえに周りに利用され、翻弄されるだけの存在。
そんなオヴェリア様にディリータは共感を覚えます。
そしてそこで「お前の国を作ってやる。お前のために動いてる」と彼女に誓います。

ここで注目しておきたいのが、この時ディリータは「死んだ妹、ティータに誓おう」と言っています。
ディリータにとってティータというのは、今の(利用する側に立ってやると決意した)自分の起点なんですね。
自分はこれを、死んだ妹を偶像として過剰に神格化(理想化)していると捉えています。
みなさん、妹ってそんな「妹に誓おう……」なんて言うほど重要なもんですかね?そんなことないでしょ。
死んだから、もう居ないから、否定されようがないから「失ってしまった、とっても大切な存在」として好き勝手崇め奉ってるんですね。自分はこういう愚かなキャラクターがとても好きです。どういう風に好きかと言うと、指を指してゲラゲラ笑う感じです。
ここ別にいらんな……

さて、その後ディリータは暗殺などをしつつ順調にトップに上り詰めます。この時影で活躍していたのがラムザくん。というかラムザくんが異端者として狙われてるのをいいことにその隙をついてディリータがのし上がったって感じですね。
この2人そこまで意思疎通してないです。
そのことについて、「あなたって親友ですら利用するのね。」と指摘され、「うるさい!!!!!」とディリータが返す場面があります。
何もディリータは「わ〜いラムザが異端者として教会に狙われてるの都合が良〜い。めっちゃありがと〜」と思っていたわけではなくて、ラムザくんを利用する形になっていることに彼自身心苦しさなどを感じていたんだろうってのはここから分かりますね。
それから、ラムザくんに「オヴェリア様についてどう思ってるの?(要約)」と聞かれた時に、「彼女のためなら死んでも惜しくはないしなんでもしてやりたいと思う。これは俺の本心だ」的なことを言っています。
ですので、それが恋愛感情か憐みかティータの身代わりとしての感情かはさておき、ディリータは心からオヴェリア様を大切に思ってるし彼女のために国を作ってやりたいと思っている、というのは事実なわけです。

ディリータは「利用する側に回ってやる」と決意してから自分が上に立つためなら何でもした男ですが、それでも親友を利用することに罪悪感を覚えているし、オヴェリア様のことは心から愛している。
これを前提とした上での、エンディング後のラストシーンなんですよ。

FFTのエンディングは、「その後、ラムザたちの姿を見たものはいない……」という、デュライ白書の筆者オーランらしい独白で締めくくられます。そのあとチョコボに乗った2人をオーランが目撃する場面があるんだったっけな?前だったっけ?
ともかく、そこで「デュライ白書」は閉じられ、「物語」は幕を閉じます。
そのあとですよ。

そのあと、ひとけの無い廃教会でひとり佇むオヴェリア様と、彼女を探してやってきたディリータがうつされます。
ディリータは「こんなところにいたのか。ほら、今日はお前の誕生日だろう?」と穏やかな話をし始めますが、振り向いたオヴェリア様はその彼の腹をナイフで刺します。

「あなたも私を利用するんでしょう?あのラムザのように!」

突然のことに呆然としていたディリータだったが、オヴェリア様のその台詞を聞くと、腹のナイフを抜き今度はディリータがオヴェリア様を刺します。
その後彼が呟いたのは、「ラムザ、お前は何を手に入れた?俺は…………」という言葉。
そしてこの章のタイトルは「愛にすべてを」。

このラスト、完璧!!!!!!!!という感じで自分は手を叩いて喜んでしまいます。
ディリータ、オヴェリア様に信用されてないの残念だったねー。という話ではないんですよ。因果応報なんです。
「利用する側に回ってやる」というのが英雄王ディリータの起点です。ならば「それは以前のお前と同じ『利用される側』を生み出すことに変わりはない」というカウンターパンチ、これがオヴェリア様なんですね。
ディリータはオヴェリア様のためを思って行動していましたが、結局「利用する側」「される側」という深い溝は埋められなかったわけです。いや、埋めようがない。なんたって英雄王ディリータはその深い溝を目の当たりにした絶望が起点ですからね。
英雄王ディリータの起点となった深い溝が、その終点にもオヴェリア様との間に横たわっているの、構図が美しすぎて完璧なんですよね。

ここのオヴェリア様の台詞もいいんですよ、よりにもよって「あのラムザのように」とラムザくんを引き合いに出します。
ディリータはラムザくんを利用していることは自覚しつつ、それに罪悪感を覚えていることは前述の通りです。
なのでこの言葉はぐっさりとディリータに刺さる。なんてったって否定できない。否定できないという事実がどれだけディリータを打ちのめしたか。だって否定したいもんな、出来るなら。できないけど。

この場面の何が良いって、まず「エンディングの後」、そして「英雄王ディリータは良き王として歴史に名を残している」なところですよ。
まずこれは「エンディングの後」、デュライ白書が閉じられた後のイベントです。つまり、デュライ白書に記されていないんです。記録に残っていないワンシーンなんです。それを知っているのは本人たちとプレイヤーだけ。
そして「英雄王ディリータは〜」というのは、このオヴェリア様による刺殺(未遂)はその後の歴史になんの影響も与えなかった、ということだと思っています。
いや最後が女王による暗殺なら悲劇として後世に伝わりまくりでしょ。恐らくこの後オヴェリア様は生きているか死んで影武者を立てられたかしたし、ディリータもまあ生きていて普通に王様やっていた、と考えます。その方が自分の解釈的に都合が良いので。

つまりね、無意味なんですよ、このイベントは。
オヴェリア様がディリータを刺したのは、歴史に一ミリも記されていないし、本人(とプレイヤー)以外知る人も居ない。
まったくもってな〜〜〜〜〜んの意味もないわけです。
ただひとり、英雄王などではなく、平民で、だからこそ上に上り詰めてやると決意した青年ディリータ以外には。

「ディリータは絶望の結果立ち上がった。ではこの絶望的な世界で、俺が頂点に立ってやろうじゃないかと立ち上がった。それに対し、同様の絶望を抱いたオヴェリア様は、彼ほど強かではなかった。自分も利用する側に回ってやろうと、立ち上がるような強さは持っていなかった。
だからオヴェリア様の反撃は、ものすごくちっぽけだ。彼女が刺したのは民に慕われる英雄王ではない。昔自分に手を差し伸べた1人の男ディリータである。たかだか1人の男に、なんの解決も生み出さない「あなたも私を利用するんでしょう」という悲鳴を聞かせてナイフを突き立てたに過ぎない
だからこそなんだよな。そのちっぽけな反撃がディリータにとってどれほどの衝撃だったのか。」

(自分のツイートから引用)

また、最終章のタイトルは「愛にすべてを」です。
これはすべてを投げ打って妹アルマを助けた(結果、歴史からも抹消された)ラムザと、英雄王として歴史に名を残しながらも、その裏ではオヴェリア様を失った(そしてラムザなどの信頼する人々もいなくなってしまった)ディリータの対比だと思います。
ですが自分は、ディリータが失った愛、これは妹ティータのことも指しているのではないかと考えます。

「「愛にすべてを」というタイトル、「オヴェリア様からの愛(信頼)を手に入れられなかったディリータ」を指してるようにも見えるんですが、比較対象のラムザがアルマを愛し彼女を救っているので、じゃディリータは誰への愛をってそりゃティータなんだよな。
「愛にすべてを」と言うのならじゃあ序盤でティータを失った時点でディリータは最底辺の負け組じゃん。ってなるのでこのタイトルめちゃくちゃ好きですね。何がってディリータは最後までティータの事を忘れていないんですね、持たざる者故に人生を踏みにじられた象徴として」
(自分のツイートから引用)

で、自分がディリータをどう消費しているかの話です。
上記のことから薄々勘付かれてる方も多いとは思いますが、自分はディリータのことを有能愚者男として消費しています。自滅男とも言う。

「序盤にてディリータは「頑張ってもどうしようもないことってあるんだな」と諦めつつ、でも、それでも、それだったら俺は利用されるだけじゃなくて、利用する側にまわってやる。と言うわけなんですけど、終わってみたらどうだ、やっぱりどうしようもなかったじゃないか。というオチがサイコ〜〜」(自分のツイートより)

このオチを強化したいんですよ。だから自分はディリータのやり遂げたことはものすごく持ち上げたい。「平民王ディリータの物語はすごく人気」って聞いてグフフってなるわけです。高く持ち上げれば持ち上げるほどオチとの落差が開いて面白いでしょ。皮肉でさ。
本人は一番欲しいものがもらえなかった惨めな青年なのに、後世には輝かしい英雄として伝えられている。
自分はディリータの人生を面白がっています。


で、これはリターントゥイヴァリースやる前のツイートです。

「ff14のリターントゥイヴァリースで、もし、もし、報われなかった男(報いを受けたとも言う)であるディリータが報われ、努力が実り、なにがしかの素晴らしい成果を得たみたいな物語が展開されたら、悪い意味で感情がめちゃくちゃになるのでどうか勘弁してくれ。
いや違うんだよなあ努力は実ってるし最初に彼が願った通り、望み通りの結果なんだよ、「利用する側に回ってやる」っていうのは。
で?どうだった?利用する側から見下ろす風景は。
そこにオヴェリア様の死体が転がってるわけだよ。そういう話をしているんだよ。
まとめると「ディリータ、幸せになるな」という個人の嗜好的解釈のはなしです」
「ディリータ、因果応報の結果いちばん欲しかったものを失った男として好きなので、ずっと「お前は自分の行いでこれを生み出したんだ」という解釈をしていきたい。別に非難しているわけでは無い。好んでそう消費しているという意味です。」
(自分のツイッターより)


いやあ、ディリータ、報われてしまいましたねえ……。ラムザくんから「王になれ」と言われてしまった。

ラムザくんが聖石に願いを託した。それはアルマちゃんと、そしてディリータによって後世に伝えられた。
そしてラムザくんはディリータに対して「善き王になれ」と言った。
だから平民王ディリータというのはラムザくんの願いでもある。ディリータはその責を立派に果たした。

ア〜〜それだけはやめて欲しかったな。何故なら平民王ディリータがラムザたちに願われた輝かしいものになるから。そうじゃなくって、「俺は利用する側に回ってやる」という気持ち一つでよかったんだよ。ディリータのエゴだけで良かったんだ。それだったら自分はその結果オヴェリア様に刺されることに対して大はしゃぎで手を叩いて喜べたというのに……。
ハア〜〜〜〜、刺された時に真っ先に思い浮かぶ名前がここにはいないかつての友人っていう虚しさも好きだったので、ここで「ディリータにとってはラムザって本当にとっても大切な存在だったんだよ!」が強化されて「なので刺された時に名を呟くのも当たり前」と言われてしまったのもやだな やだやだ〜〜ディリータもっと惨めがいい〜〜〜。

ディリータに幸せになって欲しくないんですが、これは憎しみなどではなくて単にそういう風にキャラクターを消費してニコニコしてますよ、というだけです。ディリータはFFTの中で一番好きなキャラクターなので……拗らせてるとも言いますが……。

「善き王になれ」発言のみに注目しましたが、その前に「俺にはお前が必要なんだ!!」みたいに言う場面も「え………………そんなに必要としてたっけ…………各々独立して動いてたよなあ…………」とは思いましたね。リターントゥイヴァリースのディリータ、冷酷さが感じられない。
いやまあこの辺りはそこまでこだわりないので自分の解釈がアレだったんだろうたぶん。

読み返すと、自分が「惨めな男を指差してゲラゲラ笑う趣味のオタク」なことが浮き彫りになっていてたいそう見苦しい文章ですね。



さて、これで自分は「公式からお出しされたものが口に合わなかったオタク」になったわけですが、これがFFTってのが面白いと思うんですね。
何度か書いていますが、FFTという物語は「デュライ白書を読み解く物語」なので、我々プレイヤーはデュライなりアラズラムなりの意図が反映された景色しか見ることができない。書かれた、作られた物語だっていうのが特徴だと思っています。FFTに限らず、戦記物とかはそういう「後世に伝えられた」感が楽しいんですよね〜ああ主人公たち王族が自分たちの権威強めるために話盛ってるんだろうな〜とかなるので
で、メタい話をすると、そもそもファイナルファンタジータクティクスというゲーム自体、「作られた」物なんですよね。当たり前ですが。
そしてFFTは人気が出て、20年後になってFFTの要素を使って物語を再構築した「リターントゥイヴァリース」シリーズが(14の中で)発表された。
ここではFFTの再現ではなく、あったかもしれない物語が広げられている。アルテマに勝てなかったラムザくん、くっつくオーランとアルマ、自分に必要なのはラムザだと悔いるディリータ。どれもFFTには無かったし、有り得なかったものです。
20年経ってなお、公式から気にかけてもらえてこうやって新しい物語が提供されること自体、FFTが今でも生きている感じがして好きだし、なによりそうしてお出しされたのが原作のif設定の話という、めちゃくちゃな改変が加えられたものであるのが面白いんですね。
FFTというゲーム自体が作られたものであるならば、その時その時代が望む形に変えられてもおかしくはないわけです。
で、その望む形ってのが、自分が負けたらディリータに後を託すラムザとかそういうのなんですが。

ゾディアックブレイブストーリーが子供の読むお伽話ではなくミュージカルとして広まったなら、「え?ゾディアックブレイブストーリーってあの有名なミュージカルでしょ?」「えっ、私、子供の頃読んでた絵本は、てっきりミュージカルを絵本にしたやつだと思ってた。」なんて世代が出てくるかもしれない。
同様に、「えっ、オーランって、アルマちゃんのことが好きなんでしょ?」「最初に14やったから、てっきりそうだと思ってた」って世代も出てくるかもしれない。
それが面白いな〜と思うわけです。改変を加えられつつも、生まれ変わって別の時代に伝わる物語。

「作られた物語」というストーリーを展開したFFT自体が「作られた物語」なんだなあと思えていいなあと思いました。
コメント(1)

G'rana Ijiek

Atomos [Elemental]

はじめまして。
FFTの台詞等など調べるうち流れ着いた者です(謎)
解釈が自分と似ていてつい嬉しくてコメントさせて貰いました。

チャプターごとのタイトルの意味にあとから気付いた時、ハワワワーと1人で一喜一憂したのを覚えてます。
ラストの展開なんてもう鼻血もの。全てを失って愛を手に入れた者と全て手に入れて愛を失った者との対比は見事で、総じてあの物語は思春期真っ盛りだった私の思考や人格形成に反映されました(ただのおたく)

このように強烈な印象が付いてしまってるため、私の中で14のリターントゥーイヴァリースはパラレルワールド的なものと位置付けてます。
みんなが報われて幸せになる展開もイイけど、やっぱり彼にはあのままでいて欲しい。
等身高くなった3Dの彼らを拝めるだけで充分幸せですね。
サモンダークネス! (◜ω◝ )ニコォ
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